附馬牛町東禅寺地区内の館跡、第3弾は、昨年春から早めに探訪しようと心に思うもどうしても気乗りしないまま、春が過ぎ、秋が過ぎ、そして今年の冬は暖冬で、まさに好機だったのですが、この冬も流してしまいそれでも何処か心の中で気になる存在でもあった大萩の大館・小館探訪の巻です。
4月になってから、本来は大館・小館を探訪する意気込みで大萩地区に乗り込むも、比高120メートルの大館跡がある山野を遠巻きにすると意気消沈、しかしタダでは帰れないということで、むしろこちらの方が謎の館である角地山を探索、見事一発で探し当て探訪、さらに桑原の旧大野館を探訪、山一つを間違えての山野徘徊の末、たどり着くというよくあるパターン・・・・。
そしてこの界隈ラストを飾るには、やはり大萩の大館、小館しかあるまい・・ということで、意を決して山野に突入となりました。
大萩、角地山館跡の山野から撮影
大萩大館
それほど比高が高いとは思わないかもしれませんが、120メートル、やはり登りは辛かった・・・汗
土塁と空掘・・・北側
感想・・・・。
綾織町新里の西風館跡と似た館跡という印象。
北側が正面と思われ、山頂直下の上部に3段の帯郭、空掘は山頂背部から東西それぞれ下っているが、東側からのものは中央部の帯郭下を横断するように(二重)通って西側の空掘と接続して竪堀となって下っている。
さらに東部分にも三重の空掘が確認できる。
そして壮観だったのは、山頂背部(南)の堀切、全部で大小合わせて五重の空掘が残されている。
しかも主郭側の高さ(深さ)は遠野最大級、幅も大きいものでした。
中央付近、東から西を横断する空掘
主郭背部の堀切
残念ながら西風館同様、空掘は藪や笹竹に覆われているが、一応4重の堀跡が確認できると思います。
外側2本の空掘跡
山頂からは北には薬師、早池峰が西には石上がみえる。
空掘が見事、遠野でも数、大きさはトップクラス、今回探訪しての感想でもあります。
山頂南側は数年前に伐採作業が行なわれ、木々が無い状態ですが、やはり他の山城同様、作業林道が付けられ、一部空堀跡やら帯郭といった遺溝が破壊あるいは拡張された形跡でもあります。
大萩小館
大館の北東、隣接した山野であり比高50メートル
東側に展開の帯郭
背部の空掘跡は一部確認、林道となっている。
北側斜面は牛の放牧地となっており、頂部平場の端から有刺鉄線が張り巡らされ探訪はしなかった。
東側部分に4段の帯郭が残されている。
大館と小館は、セットとして見るべきと思いましたし、大館が本郭、小館は支城や出城といった類ではなく、大館の二の郭(二の丸)であろうと考えております。
館主・大萩円源と館
大萩円源、やはり阿曾沼氏関連では、館跡関連資料以外は聞かぬ人物でもある。
古刹東禅寺至近の館跡でもあり、寺院縁の人物か或いは出家した武士だったのだろうか、しかし、館跡の構えは附馬牛町内では最大級であり、単なる交通軍事の要衝とそれ以外の何か重要な位置づけが隠されている感覚でもあります。
築、使用年代は明らかに阿曾沼時代、しかも戦国という印象がかなり強く残る館跡であり、まさに遠野型規格そのままという構えである。
西側の石上山と目線が同じような感覚、しかも手に取るように見え、空掘含み壮観な光景が広がる好印象の館跡でもありました。
4月になってから、本来は大館・小館を探訪する意気込みで大萩地区に乗り込むも、比高120メートルの大館跡がある山野を遠巻きにすると意気消沈、しかしタダでは帰れないということで、むしろこちらの方が謎の館である角地山を探索、見事一発で探し当て探訪、さらに桑原の旧大野館を探訪、山一つを間違えての山野徘徊の末、たどり着くというよくあるパターン・・・・。
そしてこの界隈ラストを飾るには、やはり大萩の大館、小館しかあるまい・・ということで、意を決して山野に突入となりました。
大萩、角地山館跡の山野から撮影
大萩大館
それほど比高が高いとは思わないかもしれませんが、120メートル、やはり登りは辛かった・・・汗
土塁と空掘・・・北側
感想・・・・。
綾織町新里の西風館跡と似た館跡という印象。
北側が正面と思われ、山頂直下の上部に3段の帯郭、空掘は山頂背部から東西それぞれ下っているが、東側からのものは中央部の帯郭下を横断するように(二重)通って西側の空掘と接続して竪堀となって下っている。
さらに東部分にも三重の空掘が確認できる。
そして壮観だったのは、山頂背部(南)の堀切、全部で大小合わせて五重の空掘が残されている。
しかも主郭側の高さ(深さ)は遠野最大級、幅も大きいものでした。
中央付近、東から西を横断する空掘
主郭背部の堀切
残念ながら西風館同様、空掘は藪や笹竹に覆われているが、一応4重の堀跡が確認できると思います。
外側2本の空掘跡
山頂からは北には薬師、早池峰が西には石上がみえる。
空掘が見事、遠野でも数、大きさはトップクラス、今回探訪しての感想でもあります。
山頂南側は数年前に伐採作業が行なわれ、木々が無い状態ですが、やはり他の山城同様、作業林道が付けられ、一部空堀跡やら帯郭といった遺溝が破壊あるいは拡張された形跡でもあります。
大萩小館
大館の北東、隣接した山野であり比高50メートル
東側に展開の帯郭
背部の空掘跡は一部確認、林道となっている。
北側斜面は牛の放牧地となっており、頂部平場の端から有刺鉄線が張り巡らされ探訪はしなかった。
東側部分に4段の帯郭が残されている。
大館と小館は、セットとして見るべきと思いましたし、大館が本郭、小館は支城や出城といった類ではなく、大館の二の郭(二の丸)であろうと考えております。
館主・大萩円源と館
大萩円源、やはり阿曾沼氏関連では、館跡関連資料以外は聞かぬ人物でもある。
古刹東禅寺至近の館跡でもあり、寺院縁の人物か或いは出家した武士だったのだろうか、しかし、館跡の構えは附馬牛町内では最大級であり、単なる交通軍事の要衝とそれ以外の何か重要な位置づけが隠されている感覚でもあります。
築、使用年代は明らかに阿曾沼時代、しかも戦国という印象がかなり強く残る館跡であり、まさに遠野型規格そのままという構えである。
西側の石上山と目線が同じような感覚、しかも手に取るように見え、空掘含み壮観な光景が広がる好印象の館跡でもありました。