日々の覚書

MFCオーナーのブログ

まだまだ続くフュージョンの夏

2024年07月15日 11時19分36秒 | 時事・社会ネタ
まだ梅雨明けしてないのに(してないから?)既に日本は猛暑である。先週の月曜日(7月8日だったかな)なんてめちゃくちゃ暑くて、屋外はサウナみたいだった。これで梅雨が明けたら一体どうなるのだ? ま、確かに、ここ数年の傾向としては、梅雨明けすぐ猛暑日が続くけど、その後は割に普通の夏、というパターンが多いような気がしてたので、10年くらい前のように、2ヶ月近く猛暑日が続くという事ではなそさうではあるけどね。ま、なんというか、ここ10年ちょっとの間で暑さに慣れてしまって、最高気温30度くらいなら大した事ない、ってな感覚になってるのが怖い(笑) 年齢その他も鑑み、自分の体力・持久力等を過信しないようにして、慎重に行動しましょうね(笑)

今月初めは異常な暑さだったけど、そんな中、東京都知事選がミョーな盛り上がりを見せた。結果はともかく、当選した現職の小池百合子より、それ以外の立候補者に注目が集まる(投票前も投票後も)というのも、良いんだか悪いんだか(苦笑) ま、小池百合子からすると、その方が好都合だったのかもしれないが。

そうこう言ってるうちに、ショッキングなニュースだ。皆さん既にご存知と思うが、次期アメリカ大統領選の有力候補と言われている共和党のドナルド・トランプ氏が演説中に狙撃された。トランプ氏は弾が耳を貫通するという事態になったものの、命に別状はないそうだが、当日会場にいた聴衆のうち、1人が亡くなり、2人が重体とのこと。とんでもないことをしでかす奴がいたものだ。亡くなった方のご冥福をお祈り致します。

この手の事件は、単なる狙撃事件ではなく、標的からしても一種のテロであり、民主主義を根本から否定するものでもあり、断じて許すべきではない。しかも死者も出でいる。テロは絶対に許さない、我々は断固として戦う、今回の事件も徹底的に捜査し、バックにテロ組織があるのなら必ずぶっ潰す、くらいの国・政府の公式声明はあって然るべきだし、メディアもそういう論調になって当たり前だが、今回のトランプ狙撃事件に関しては、犯人に憤るとか死者を悼むどころか、この事件で大統領選はトランプ有利になるのでは、などと発言するキャスターや政治家もいたりなんかして、正に世も末である。メディアの連中は、トランプ死ねばよかったのに、と思ってるのが見え見えだ。安部元総理の時と同じ。狙撃されたのがトランプ氏ではなくバイデン氏だったら、メディアの論調は180度違うのだろうね。

という訳で、最近買ったCDから(やっぱり唐突)



まだフュージョンの夏は終わっていなかった(笑) 僕自身はあれからもフュージョンのマイ・ブームが続いていたりなんかする。

という訳で、70年代の渡辺香津美である。この『Village In Bubbles』は1978年発表、ニューヨーク録音とのことだが、再発CDのライナーにもあるが、前作『Lonesome Cat』に続く海外録音で、前作の時はほぼ武者修行みたいな感じで、現地のミュージシャンたちとのレコーディング・セッションも1日だけ、という慌ただしい状況だったが、今回の『Village In Bubbles』の時は、じっくり時間をかけて準備して、現地でも腰を落ち着けてのレコーディングになったらしい。『Lonesome Cat』は未聴ので何とも言えないが、色々なコメントからすると、緊張感漲る一発録りみたいなアルバムだったのでは、と思われるが、それに比べると『Village In Bubbles』は余裕が感じられる作りである。制作時の状況だけでなく、収録曲の雰囲気も違うせいだろう。

全体としては、とてもメロウなフュージョンである。全曲、渡辺香津美のオリジナルであるが、一曲目の「Park Of Avenue」のイントロなんて、フィリーソウルみたい。他の曲もストリングスを使ってゴージャスな感じに仕上がっており、その中で渡辺香津美が弾きまくっている。曲調のせいか、ナチュラルなトーンでの速弾きが目立つので、ほんと縦横無尽って感じだな(笑) ただ、全体にメロウな雰囲気ではあるが、ソウルやファンク、ラテンなどの要素も取れ入れ、聴きやすいけど演奏陣のレベルも高いという、正にフュージョンである。あまり目立たないけど、ソロのバックのリズム隊の演奏が、実に表情豊かでつい聴き惚れてしまう、という見かけはともかく、決して単なるBGMでは終わらせない、優れたフュージョンなのだ。いや素晴らしい。これこそが日本のフュージョンなのだ、と思わせる傑作であります。渡辺香津美も凄いな。ギタリストとしてはもちろんのこと、本作を聴いて、改めて作曲家としての力量にも感服しました。この翌年に『KYLYN』が出るのだが、全く『Village In Bubbles』とは違うアプローチのフュージョンであり、ここいらの切り替えのセンスも凄い。やっぱり凄い人なのだ。早く元気になって下さい。

