何かと話題の多い昨今である。10月だというのに夏日の地域がある、という異常気象だし、ウクライナがまだあんな状態なのに、イスラエルが戦争状態になってるし、阪神がセ・リーグ優勝して、日本シリーズ進出も決めたし(笑)
それにしても、21世紀の今、戦争とは...ロシアによるウクライナ侵攻もまだ終わる様子がないのに、イスラエルとパレスチナいや正確には、パレスチナのガザ区のテロ組織ハマスが戦争状態になっている。あの地域は、遙か昔から宗教上の問題で民族間での対立が絶えないエリアであるし、その背景も色々と複雑かつ難解で日本人には理解し難いものがあるので、あまりどうこう言うつもりはないが、テレビの報道番組などを見ていると、イスラエルがその軍事力に物を言わせて、一般人だろうがハマスだろうが見境なくガザ地区を攻撃しまくっていて、ハマスはその報復に、イスラエル領の人たちを人質に取っている、要するに悪いのは圧倒的にイスラエルという事になっていて、それはちと違うんじゃないの、なんてさすがに思ったりする訳だ。勘違いする人も多いと思うけど、今回の抗争は、イスラエルvsパレスチナではなく、あくまでもイスラエルvsハマスなのであって、ハマスはガザ地区を実効支配しているテロ組織であり国家ではない(ついでに言うと、バレスチナも国家ではない)。分かりやすく言うなら、共産党が九州を実効支配してるようなもの、と解説する人もいる。なるほど。で、このハマスというのが、わざと住宅地や学校、病院の地下とかに基地を作ったりしてるもんで、ハマスを壊滅させようと攻撃すれば、必然的に一般人も巻き添えになってしまうのだ。で、イスラエルはハマスの拠点を攻撃する際、前もって告知して避難勧告を出してるようだが、それでも犠牲者は出る。それをハマスが、イスラエルは鬼だ、みたいに外国のメディアに訴え、各国のメディアはそのまま報道するから、全てイスラエルが悪いのだ、と思ってる人ばかりになるのである。特に日本では。
今欧米では、アラブ系(イスラム系)による反イスラエル(=反ユダヤ)運動があちこちで起きていて、このままヒートアップすると各地のユダヤ人たちが襲撃されかねない。何でも、アメリカ自体は今回の件ではイスラエル支持を表明しているようだが、国民の中にはユダヤ人嫌いが多くて、反ユダヤが当たり前という空気になっているらしい。ユダヤ人差別は元々あったようだが、どうしてこうなってしまうのか。ユダヤ人嫌いなら、本当はホロコーストは正しい行為だった、と皆さん思ってるんでしょうかね。近年多く出現した偉そうにダイバーシティとか主張する人たちは、ユダヤ人差別を止めさせてユダヤ人を擁護すべきでしょう。その他の人たちと同様に。けど、あっちでは、白人とユダヤ人は侮蔑しても差別してもかまわない存在、という事になってるようだ。あと、東洋人もかな。
いきなりだが、東京の明治神宮の外苑の再開発計画について、反対する声が多い。最近、著名人たちが反対声明を出した事で、テレビや新聞でも取り上げられ、一般にも広く知られるようになった。故坂本龍一氏も反対の立場だったらしく、その遺志を継いでサザン・オールスターズというか桑田佳祐も、この問題をテーマにしたシングルを発表したりしてる。ま、こういう問題に、多くの人が関心を持つのはいい事だが、同時に、関心を持つなら、内容もちゃんと理解していなければならない。
今回の神宮外苑再開発の中味はというか、開発する側からの目的は、簡単に言ってしまうと、
・神宮球場、秩父宮ラグビー場を取り壊して、新たな野球場とラグビー場を作る
・公園内に商業ビルを建てて集客を狙う
