天気も上々ながら、風が強く冷たい、しかし、館跡探訪にはまずまずの天候でもあり、本日は綾織町砂子沢地区の館跡2箇所を探訪調査いたしました。
早池峰山
駒木から・・・・。
砂子沢地区の館跡としては・・・・
館森・館・中沢山蝦夷屋敷・道明院・万蔵坊・鴨館・西門館と資料には示されている。
この界隈では西門館のみ探訪調査を実施しておりますが、規模や遺構の残存度等を考えるに、今すぐ探訪しなくてもよい的な思いでもありました。
しかし、例の資料を入手したことにより、この界隈の館跡をみておりますと、鴨館と万蔵坊(横内館)が、良い感じで図面に描かれており、風も強いこともあるので、里に近い館跡探訪ということにして出撃して参りました。
○鴨館
前景
館跡の一部
図面によると北側から西、南を巻く空掘が2本あることになっているが、確かに確認しております。
ほぼ図面通りでもありますが、山頂付近の帯郭的な平場等は確認できず、また空掘は2重であった。
空掘跡
鴨館要図
「遠野市における城、館、屋敷跡調査報告書」掲載の図から転用。
さて、砂子沢地区の住所表示は「みさ崎」であるが、この「みさ崎」内の鴨館も鳥の名が使われている。
上記の資料をまとめあげたお二人の郷土史家もこの点に注目、さらに蝦夷時代の屋敷跡やら修験と思われる人物の屋敷跡、奥地の石上(石神)、さらに阿曾沼入部以前の土豪といわれるみさ崎氏・・・・知られざる歴史が眠っている雰囲気でもあります。
また狭い一地域に7つの館跡、これもまた何かしらの歴史を伝えるものと思うところもあり、難しいですが、今後の課題として取り組むことになりそうです。
と、言っても「何から、どのように、何を・・・」難しいかもしれません・・・汗
○万蔵坊(横内館)
資料の図面、そして解説をみていると、もの凄い期待感が沸いてきた館跡でもありました。
ひょっとすると遠野郷随一の館域面積を誇る大規模城館なのか?そんな思いが募る場面でもありました。
まずは例の資料の図面を・・・・
まずは国道396、遠野から来れば右に砂子沢横内へ入る道の上にみえる牧草地から山野に突入。
まずは稲荷社を探すことから始めたが、入って間もなく杉林の中に鎮座しているのを発見。
社の回りは段差が数段確認され、少し上方の小山には帯郭も確認できる。
間違いなく館跡と判別いたしました。
稲荷社
稲荷社の後方は比較的緩やかな山野となっているが、こちらも館跡と思える形状が確認できる。
間もなく図面に記されているA部分の空掘と遭遇しますが・・・・
すわっ・・・大きな空掘だっ・・・と一瞬目を疑いました。
これは私が見た中では遠野で一番大きい空掘であると思いましたが・・・・どうもイマイチ雰囲気が・・・・しかし、資料にある通りのルートを辿っている、半信半疑のまま、さらに上方へ・・・・。
帯郭
段差のある形状は割と確認できる、この帯郭部分は図面のA空堀が大きくギックラとカーブするところの間になるのですが、この辺から図面との違いが・・・・
そして図面での空掘跡は山頂に向かってほぼ真っ直ぐに伸びておりますが、実際は図の点線のように蛇行といいますか、つづら折みたいになっております。
この辺りから堀ではなく道ではないのか?と思い始めてました。
見た目は立派な空掘なんですがね・・・・?
結局、道跡?堀跡?を辿って図面のB地点の林道まで至る。
おかしいと思いながらも、既に調査され報告されている内容でもあり、きっと山頂背部には図のように空掘は逆側に下っているに違いないと思い、斜面を横断して右側の空掘確認をする。
確かに沢か掘か区別の付かない大きな溝が駆け下っている。
この溝が山頂から巻くようにして下りて来ているものなのか?・・・本来は確かめるべきなのですが、かなりの高さの地点、流石に疲労困憊、しかも何か獣臭い、それと携帯電話を家に忘れて来てしまい何かの際に連絡が取れない・・・・不安が脳裏をよぎる・・・・大汗
疲労困憊、いくら館めぐりでの山野徘徊を数多く経験しているとはいえ、続石に疲れた、間もなく山頂といった場面ながらも撤退といたしました。
おそらく空掘は図の通りとなっているものと思います。
でも、点線の通りなのですがね・・・・?