続いては、



こちらも日本のフュージョンだが、渡辺香津美ほど有名ではないと思う(苦笑) 当時、ジャズのみならず幅広い分野で活動していたピアニストの佐藤允彦が、若手と結成したメディカル・シュガー・バンクの1stである。メンバーは佐藤允彦以下、清水靖晃(Sax)高水健司(Bs)山木秀夫(Ds)穴井忠臣(Perc)の5人で、なかなかに錚々たる顔ぶれだが、この頃はまだ"将来を嘱望される若手"という扱いだったように思う。ま、その後渡辺香津美のKAZUMI BANDに入るメンバーが3人もいる、というのを見ても、凄い顔ぶれであるのは間違いない(笑)

内容も素晴らしい。僕の印象としては、ジャズの人がやるフュージョン、って感じかな。テーマがあってアドリブもふんだんにあるというか。本作が出たのは1980年、それこそフュージョン全盛の頃で、流行りの音楽にアプローチしてみたというのはあると思うが、ジャズをベースにした独特の雰囲気と、高い演奏力(だけど、ひけらかさない)で、確実に他との差別化は成功していると思う。アップテンポでキメキメのフュージョン・チューンもあるが、印象的なのは、メロウでスタイリッシュに迫るややスローな曲の方で、なんたって清水靖晃のプレイが素晴らしい。すすり泣いたりブロウしたり、正に変幻自在。メロディ楽器はキーボード以外はサックスしかいないので、清水靖晃にかかる負担は大きくなるのだが、一人で難なくこなしているのは凄い。佐藤允彦もエレピを弾いてる曲の方が多いが、それがまた良い雰囲気なのだ。当時、僕はFMで本作を聴いて、すっかり気に入ってしまったのだが、今にして思うと、サックスやエレピがフューチャーされたスローな曲に惹かれていたのかも。「Saga Unknown」とか、たまりません(笑) 適度な緊張感もよろしい。

ところで、もうすぐパリ・オリンピックなんだけど、盛り上がりが今イチと思ってるのは僕だけ?^^;
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働く人のランチ事情

2024年04月29日 08時26分52秒 | 時事・社会ネタ
またしても訃報だが、オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナル・メンバーであるディッキー・ベッツが亡くなった。享年80歳。やっぱりというか何というか、癌と慢性閉塞性肺疾患を患い闘病中だったらしい。慎んでご冥福をお祈り致します。

ディッキー・ベッツは、ギタリストとしてはもちろん、非常に優れたソングライターでもあった。オールマンズの代表曲でもありライブの定番でもある「エリザベス・リードの追憶」「ランブリン・マン」「ジェシカ」といった曲はディッキー・ベッツの作品だ。彼の功績は、守備範囲の広い音楽性とギタープレイにより、オールマンズを単なるブルース・ジャム・バンドからアメリカン・ロックを代表するバンドに押し上げた事だ。もう一人の立役者でもあるグレッグ・オールマンと衝突しながらも、デビューから2度の解散・再結成を経てオールマンズを牽引し続けたが、残念ながら、2000年頃に脱退してからは関わっていない。追い出されたという説もあり、それが本当なら無念だったろうな。グレッグ・オールマンより、ずっと素行は良いのにね。