こんな感じで、反対してる人たちも、これだけなら特に文句もないのだろうけど、この為に神宮外苑の森林を伐採する、というので問題になっているのだ。確かに、あの神聖な神宮外苑の森林を伐採して丸裸にしてしまうなんてめちゃくちゃで、神をも恐れぬ罰当たりな行為である。しかも、そんなとんでもない再開発計画が、議会も通さず、ゼネコンと知事の間だけで水面下で進められていた、と聞かされれば、冗談じゃねぇ撤回しろ明治神宮を何だと思ってるんだ、となるよな。よく分かります(笑) 実際、僕も最初そのように聞いたので、絶対撤回させるべきだ都議会は何やってんだ、と思ったけど、しばらくして、東京都のHPでこの再開発計画の資料を見てみると、一番問題となる森林の伐採については、全て伐採する訳ではなく、また伐採した分は新たに植樹するので、森林自体が縮小される事はない、有名ないちょう並木にも手はつけない、という内容になってた。ま、少しは考え直したのかな、とは思ったけど、反面、最初に外苑だけでなく内苑の森林も伐採される、とも聞いていて、外苑の再開発以上にそっちが大問題だ、と思っていたのだが、資料にはその事は、つまり神宮内苑の再開発の事は記載がなくて、あれ?どうなってるの?という心境でもある。
ま、森林の一部は伐採するけど、ちゃんと元通りにします、という計画だし、反対派の人たちも多少納得したのかもしれない。ただ伐採するなだけでは森は守れない訳だし。一時期に比べ、これに関するニュースも見なくなった。伐採した分は植樹する、と言っても、すぐに元通りになる訳でもないし、その辺はもっと追求する必要はあるかな。個人的には、内苑に手をつけないのなら、あれこれ言うつもりはない。明治神宮と杜は今の状態を守るべきである。
それにしても、この神宮外苑再開発で感じたのは、何故、由緒も人気もある神宮球場と秩父宮ラグビー場を立て直すのか、ということ。確かに老朽化してて危険かもしれないけど(ブラジルあたりで、サッカースタジアムが老朽化してて、試合の最中に観客席が崩れた、なんて映像見たことあるし)、ほんとにそれだけかね。先の東京オリンピックの時にも揉めたけど、スポーツ界の人たちって、すぐ競技場作りたがるよね。古くなってるから、オリンピックなんていいチャンスだ、どうせ金はかかるんだから、ついでにいいだろ、ってとこかな。未来に向けてレジェンドを残さねばならない、という意味不明の事も言ってたな。日本には特定の競技の会場がないから、オリンピックを開催するとなると作らねばならない、というのはおかしな考えだが、多少分からなくもない。が、立派な競技場があるのに、さらに作らせようとするのは絶対におかしい。今回も、本当に新競技場が必要なのか、なんとなく怪しい。
それと、この再開発計画で、個人的に一番あほらしと思うのは、外苑の一角に商業ビルそれも地上40階とか38階とかの高層ビルを建てようとしてる点だ。何故、日本ではどこへ行っても、都市部の再開発というと高層ビルを建てたがるのか。こないだ都内にあべのハルカスを抜いて日本一となる高層ビルが完成した。が、同じ都内に、2027年にもっと高いビルが完成するらしい。なのに、また神宮外苑にも作ろうとしている。自然保護だ環境問題だとあちこちでやかましく言ってる時代に、高層ビルなんて時代遅れではないの、というか、高いビルを作ろうという発想自体、あまりカッコよくないな、と思う。既にたくさんあるし、高さを競うのはもういいでしょ。バカと煙は高いところに上る、というか、高いところが好き、というか、まぁ昔から言われているけどね。
ちなみに、この「バカと煙は」の格言だけど、言い回しが違うと意味も変わるらしい。つまり、
①バカと煙は高いところに上る→愚か者はおだてに乗りやすい
②バカと煙は高いところが好き→バカ(お調子者)は状況や危険も顧みず高いところ(目立つところ)に行きたがる
このように意味が違うのだそうな。今まで、同じように使ってたな。ちなみに、ほとんど②の意味かと思ってた。勉強になりました(笑)