余談ですがボブスレーのコースには、うってつけなんですがね・・・笑
万蔵坊・・・
修験関係の人物かと思いますが、堀(道)は大久保集落、聞称寺方面へ下っております、寺との関係はあるのか?・・・ただ万蔵坊の屋敷がこの館跡の中にあったという伝承のみ・・・
いずれ堀跡なのか堀を利用した道なのかは不明ながら、この道跡が山頂から左右に下っていたとしたら、そして堀跡としたら、遠野でも有数な館域面積を有する大規模な館跡と成り得ます。
ここに来て難しい館跡を探訪してしまいましたが、一人では再訪出来そうにありません。
ですから、後回ではなく、資料の通りだと思います・・・・汗
おまけ
中腹で出合った「鯱頭石」・・・笑
早池峰山
駒木から・・・・。
砂子沢地区の館跡としては・・・・
館森・館・中沢山蝦夷屋敷・道明院・万蔵坊・鴨館・西門館と資料には示されている。
この界隈では西門館のみ探訪調査を実施しておりますが、規模や遺構の残存度等を考えるに、今すぐ探訪しなくてもよい的な思いでもありました。
しかし、例の資料を入手したことにより、この界隈の館跡をみておりますと、鴨館と万蔵坊(横内館)が、良い感じで図面に描かれており、風も強いこともあるので、里に近い館跡探訪ということにして出撃して参りました。
○鴨館
前景
館跡の一部
図面によると北側から西、南を巻く空掘が2本あることになっているが、確かに確認しております。
ほぼ図面通りでもありますが、山頂付近の帯郭的な平場等は確認できず、また空掘は2重であった。
空掘跡
鴨館要図
「遠野市における城、館、屋敷跡調査報告書」掲載の図から転用。
さて、砂子沢地区の住所表示は「みさ崎」であるが、この「みさ崎」内の鴨館も鳥の名が使われている。
上記の資料をまとめあげたお二人の郷土史家もこの点に注目、さらに蝦夷時代の屋敷跡やら修験と思われる人物の屋敷跡、奥地の石上(石神)、さらに阿曾沼入部以前の土豪といわれるみさ崎氏・・・・知られざる歴史が眠っている雰囲気でもあります。
また狭い一地域に7つの館跡、これもまた何かしらの歴史を伝えるものと思うところもあり、難しいですが、今後の課題として取り組むことになりそうです。
と、言っても「何から、どのように、何を・・・」難しいかもしれません・・・汗
○万蔵坊(横内館)
資料の図面、そして解説をみていると、もの凄い期待感が沸いてきた館跡でもありました。
ひょっとすると遠野郷随一の館域面積を誇る大規模城館なのか?そんな思いが募る場面でもありました。
まずは例の資料の図面を・・・・
まずは国道396、遠野から来れば右に砂子沢横内へ入る道の上にみえる牧草地から山野に突入。
まずは稲荷社を探すことから始めたが、入って間もなく杉林の中に鎮座しているのを発見。
社の回りは段差が数段確認され、少し上方の小山には帯郭も確認できる。
間違いなく館跡と判別いたしました。
稲荷社
稲荷社の後方は比較的緩やかな山野となっているが、こちらも館跡と思える形状が確認できる。
間もなく図面に記されているA部分の空掘と遭遇しますが・・・・
すわっ・・・大きな空掘だっ・・・と一瞬目を疑いました。
これは私が見た中では遠野で一番大きい空掘であると思いましたが・・・・どうもイマイチ雰囲気が・・・・しかし、資料にある通りのルートを辿っている、半信半疑のまま、さらに上方へ・・・・。
帯郭
段差のある形状は割と確認できる、この帯郭部分は図面のA空堀が大きくギックラとカーブするところの間になるのですが、この辺から図面との違いが・・・・
そして図面での空掘跡は山頂に向かってほぼ真っ直ぐに伸びておりますが、実際は図の点線のように蛇行といいますか、つづら折みたいになっております。
この辺りから堀ではなく道ではないのか?と思い始めてました。
見た目は立派な空掘なんですがね・・・・?
結局、道跡?堀跡?を辿って図面のB地点の林道まで至る。
おかしいと思いながらも、既に調査され報告されている内容でもあり、きっと山頂背部には図のように空掘は逆側に下っているに違いないと思い、斜面を横断して右側の空掘確認をする。
確かに沢か掘か区別の付かない大きな溝が駆け下っている。
この溝が山頂から巻くようにして下りて来ているものなのか?・・・本来は確かめるべきなのですが、かなりの高さの地点、流石に疲労困憊、しかも何か獣臭い、それと携帯電話を家に忘れて来てしまい何かの際に連絡が取れない・・・・不安が脳裏をよぎる・・・・大汗
疲労困憊、いくら館めぐりでの山野徘徊を数多く経験しているとはいえ、続石に疲れた、間もなく山頂といった場面ながらも撤退といたしました。
おそらく空掘は図の通りとなっているものと思います。
でも、点線の通りなのですがね・・・・?
余談ですがボブスレーのコースには、うってつけなんですがね・・・笑
万蔵坊・・・
修験関係の人物かと思いますが、堀(道)は大久保集落、聞称寺方面へ下っております、寺との関係はあるのか?・・・ただ万蔵坊の屋敷がこの館跡の中にあったという伝承のみ・・・
いずれ堀跡なのか堀を利用した道なのかは不明ながら、この道跡が山頂から左右に下っていたとしたら、そして堀跡としたら、遠野でも有数な館域面積を有する大規模な館跡と成り得ます。
ここに来て難しい館跡を探訪してしまいましたが、一人では再訪出来そうにありません。
ですから、後回ではなく、資料の通りだと思います・・・・汗
おまけ
中腹で出合った「鯱頭石」・・・笑