ディッキー・ベッツが亡くなったので、オールマンズのオリジナル・メンバーで存命なのはドラムのジェイモーだけになった。悲しい現実である。

閑話休題

今年のプロ野球が開幕してからほぼ一ヶ月、セパ各チームも20~25試合を消化して、なんというか、チームの"状態"が見えてきた頃かと思う。前回宣言した通り(笑)、今年は中日ドラゴンズをひたすら応援することにしているので(長い事サボってたからね^^;)、開幕してから約一ヶ月というもの、電車の中でスマホでドラゴンズ(および他チーム)の試合の途中経過を確認しながら帰路につく、という生活が当たり前になっていて(笑)、ほんと、こういうの何年ぶりだろう。しかも、予想以上にドラゴンズが調子良く、4/28現在で11勝11敗3引き分けの勝率5割でタイガース、ジャイアンツに次いでセ・リーグ3位。4/9には2891日ぶりに首位に立ち、4/17にはセ・リーグ10勝一番乗りを果たした。正直言って出来過ぎかも(笑) ま、10勝一番乗り以降は1勝しかしてないという事で、結局昨年までのパターンに戻るんじゃないの、と危惧する向きもあるが、ここまでの25試合を見る限り(ちなみに、今期のドラコンズの試合は、実際にはテレビ神奈川のベイスターズ戦くらいしか見ていません^^;)、悪い戦い方ではない。先制した試合の勝率が高いが、少ない得点を投手陣が守り切る、というパターンが定着しているのだろう。選手たちがこれを意識して試合に臨んでいるのであれば、今年のドラコンズは強いと思う。やはり「勝ちパターン」というのは大事である。また、10勝一番乗りの次のタイガース戦で3連敗して、その次のジャイアンツ戦は1勝2敗で負け越したけど、大量失点もあったタイガース戦はともかく、ジャイアンツとの3連戦は(ドラコンズから見て)0-2・3-2・2-3と、ピッチャーが踏ん張っていい試合してるのが分かる。打線が弱いのは百も承知なので、投手陣にはくさる事なく頑張って貰いたい。涌井・柳・小笠原・マルティネス・松葉・メヒアといったところは、それなりに結果出してるし、投手力中心の守りの野球は出来ていると思う。

心配なのは、やっぱり立浪監督である。ここまで見てる限りでは、負けが込むとオーダーをいじりたがる傾向がある。若手も多いし、完成されたチームでもないので、いろいろ試したくなるのは理解できるが、実績がないだけに、ここはひとつ一旦オーダーを決めたら、選手を信じてオーダー固定、を貫いて欲しいもの。去年のタイガースが、実績のないクリーンアップを辛抱強く使い続けて結果優勝したという事例もある。ほんと、長い目でチームを見て欲しいと思う。頑張って下さい!

また閑話休題(笑)

最近こんな記事を見つけた。


どういう事かというと、首都圏・関西・東海地区で20歳~69歳の仕事を持つ男女(つまりサラリーマンってことか)を対象に、ランチに関するアンケートを行い5590人から回答を得たそうだが、その結果がなかなかに興味深い。

先週の平日ランチは?
自炊または家族などが作った食事・・・31.1%
小売店(コンビニ、スーパー等)や飲食店で購入した食事・・・20.4%
自炊または家族などが作った弁当・・・19.2%
社食・学食・・・8.5%

ランチ一回あたりの平均予算・・・452円
自炊、家族などが作った食事・弁当・・・392円
出前、デリバリーしたもの・・・1368円
外食店内での食事・・・1243円
外食店からテイクアウトしたもの・・・977円

「自炊または家族などが作った食事」というのは、要するに弁当かと思ったら違うらしい。昼時に家に帰って食事するのだろうか。と、この辺が不明だが、ランチ一回あたりの予算が452円というのは、僕と変わらないなぁ、なんて思ったりしたけど、細かい事言うようですが(笑)あくまで"予算"であって"実績"ではないのが気にかかる。とはいえ、デリバリーも外食も予算1000円超えというのは、僕なんかとはスケールが違う。やっぱりアンケート回答者の大半は丸の内の商社マンであろうか(爆) ランチ一回452円という数字だけだと、僕とあまり変わらないな、と思うが、デリバリーや外食の数字があまりにもかけ離れている。"自炊、家族などが作った食事・弁当"が、回数も多く予算も安いので、平均だと500円を切る事が出来る、という訳か。なんというか、この人たち、金があるのかないのか、よく分からん(爆)

この新聞記事だけだと今イチ分からないけど、こんな記事もある。


なんとCanCamの記事である(2年ほど前のもの)。僕の印象では、CanCamとはオシャレなOLが読む雑誌であり、当然内容もオシャレでハイソで、早い話、僕なんかみたいなサラリーマンがついて行ける内容ではないはずだ(爆)で、アンケートを行うにあたり、まず、大胆にも年収から訊ねている。

年収はいくらですか?
男性平均:506.4万円
女性平均:323.0万円
全体平均:391.1万円

女性の平均年収がかなり低い気がするが、と同時に丸の内の商社マンにしては少ない気もする(笑)で、そんな、決して高給取りとは呼べなさそうな人たちに、1日のランチ代なんか聞いたりしてる。

ランチ代の金額はいくらですか?
男性平均:561.8円
女性平均:584.1円
全体平均:575.8円

なかなかリアルな数字という気がする。女性の方がランチ代高いのは、なんとなく納得(笑) そうだよね、やっぱりランチ500円以下は厳しいよね。
で、続いて、かなり衝撃的な質問。

ランチで高いと感じ始める金額は?
500円~700円:7.2%
700円~900円:20.5%
900円~1000円:21.9%
1000円~1200円:28.7%
1200円~1500円:14.7%
1500円~2000円:5.2%
2000円以上:1.8%