ご存知の方も多いと思うが、元広島東洋カープのエース、北別府学氏が亡くなった。享年65歳。白血病で闘病中だったらしい。まだ若いのに残念だ。謹んでご冥福をお祈り致します。
前にも書いたが、僕が最も熱心にプロ野球を見ていたのが80年代で、この時期は広島の黄金期だったと言ってもいい。実際、1980年から89年の10シーズンで、リーグ優勝3回、日本一には2回輝いている。3回なら大した事ないと思うかもしれないが(パ・リーグだと80年代は西武が6回優勝してるし)、あの常勝ジャイアンツですら、同じ10シーズンでリーグ優勝4回・日本一2回である。ほとんど変わらん。セ・リーグでは、80年代は広島と巨人の2強時代だったと言っても大げさではなかろう。その広島の黄金期を支えたのが北別府だった。
北別府学。1975年のドラフト1位で広島入団。ルーキーの年にプロ初勝利をマーク、1978年のシーズンから11年連続2桁勝利を記録、1982年に20勝、1986年に18勝で最多勝利投手となり、1986年には広島が優勝してMVPにも輝いた。実働19シーズン、毎年勝ち星を記録して通算213勝、文句なしに広島いや球界を代表するエースだった。200勝を達成した時は、最後の200勝投手なんて言われてたっけ。正に記録にも記憶にも残る、素晴らしいピッチャーだったと思う。
中日ファンだった僕からすると、北別府はほんと憎たらしいピッチャーだった。80年代の中日は、毎年のように広島に負け越しており、1984年に広島と優勝争いをしてた時も、広島に勝てなくて優勝出来なかったくらいで、とにかく広島を苦手としていて、そんな広島を象徴するのが北別府だったのだ。マジ中日戦で北別府が打たれた記憶が全然ない。他の試合で見てても、打たれても大崩れせず、大量失点とかまず考えられないピッチャーだった。バッタバッタと三振の山を築くタイプのピッチャーが好みだった当時の僕としては、絶妙のコントロールで勝負する北別府のスタイルはあまり好きではなく、けど打てないので、余計に憎たらしいピッチャーだったのである。今となっては懐かしい。若かったよな、何もかも(意味不明)
押しも押されもせぬ広島のエースだった北別府だが、日本シリーズで活躍した印象が薄い。1984年の日本シリーズは山根投手の方が目立ってた記憶があるし、セ・リーグのMVPになった1986年のシリーズですら、大野とか金石の方が印象に残ってたりする。1991年のシリーズでは、満を持して第3選に先発したが、好投むなしく西武・秋山のソロ・ホームラン一発で負け投手になっていた。大エースだったけど、日本シリーズには縁がなかったのだな。そういう人、案外多いけど。
地方球団ゆえか、実績もあり、実は結構男前であるにもかかわらず、北別府はやや地味な存在であったのは否めない。メディアに積極的に登場していた様子もない。ローカル放送ではそうでもなかったのだろうけど。ここいらは、広島も中日も似たようなもんだな。ただ、北別府学が球史に名を残した偉大なプロ野球選手であった事は、紛れもない事実である。
ところで、偶然にも同じ日に、元中日ドラゴンズの杉下茂氏の訃報も伝えられた。享年97歳。今では、その名を知らない人も多いかもしれないが、かつて中日のエースだった人だ。ただ、前述の北別府とは30歳ほど年齢が違う事からも察せられるように、かなり前の人である。が、ある意味、北別府以上の実績を残した選手と言えるかも。謹んでご冥福をお祈り致します。
杉下茂。1949年に中日ドラゴンズに入団し、一年目のシーズンは8勝に終わるも、翌年からは6年連続で20勝以上を記録(つーか、この6シーズンだけで168勝!)、中日での10シーズンで通算211勝を挙げ、この数字は後に山本昌に破られるまで、50年近くも球団最多記録だった。その後、1959年と1960年の2シーズンは監督兼選手として中日に在籍したが選手としては記録なし、1961年に大毎(現在のロッテ...かな。笑)へ投手コーチとして移籍して、現役復帰して4勝をマークし、生涯通算215勝とした。数字だけなら北別府とほぼ同じ。
