「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

遠野郷舘めぐり②・神成舘

2005-11-25 19:16:57 | 歴史・民俗
 先日、難攻不落とされる比高170メートルといわれる宮守舘を攻略したが、この宮守舘の前身、宮守氏が当初居舘としたとされる上宮守西風地区の神成舘を今回、調査してきた。
 宮守氏を語るには、主舘の宮守舘のみならず、この神成舘の攻略も必要不可欠でありますが、今回は、たまたま地権者の方が舘跡一部の畑で作業をしており、色々とお話を伺うことが出来、今まで舘跡と考えていた場所、地元郷土史家が建てた標柱の位置が一部舘跡ながら本来の舘跡の場所でないこと、さらに新たなる発見をした次第でもあります。
 詳細は本サイトにて後日掲載いたします。

上記画像は神成舘一部から上宮守西風地区と主郭(右)を撮影

 この神成舘は、下記の画像にもあるように室町初期、三戸南部氏、南部守行が糠部(岩手県北、青森県)の軍勢を率いて遠野横田城救援に駆けつけ、この地で宿陣した場所と語られている。
 遠野へ攻め入った気仙勢が機先を制すべく横田城を囲みし軍勢の一部を差し向け、宮守在地の軍勢と共に南部軍に夜襲を敢行、南部勢は遠方からの遠征で疲れ、寝入ったところを急襲され散々に敗れて達曽部方面へ退却していったと伝えられております。



 それほど大規模でもなく、またよく残された遺溝群があるわけでもないが、旧宮守村の郷土史、史跡に対する姿勢は、標柱や案内板を含めて割りとよく整備されている方で私のような素人歴史家もどきにとってはたいへんありがたいものでもあります。また地元を知るという点では、子供達もいつも目にする案内板等があり、何気なくみている光景もいつしか、「あっ、あそこか、そういえばあったな」と将来思い出すこともあるきっかけとなるものでもあると思います。
 それにしても今日も山歩きで疲れました・・・。
コメント (2)
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