700円~900円で高いと感じる人が20%いるというのが驚いたというか安心したというか(笑) 逆に、2000円にいかないと高いと感じない人が1.8%しかいないというのは怖い(爆) これこそ丸の内の商社マンかな(爆)で、次の質問もすごい。

ランチでちょっと贅沢をするときの金額はいくらですか?
500円~700円:6.4%
700円~900円:10.0%
900円~1000円:18.9%
1000円~1200円:29.3%
1200円~1500円:17.9%
1500円~2000円:11.8%
2000円以上:5.6%

1000円以上で贅沢と感じる人が最も多い、というのには安心。まともな金銭感覚の人は都会にもまだ存在しているようだ(笑)

CanCamの記事では、この後も、「ランチで主に食べているもの」とか「ランチで外食する頻度」などの質問と回答結果が掲載されており、それを見てると、やっぱり日本のサラリーマンだなぁ、僕あたりとそんなには違わないな、ということが改めて分かった(笑)
ちなみに、僕の場合、

ランチの平均予算・・・500円以下
ランチ代、高いと感じ始めるのは?・・・700円
贅沢ランチの判断基準は?・・・900円

こんなとこかな。実にいじましい(爆)

と、こういう記事を見ると、なんだかんだで、サラリーマンの皆さんは、年収はともかく、ランチに関しては僕と似たような金銭感覚の人が多いようで、なんとなく安心した。決して、僕だけがセコい訳ではないのだ(爆) 同志(と勝手に決めつける)の皆さん、共に頑張りましょう!
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オール・バイ・マイセルフ

2024年03月17日 15時03分56秒 | 時事・社会ネタ
ご存知の方も多いと思うが、あのエリック・カルメンが亡くなった。享年74歳。妻のエイミー・カルメンは、"Love is all that matters...faithful and forever"という一説を引用して、エリックが天に召された事を報告し、喪に服す間そっとしておいて欲しい、と声明を発表したそうな。謹んでご冥福をお祈り致します。

僕がエリック・カルメンを知ったのは、1976年のこと。ラズベリーズを解散したエリックがソロデビューした頃だ。当時、毎週聞いてたFM東京の『ポップス・ベスト10』にランクインしてきた「オール・バイ・マイセルフ」を聴いたのが最初だった。ほとんどの人がそうだろうけど^^; この曲に続く「恋にノータッチ」もヒットして、『ポップス・ベスト10』では1位になったと記憶している。この2曲のヒットで、エリック・カルメンの人気と評価は日本でも定着し、やや遅れて発表されたデビュー・アルバムも評判となった。邦題は『サンライズ』だったと記憶しているが、特にオープニングのプログレッシブなイントロダクションが話題となり、あの原田真二も、自身の1stアルバムを出す際、エリックの1stのオープニングみたいな事をやってみたかった、と影響を受けた事を当時のインタビューで語ってたのを覚えている。

エリックがウケたのは、やはり分かりやすいメロディのせいだろう。先のデビュー・アルバムにしても、「オール・バイ・マイセルフ」はピアノ・バラードだけど「恋にノータッチ」はキャッチーでポップだし、ロックンロール調の曲も収録されていて、バラエティに富んでいるし、またポップでノリが良くても、メロディになんとなく哀愁を感じさせたりなんかして、そこいらも日本でもウケた要因と思う。

個人的には、エリックというと、「オール・バイ・マイセルフ」より1977年の「愛をくれたあの娘」、1978年の「チェンジ・オブ・ハート」の方が好きで、特に「チェンジ・オブ・ハート」は我が人生でも10本指に数えられる名曲なのではないか、ってくらい好きでよく聴いた曲である。が、評判は良いものの、それらの名曲たちは「オール・バイ・マイセルフ」ほどヒットせず、その音楽性とは裏腹に、エリックはマニア受けするアーティストみたいな感じになっていった。

しばらくチャートでも名前を見る事のなかったエリックが復活したのが1987年。例の『ダーティ・ダンシング』収録の「ハングリー・アイズ」がビルボードのTOP10に入るヒットとなったのだ。但し、この曲エリックの自作ではない。いわば仕方なく歌ってみた、というのがヒットして、再び脚光を浴びる事になった訳で、エリック本人としてはめちゃ複雑だったであろう。けど、エリックが再評価されたのは喜ばしいことであり、それに乗っかって出たベスト盤を僕も買ったのである(笑)


当時の邦題は『ハンクリー・アイズ~メイク・ミー・ルーズ・コントロール/ベスト・オブ・エリック・カルメン』となってて、「ハングリー・アイズ」にあやかった物であるのは一目瞭然(笑) ま、僕自身も久々にエリックの名前を見て、久々の復活で再度エリックに興味を持ったりしてたもんで、このベスト盤は嬉しかった。「チェンジ・オブ・ハート」もちゃんと入ってたし(笑) 出来れば「噂の女」とか80年代のシングル曲も収録して欲しかったけどね。

ちなみにこのベスト盤、『MFCオーナーの私的歴代最高のアルバム500選』では344位である(だから?)

