28日、29日実施予定の遠野郷城舘跡探訪、その下見的に市内を徘徊、未踏の館跡ひとつくらいもリストに入れてもよいかな、と思い、まずは青笹町瀬内の中沢館探し、六角牛神社入口付近で地元の方であろうご年配の男性に声掛けすると、小水内に通じる林道の左手が館跡と聞いたことがあるとのこと。
しかし、途中で行き止まりだから気をつけろのお言葉も頂戴し、愛車を走らせるも、それらしい雰囲気は掴めず、再訪と共に次は山野へ分け入るぞ・・・の思いを残して、土淵方面へ・・・・。
比較的探訪しやすいと前から考えていた西内館跡へ・・・・しかし、目印であるお稲荷さんが見つからない、しかも国道下から想像していた地形とはだいぶ雰囲気が違う、今一度資料に目を通すと水路跡や土台石、堀、山頂、原野に畑があることになっている。
水路、畑、原野はその通りだが、堀やお稲荷さんがない、それと館特有の形状もほとんど確認できない。
ここは職場の後輩の奥さんのご実家近くでもあり、情報は仕入れていたつもりであったが、出直しとなってしまった。
次に沢の口館、こちらは比高110メートル、腰の塩梅が・・・・尻込みしてしまい、山口方面へ逃げ去るように向かってしまった。
風が強い日ですが、天気もよく農家の方々の姿があちらこちらで見られます。
おっけったネゴ
(倒れた一輪車)・・・一輪車のことをネゴ車と言います。
ついでに「ぶれんど」で話題となった山口のホウリャウ
そして附馬牛町の小出に車を走らせ、館跡探訪で花館探訪以後で実は一番気にしていた館跡「館石館」・・・・春の早い時期や初冬では積雪等で行きつけない可能性があり、探訪は今時期が最適と判断しての探訪となりましたが、遂に発見に至らず・・・・。
何が気になるかといえば、大型段丘5段が残されているということ、しかも空掘や土塁も残されていると資料に記されていること、大型段丘といえばどれほど凄いのか是非にこの目で確かめてみたかったのですが、山々が連なる場所柄、林道徘徊だけでは見つかるはずもありません・・・・汗
いずれ、早池峰への道を考えれば、中世の頃も道は猿ヶ石川沿いにあったと思うのですが、館もその近辺と考えてしまいがち、どうやら山深き場所にありそうな雰囲気、こちらはプー公に気をつけながら、是非に探し当てたいと思います。
おまけ
某所にこのほどオープン、凄いところに開店しましたが、私だったら一次会に此処でカラオケをして二次会は街のお店でまたもやカラオケ・・・かな・・・笑
しかし、途中で行き止まりだから気をつけろのお言葉も頂戴し、愛車を走らせるも、それらしい雰囲気は掴めず、再訪と共に次は山野へ分け入るぞ・・・の思いを残して、土淵方面へ・・・・。
比較的探訪しやすいと前から考えていた西内館跡へ・・・・しかし、目印であるお稲荷さんが見つからない、しかも国道下から想像していた地形とはだいぶ雰囲気が違う、今一度資料に目を通すと水路跡や土台石、堀、山頂、原野に畑があることになっている。
水路、畑、原野はその通りだが、堀やお稲荷さんがない、それと館特有の形状もほとんど確認できない。
ここは職場の後輩の奥さんのご実家近くでもあり、情報は仕入れていたつもりであったが、出直しとなってしまった。
次に沢の口館、こちらは比高110メートル、腰の塩梅が・・・・尻込みしてしまい、山口方面へ逃げ去るように向かってしまった。
風が強い日ですが、天気もよく農家の方々の姿があちらこちらで見られます。
おっけったネゴ
(倒れた一輪車)・・・一輪車のことをネゴ車と言います。
ついでに「ぶれんど」で話題となった山口のホウリャウ
そして附馬牛町の小出に車を走らせ、館跡探訪で花館探訪以後で実は一番気にしていた館跡「館石館」・・・・春の早い時期や初冬では積雪等で行きつけない可能性があり、探訪は今時期が最適と判断しての探訪となりましたが、遂に発見に至らず・・・・。
何が気になるかといえば、大型段丘5段が残されているということ、しかも空掘や土塁も残されていると資料に記されていること、大型段丘といえばどれほど凄いのか是非にこの目で確かめてみたかったのですが、山々が連なる場所柄、林道徘徊だけでは見つかるはずもありません・・・・汗
いずれ、早池峰への道を考えれば、中世の頃も道は猿ヶ石川沿いにあったと思うのですが、館もその近辺と考えてしまいがち、どうやら山深き場所にありそうな雰囲気、こちらはプー公に気をつけながら、是非に探し当てたいと思います。
おまけ
某所にこのほどオープン、凄いところに開店しましたが、私だったら一次会に此処でカラオケをして二次会は街のお店でまたもやカラオケ・・・かな・・・笑