「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

秋仕舞と冬仕度

2007-11-12 19:48:47 | 遠野
 秋仕舞い・・・・

 稲作農家だった我家、この時期、親父は農機具類の手入れ、母親や祖母は畑の作物の大方の収穫と枯木、枯草の除去を行い、家の周囲をサッパリと清掃して、一応に一年の農作業の区切りとしておりました。
 無論、農家の業態によって、それぞれ秋仕舞の時期は違いはありますが、大方、今時期だったと記憶しております。

 夜は、家族でそれなりのご馳走をいただき、無事に農作業を終えた喜びを分かち合った・・・はずです。(ご馳走はカレーライスか鶏汁だったような)






 農家でなくなった我家、農機具のほとんどは保有しておらず、よって一番使用頻度が高かった草刈機械の燃料を抜き、エンジンを回した後に軽く乾拭きして小屋に終い込んだ。
 
 それと庭を軽く清掃して、自分流の我家の秋仕舞といたしました。




○冬支度・・・わしぇ垣(わしぇがき・ましぇがき)

 自分の冬支度としては、車のタイヤ交換を行えば一応に冬支度が成ったという位置付けですが、昔の我家の冬仕度といえば「わしぇ垣」を結っていたこと。

 冬期間、天ヶ森、矢崎山から吹き降ろす北西の寒風、そして吹雪、何も遮るものがない場所にある我家、ましてや隙間だらけで今考えればかなり冷え込んだ我家、わしぇ垣を結って寒さを凌いでいたといっても過言ではない。

 当時の集落内を思い起こしてみると我家の他に数軒わしぇ垣をからくっていたという記憶はあるが、そう多くは見た記憶はない。

 しかし、未だに市内の何処かのお宅で、わしぇ垣を結っている家があるのではないのか、少し時期が早いような気がしたが、秋仕舞を終えた午後に綾織、宮守、附馬牛を回ってきたが、発見に至らず・・・・。

 唯一、附馬牛町内の某所でそれなりの雰囲気のお宅を発見・・・・。



 少しこじんまりとしているが、こんな感じだった。

 
※萱や葦を大きなすだれ状にしたものと藁を組み合わせて、杭、ハセをからくって、垣根といいますか塀状にしたものを「わしぇ垣」と言っていた。


 イメージ



 こんな感じ・・・・笑


 いずれ私が高校生の頃まで、わしぇ垣を結っていたが、窓類がアルミサッシとなって、気持ち的に格段と家の中が暖かくなったと感じた・・・笑・・・今考えると気のせいと思われる・・・汗


 わしぇ垣結いは、秋仕舞と前後して行われたような、落ちたゴンドを弟と二人で拾い集めを命じられた記憶があるので、秋仕舞の前日か・・・?


 今ではみられなくなった光景と今更ながら懐かしく思い起こしております。





 おまけ

 先日、遠野郷八幡宮で宮古の黒森神楽が演じられましたが、遠野ぶれんどの何人かも観賞されたということで、各ブログにその模様がエントリーされておりますが、その中で、黒森神楽の師匠の供養碑が福泉寺にあるという内容があって、私自身、初耳であり気になっていたので、早速聴取して参りました。


 どうやら塔婆のようです。
 佐○姓の方で、福泉寺の信徒さんとのこと。
 黒森神楽と福泉寺の接点はないようですが、現住職も先代住職共に下閉伊郡(川井村小国)のご出身で、宮古地方にも親類等もいて、こういった関係から信徒となられたものと推測しております。




 この塔婆の中のどれかということですが、文字が消えかかっていて確認できず・・・・。

 亡き親父は駒木神楽の太夫でありましたし、神楽保存会最後の会長でもありました、また昭和30年代まで海岸地方の巡業にも出かけていたともいわれ、接触はなかったと思いますが、福泉寺を中心に何か関係はあったような気がいたします。

 
 
 
コメント (8)
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