ところで、エリック・カルメンといえば、なんだかんだ言っても「オール・バイ・マイセルフ」なのだが、あんまり意識してなかったけど、実はこの曲結構カバーが多い。セリーヌ・ディオンあたりよく知られていると思うが、他にもフランク・シナトラ、シャーリー・バッシー、トム・ジョーンズといった大ベテランもカバーしてるのは意外だった。うん、確かにシャーリー・バッシーなんて似合いそうだ(笑) で、調べてみてさらに意外だったのは、なんとシェリル・クロウもカバーしていること。知らなかった。どうもデビュー直後のシングルのカップリング曲として世に出たらしいのだが、もちろん未聴である。多分、現在では入手困難だろう。シェリルはアルバム未収録音源もカバー曲も多いのは納得してたけど、「オール・バイ・マイセルフ」もやってるとはね。

脱線するが(笑)、「オール・バイ・マイセルフ」のカバーについては、僕はセリーヌ・ディオンが出してるのを知らなくて、もちろん聴いてもいない。最初に聴いたのは多分、2001年の映画『ブリジット・ジョーンズの日記』だったと思う。いや、この映画を見たのではなく^^;、当時、これのテレビCMで主人公がベッドに座って「オール・バイ・マイセルフ」を歌う(多分、レコードか何かに合わせて)シーンがあり、それが印象に残っていたのだが、あれは誰のバージョンだったのか、今さらながら気になって調べてみたら、サントラにはジェイミー・オニールという人のバージョンが収録されているらしい。ところが、さらに驚くべき事実に気づいてしまった。なんと、このサントラにもシェリル・クロウの曲が収録されていたのである(笑) 自作曲のようだが、オリジナル・アルバム未収録。もちろん聴いた事ない。「オール・バイ・マイセルフ」の事を調べたら、ミョーにシェリル・クロウの名前が出てくるあたり、何かの因縁か強い絆でもあるのか(笑)

ま、そんな訳で、それほど熱心に聴いてた訳ではないものの、やはりリアルタイムで知ってたミュージシャンが亡くなるとはショックというか、エリック・カルメンに関しては、あぁあなたもですか、という心境だ。避けては通れない事ではあるものの、残念でしかたない。

安らかにお眠り下さい。
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杜の詩

2023年10月21日 14時59分23秒 | 時事・社会ネタ

何かと話題の多い昨今である。10月だというのに夏日の地域がある、という異常気象だし、ウクライナがまだあんな状態なのに、イスラエルが戦争状態になってるし、阪神がセ・リーグ優勝して、日本シリーズ進出も決めたし(笑)

それにしても、21世紀の今、戦争とは...ロシアによるウクライナ侵攻もまだ終わる様子がないのに、イスラエルとパレスチナいや正確には、パレスチナのガザ区のテロ組織ハマスが戦争状態になっている。あの地域は、遙か昔から宗教上の問題で民族間での対立が絶えないエリアであるし、その背景も色々と複雑かつ難解で日本人には理解し難いものがあるので、あまりどうこう言うつもりはないが、テレビの報道番組などを見ていると、イスラエルがその軍事力に物を言わせて、一般人だろうがハマスだろうが見境なくガザ地区を攻撃しまくっていて、ハマスはその報復に、イスラエル領の人たちを人質に取っている、要するに悪いのは圧倒的にイスラエルという事になっていて、それはちと違うんじゃないの、なんてさすがに思ったりする訳だ。勘違いする人も多いと思うけど、今回の抗争は、イスラエルvsパレスチナではなく、あくまでもイスラエルvsハマスなのであって、ハマスはガザ地区を実効支配しているテロ組織であり国家ではない(ついでに言うと、バレスチナも国家ではない)。分かりやすく言うなら、共産党が九州を実効支配してるようなもの、と解説する人もいる。なるほど。で、このハマスというのが、わざと住宅地や学校、病院の地下とかに基地を作ったりしてるもんで、ハマスを壊滅させようと攻撃すれば、必然的に一般人も巻き添えになってしまうのだ。で、イスラエルはハマスの拠点を攻撃する際、前もって告知して避難勧告を出してるようだが、それでも犠牲者は出る。それをハマスが、イスラエルは鬼だ、みたいに外国のメディアに訴え、各国のメディアはそのまま報道するから、全てイスラエルが悪いのだ、と思ってる人ばかりになるのである。特に日本では。