杉下と言えば、なんと言っても1954年の中日の初優勝である。この年、杉下は32勝12敗防御率1.39という圧倒的な成績を挙げて投手部門のタイトルを総なめにし、中日の優勝に貢献してMVPを獲得した。その勢いを日本シリーズでも持続し、西鉄ライオンズ相手に7試合中5試合に登板して4試合で完投、3勝1敗の成績で中日を初の日本一に導きシリーズMVPとなった。
現役引退後は、阪神や中日の監督となったが、あまりいい成績は残せなかったようだ。その後、野球解説などやりつつ、1985年に野球殿堂入りしている。僕が中日愛(笑)に目覚めたのは、1974年の中日20年振りの優勝を経験してからだが、その時点で20年前の優勝時のエースが杉下だった訳で、申し訳ないが、当時は名前すら知らないし、もちろんプレーだって見た事はない。思い起こせば1982年、この年中日はリーグ優勝し、日本シリーズで西武と対戦したが、この時のシリーズ第4戦を西武球場まで見に行った事がある。その際購入したパンフレットに、過去の日本シリーズの歴史が第1回から詳しく掲載されていて、それを見て杉下という人は凄いピッチャーだったのだ、と遅まきながらようやく理解した。もっとも、そのパンフレットを見て知ったのだが、1950年代のプロ野球のピッチャーって、凄い人がたくさんいて、稲尾や杉浦は別格だけど、決して杉下だけが凄かった訳ではない。凄い時代だったなぁ、と1982年当時も思ったくらいで、今の感覚だとイメージ出来ないかも。ま、野球自体が違ってたというのもあるけどね。どっちがいいかはともかく。
杉下は、”フォークボールの神様"と言われていたが、実はフォークは1試合完投しても数球しか投げてなかった、とか、学生の頃から野球やってて、それなら肩も強いだろう、と徴兵されてから手榴弾遠投大会みたいなのに指名されて出場したものの、実は野球やってたけど弱肩で、そんな事言えないので、隠れて一所懸命練習してたら肩が強くなった、とか、なかなかに昔の人らしいエピソードの持ち主でもある。
北別府と杉下、正に新旧の大エースの訃報が同時に入ってきたのは、きっと何か意味があるのに違いない。あの頃とは、プロ野球も随分変わってしまった。そして、あの頃を象徴していた名選手たちが次々といなくなっていくのは、本当に寂しいものだ。仕方ないのは十分分かってるけど。
余談だが、ここ何年もプロ野球を以前ほど見てないので、当然、各チームの選手たちも知らない人が多い。世代交代しているので当たり前なのだが、反面、監督は皆知ってる人で現役の姿を見ている人たちばかり。そういうのを見ていると、監督は若返ってる感じはしない。皆さん高齢という感じでもないけどね。調べてみると、僕より年上は2人だけで、あとは60年代生まれが5人、70年代生まれが5人となっている。一番若い人で1977年生まれなので現在46歳。もう少し若い監督がいてもいいのでは、と思ったりする。あの星野仙一だって、初めて中日監督に就任した時は39歳だった。そろそろ80年代生まれの監督が登場してもいいのでは。ま、僕がプロ野球をよく見ていた時期の監督たちも、考えてみれば、当時の自分の父親と同世代と思われる人が多かったけどね^^; それと、昔と比べると、選手寿命が長くなってるような気もするので、指導者が現役引退後の仕事とするなら、若い監督は誕生しにくくなってる、というのはあるかも。
北別府学氏と杉下茂氏、ともにプロ野球の歴史に大きな足跡を残した大投手である。安らかにお眠り下さい。