今欧米では、アラブ系(イスラム系)による反イスラエル(=反ユダヤ)運動があちこちで起きていて、このままヒートアップすると各地のユダヤ人たちが襲撃されかねない。何でも、アメリカ自体は今回の件ではイスラエル支持を表明しているようだが、国民の中にはユダヤ人嫌いが多くて、反ユダヤが当たり前という空気になっているらしい。ユダヤ人差別は元々あったようだが、どうしてこうなってしまうのか。ユダヤ人嫌いなら、本当はホロコーストは正しい行為だった、と皆さん思ってるんでしょうかね。近年多く出現した偉そうにダイバーシティとか主張する人たちは、ユダヤ人差別を止めさせてユダヤ人を擁護すべきでしょう。その他の人たちと同様に。けど、あっちでは、白人とユダヤ人は侮蔑しても差別してもかまわない存在、という事になってるようだ。あと、東洋人もかな。

いきなりだが、東京の明治神宮の外苑の再開発計画について、反対する声が多い。最近、著名人たちが反対声明を出した事で、テレビや新聞でも取り上げられ、一般にも広く知られるようになった。故坂本龍一氏も反対の立場だったらしく、その遺志を継いでサザン・オールスターズというか桑田佳祐も、この問題をテーマにしたシングルを発表したりしてる。ま、こういう問題に、多くの人が関心を持つのはいい事だが、同時に、関心を持つなら、内容もちゃんと理解していなければならない。

今回の神宮外苑再開発の中味はというか、開発する側からの目的は、簡単に言ってしまうと、

・神宮球場、秩父宮ラグビー場を取り壊して、新たな野球場とラグビー場を作る
・公園内に商業ビルを建てて集客を狙う

こんな感じで、反対してる人たちも、これだけなら特に文句もないのだろうけど、この為に神宮外苑の森林を伐採する、というので問題になっているのだ。確かに、あの神聖な神宮外苑の森林を伐採して丸裸にしてしまうなんてめちゃくちゃで、神をも恐れぬ罰当たりな行為である。しかも、そんなとんでもない再開発計画が、議会も通さず、ゼネコンと知事の間だけで水面下で進められていた、と聞かされれば、冗談じゃねぇ撤回しろ明治神宮を何だと思ってるんだ、となるよな。よく分かります(笑) 実際、僕も最初そのように聞いたので、絶対撤回させるべきだ都議会は何やってんだ、と思ったけど、しばらくして、東京都のHPでこの再開発計画の資料を見てみると、一番問題となる森林の伐採については、全て伐採する訳ではなく、また伐採した分は新たに植樹するので、森林自体が縮小される事はない、有名ないちょう並木にも手はつけない、という内容になってた。ま、少しは考え直したのかな、とは思ったけど、反面、最初に外苑だけでなく内苑の森林も伐採される、とも聞いていて、外苑の再開発以上にそっちが大問題だ、と思っていたのだが、資料にはその事は、つまり神宮内苑の再開発の事は記載がなくて、あれ?どうなってるの?という心境でもある。

ま、森林の一部は伐採するけど、ちゃんと元通りにします、という計画だし、反対派の人たちも多少納得したのかもしれない。ただ伐採するなだけでは森は守れない訳だし。一時期に比べ、これに関するニュースも見なくなった。伐採した分は植樹する、と言っても、すぐに元通りになる訳でもないし、その辺はもっと追求する必要はあるかな。個人的には、内苑に手をつけないのなら、あれこれ言うつもりはない。明治神宮と杜は今の状態を守るべきである。

それにしても、この神宮外苑再開発で感じたのは、何故、由緒も人気もある神宮球場と秩父宮ラグビー場を立て直すのか、ということ。確かに老朽化してて危険かもしれないけど(ブラジルあたりで、サッカースタジアムが老朽化してて、試合の最中に観客席が崩れた、なんて映像見たことあるし)、ほんとにそれだけかね。先の東京オリンピックの時にも揉めたけど、スポーツ界の人たちって、すぐ競技場作りたがるよね。古くなってるから、オリンピックなんていいチャンスだ、どうせ金はかかるんだから、ついでにいいだろ、ってとこかな。未来に向けてレジェンドを残さねばならない、という意味不明の事も言ってたな。日本には特定の競技の会場がないから、オリンピックを開催するとなると作らねばならない、というのはおかしな考えだが、多少分からなくもない。が、立派な競技場があるのに、さらに作らせようとするのは絶対におかしい。今回も、本当に新競技場が必要なのか、なんとなく怪しい。

それと、この再開発計画で、個人的に一番あほらしと思うのは、外苑の一角に商業ビルそれも地上40階とか38階とかの高層ビルを建てようとしてる点だ。何故、日本ではどこへ行っても、都市部の再開発というと高層ビルを建てたがるのか。こないだ都内にあべのハルカスを抜いて日本一となる高層ビルが完成した。が、同じ都内に、2027年にもっと高いビルが完成するらしい。なのに、また神宮外苑にも作ろうとしている。自然保護だ環境問題だとあちこちでやかましく言ってる時代に、高層ビルなんて時代遅れではないの、というか、高いビルを作ろうという発想自体、あまりカッコよくないな、と思う。既にたくさんあるし、高さを競うのはもういいでしょ。バカと煙は高いところに上る、というか、高いところが好き、というか、まぁ昔から言われているけどね。

ちなみに、この「バカと煙は」の格言だけど、言い回しが違うと意味も変わるらしい。つまり、

①バカと煙は高いところに上る→愚か者はおだてに乗りやすい
②バカと煙は高いところが好き→バカ(お調子者)は状況や危険も顧みず高いところ(目立つところ)に行きたがる

このように意味が違うのだそうな。今まで、同じように使ってたな。ちなみに、ほとんど②の意味かと思ってた。勉強になりました(笑)

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球史に名を刻むエースたち

2023年06月24日 11時51分48秒 | 時事・社会ネタ

ご存知の方も多いと思うが、元広島東洋カープのエース、北別府学氏が亡くなった。享年65歳。白血病で闘病中だったらしい。まだ若いのに残念だ。謹んでご冥福をお祈り致します。

前にも書いたが、僕が最も熱心にプロ野球を見ていたのが80年代で、この時期は広島の黄金期だったと言ってもいい。実際、1980年から89年の10シーズンで、リーグ優勝3回、日本一には2回輝いている。3回なら大した事ないと思うかもしれないが(パ・リーグだと80年代は西武が6回優勝してるし)、あの常勝ジャイアンツですら、同じ10シーズンでリーグ優勝4回・日本一2回である。ほとんど変わらん。セ・リーグでは、80年代は広島と巨人の2強時代だったと言っても大げさではなかろう。その広島の黄金期を支えたのが北別府だった。

北別府学。1975年のドラフト1位で広島入団。ルーキーの年にプロ初勝利をマーク、1978年のシーズンから11年連続2桁勝利を記録、1982年に20勝、1986年に18勝で最多勝利投手となり、1986年には広島が優勝してMVPにも輝いた。実働19シーズン、毎年勝ち星を記録して通算213勝、文句なしに広島いや球界を代表するエースだった。200勝を達成した時は、最後の200勝投手なんて言われてたっけ。正に記録にも記憶にも残る、素晴らしいピッチャーだったと思う。

中日ファンだった僕からすると、北別府はほんと憎たらしいピッチャーだった。80年代の中日は、毎年のように広島に負け越しており、1984年に広島と優勝争いをしてた時も、広島に勝てなくて優勝出来なかったくらいで、とにかく広島を苦手としていて、そんな広島を象徴するのが北別府だったのだ。マジ中日戦で北別府が打たれた記憶が全然ない。他の試合で見てても、打たれても大崩れせず、大量失点とかまず考えられないピッチャーだった。バッタバッタと三振の山を築くタイプのピッチャーが好みだった当時の僕としては、絶妙のコントロールで勝負する北別府のスタイルはあまり好きではなく、けど打てないので、余計に憎たらしいピッチャーだったのである。今となっては懐かしい。若かったよな、何もかも(意味不明)

押しも押されもせぬ広島のエースだった北別府だが、日本シリーズで活躍した印象が薄い。1984年の日本シリーズは山根投手の方が目立ってた記憶があるし、セ・リーグのMVPになった1986年のシリーズですら、大野とか金石の方が印象に残ってたりする。1991年のシリーズでは、満を持して第3選に先発したが、好投むなしく西武・秋山のソロ・ホームラン一発で負け投手になっていた。大エースだったけど、日本シリーズには縁がなかったのだな。そういう人、案外多いけど。

地方球団ゆえか、実績もあり、実は結構男前であるにもかかわらず、北別府はやや地味な存在であったのは否めない。メディアに積極的に登場していた様子もない。ローカル放送ではそうでもなかったのだろうけど。ここいらは、広島も中日も似たようなもんだな。ただ、北別府学が球史に名を残した偉大なプロ野球選手であった事は、紛れもない事実である。

ところで、偶然にも同じ日に、元中日ドラゴンズの杉下茂氏の訃報も伝えられた。享年97歳。今では、その名を知らない人も多いかもしれないが、かつて中日のエースだった人だ。ただ、前述の北別府とは30歳ほど年齢が違う事からも察せられるように、かなり前の人である。が、ある意味、北別府以上の実績を残した選手と言えるかも。謹んでご冥福をお祈り致します。

杉下茂。1949年に中日ドラゴンズに入団し、一年目のシーズンは8勝に終わるも、翌年からは6年連続で20勝以上を記録(つーか、この6シーズンだけで168勝!)、中日での10シーズンで通算211勝を挙げ、この数字は後に山本昌に破られるまで、50年近くも球団最多記録だった。その後、1959年と1960年の2シーズンは監督兼選手として中日に在籍したが選手としては記録なし、1961年に大毎(現在のロッテ...かな。笑)へ投手コーチとして移籍して、現役復帰して4勝をマークし、生涯通算215勝とした。数字だけなら北別府とほぼ同じ。

杉下と言えば、なんと言っても1954年の中日の初優勝である。この年、杉下は32勝12敗防御率1.39という圧倒的な成績を挙げて投手部門のタイトルを総なめにし、中日の優勝に貢献してMVPを獲得した。その勢いを日本シリーズでも持続し、西鉄ライオンズ相手に7試合中5試合に登板して4試合で完投、3勝1敗の成績で中日を初の日本一に導きシリーズMVPとなった。

現役引退後は、阪神や中日の監督となったが、あまりいい成績は残せなかったようだ。その後、野球解説などやりつつ、1985年に野球殿堂入りしている。僕が中日愛(笑)に目覚めたのは、1974年の中日20年振りの優勝を経験してからだが、その時点で20年前の優勝時のエースが杉下だった訳で、申し訳ないが、当時は名前すら知らないし、もちろんプレーだって見た事はない。思い起こせば1982年、この年中日はリーグ優勝し、日本シリーズで西武と対戦したが、この時のシリーズ第4戦を西武球場まで見に行った事がある。その際購入したパンフレットに、過去の日本シリーズの歴史が第1回から詳しく掲載されていて、それを見て杉下という人は凄いピッチャーだったのだ、と遅まきながらようやく理解した。もっとも、そのパンフレットを見て知ったのだが、1950年代のプロ野球のピッチャーって、凄い人がたくさんいて、稲尾や杉浦は別格だけど、決して杉下だけが凄かった訳ではない。凄い時代だったなぁ、と1982年当時も思ったくらいで、今の感覚だとイメージ出来ないかも。ま、野球自体が違ってたというのもあるけどね。どっちがいいかはともかく。

杉下は、”フォークボールの神様"と言われていたが、実はフォークは1試合完投しても数球しか投げてなかった、とか、学生の頃から野球やってて、それなら肩も強いだろう、と徴兵されてから手榴弾遠投大会みたいなのに指名されて出場したものの、実は野球やってたけど弱肩で、そんな事言えないので、隠れて一所懸命練習してたら肩が強くなった、とか、なかなかに昔の人らしいエピソードの持ち主でもある。

北別府と杉下、正に新旧の大エースの訃報が同時に入ってきたのは、きっと何か意味があるのに違いない。あの頃とは、プロ野球も随分変わってしまった。そして、あの頃を象徴していた名選手たちが次々といなくなっていくのは、本当に寂しいものだ。仕方ないのは十分分かってるけど。

余談だが、ここ何年もプロ野球を以前ほど見てないので、当然、各チームの選手たちも知らない人が多い。世代交代しているので当たり前なのだが、反面、監督は皆知ってる人で現役の姿を見ている人たちばかり。そういうのを見ていると、監督は若返ってる感じはしない。皆さん高齢という感じでもないけどね。調べてみると、僕より年上は2人だけで、あとは60年代生まれが5人、70年代生まれが5人となっている。一番若い人で1977年生まれなので現在46歳。もう少し若い監督がいてもいいのでは、と思ったりする。あの星野仙一だって、初めて中日監督に就任した時は39歳だった。そろそろ80年代生まれの監督が登場してもいいのでは。ま、僕がプロ野球をよく見ていた時期の監督たちも、考えてみれば、当時の自分の父親と同世代と思われる人が多かったけどね^^; それと、昔と比べると、選手寿命が長くなってるような気もするので、指導者が現役引退後の仕事とするなら、若い監督は誕生しにくくなってる、というのはあるかも。

北別府学氏と杉下茂氏、ともにプロ野球の歴史に大きな足跡を残した大投手である。安らかにお眠り下さい。

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