雲が多かった午前中、嫁様も休みということで、街場の用足しに付き合うも、お昼頃から雲が消え青空が広がり出し、これは残り少ない館跡めぐりのチャンス到来とばかりに山野徘徊の承諾を得て・・・汗・・・何かあっても割と直ぐに帰って来れるよう近場の土淵町内の未踏の館跡を目指す・・・・。
○ 大楢館
小烏瀬川沿いの要衝という位置づけながらも、伝承では奥の大規模城館の出城との考察がなされ、大規模城館とは角城館にほかならない。
角城館の支城的役割と共に別な言い伝えでは「鐘衝場」とも呼ばれていたとか。
角城館までは尾根伝いに往来が出来そうな雰囲気、北へ直線距離で500メートル程か?。
いずれ、見張場的な館跡であったものと推察しております。
小烏瀬川・・・大楢橋から
例の資料の通り、北側の尾根を掘で立ち切り、前面である南斜面に5段の帯郭を配しただけの単純でこじんまりとした館でもあります。
しかし、川沿いの東側、谷となっている西側は急傾斜な斜面となっております。
雰囲気は本宿館(大楢館から川沿いに南へ1キロ)と似ている。
背後の掘切
ごじんまりしているが堀跡は結構立派でもあります。
前面(南斜面)の帯郭
帯郭というよりかつては空掘ではなかったか?そんな雰囲気もあります。
○ 柏崎館
さてさて、土淵町内の館跡で一番気になっていた館跡、なかなか場所の特定に苦慮しておりました。
別資料には、高室山を背後とする三角形の山・・・と記されており、これは「たかむろ水光園」辺りの山野に違いないと考えていた。
となるとこの山・・・・画像中央の山
しかし、町内の別な館跡探訪時に地元民から三角形の山なら「象坪山にきまっているべ」と言われ、確かに三角形の山であり、小烏瀬川沿いやら柏崎、本宿方面を見渡す絶好ロケーション・・・・しかも遠野ぶれんど仲間の山猫氏が象坪山を探訪した際の画像を見ると「愛宕社」が・・・・館跡と社、この関係からも象坪山が柏崎館であろうという線が濃厚となっておりました。
昨冬、暖冬に誘われ小生も象坪山を探索、しかし、館跡と思しき遺構等は見つけられず、山口館を築いて柏崎館を去った館主・山口修理・・・山口地域との関連から館山は山口側の斜面か?そんな思いもあって、山猫さんの来遠時には是非に共に探訪を・・・・と確か約束していたような・・・・?
その後、例の資料の一覧表をよく見ると地割は山口となっている。
住宅地図を調べると水光園の背後辺りの雰囲気、さらに柏崎に住む同級生の情報によると集落共同墓地がかつての柏崎館跡で墓地造成で破壊したとのこと・・・・これですっかり頭の中が混乱、自分の中では幻の館跡「柏崎館」となってしまいました。
2月に再度資料を確認、キーワードは古峰社、山猫氏来遠時に強力助っ人の笛吹童子さん、アバウトさんを加えての宝領探しで柏崎館跡とされる墓地近くの社も探訪、その際は館跡であった痕跡、古峰社もみえず、これはやはり水光園の近在に存在しているのではないのか?そんな思いが募る場面でもありました。
さて、前置きが長くなりましたが、この度入手したさらに詳しい資料には、はっきりと、たかむろ水光園南東の三角形の山と記述されており、これは小生が当初怪しいと疑っていた山野である可能性が極めて強いものであり、むしろ確信へと変った次第でもあります・・・汗
ということで、水光園入口の山口方面へ下る辺りの登口から山頂を目指しました。
山頂
資料には、水の便が悪く下方から水汲みに往来した道跡、古峰神の石碑が一柱有と書かれていたが、山頂は自然石が多くて、どれが石碑なのか見分けがつかず、それと、どうやら古峰社は柏崎の麓にあるようです。
また遺構としては北斜面に7段の帯郭が残されていると記されているが確かに北斜面には、それとわかる段状の地形が確認できる。
さらに西斜面(水光園)にも、5段程度の階段状の形状が確認でき、北側から取り巻くように繋がっている形状でもある。
後の時代に付けられた林道にも思えるが、北側から辿れば帯郭とはっきりとわかる。
おそらく近年にそのまま道として利用したのだろう・・・。
また南斜面にも小さめの帯郭が2~3段確認できる。
北側の帯郭
西側(水光園)の帯郭
大岩といいますか大石が結構斜面にも点在している
なんか名が付けられている石なのかは不明。
ということで、結構苦慮していた柏崎館もなんとか探訪しましたが、何故に館主の山口修理は山口方面へ移動したのか?
資料には遠望は利くが綾織、遠野方面からの風が真っ向に当り、それ故に北側を前面とした段丘を作ったのではないのか?と見解が述べられている。
単に館主一族の生活地として適さなかっただけではなく、山口方面が重要な局面を迎えていた、その兆しがあったためと私は考えたい・・・・沿岸ルートの重要性、産鉄・・・色々と妄想も膨らみますが、今宵はここまでといたします・・・・笑
おまけ・・・
たかむろ水光園まで来たということは・・・・
館跡探訪の後は当然ながら「湯っこ」で汗を流し「さぱっ」として帰りました
・・・笑
北の空にオリンパスブルー
付記・・・
この晩秋、初冬シーズンの館めぐりをはじめて約2週間、6度の山野徘徊となりますが、味覚の秋で貯えられた小生のお腹の肉、かなり気になつておりましたが、山野徘徊のおかげかどうかはわかりませんが、かなり肉が落ちました・・・笑
体重も3キロほど落ちました・・・・見た目は変わりなしですが・・・汗
○ 大楢館
小烏瀬川沿いの要衝という位置づけながらも、伝承では奥の大規模城館の出城との考察がなされ、大規模城館とは角城館にほかならない。
角城館の支城的役割と共に別な言い伝えでは「鐘衝場」とも呼ばれていたとか。
角城館までは尾根伝いに往来が出来そうな雰囲気、北へ直線距離で500メートル程か?。
いずれ、見張場的な館跡であったものと推察しております。
小烏瀬川・・・大楢橋から
例の資料の通り、北側の尾根を掘で立ち切り、前面である南斜面に5段の帯郭を配しただけの単純でこじんまりとした館でもあります。
しかし、川沿いの東側、谷となっている西側は急傾斜な斜面となっております。
雰囲気は本宿館(大楢館から川沿いに南へ1キロ)と似ている。
背後の掘切
ごじんまりしているが堀跡は結構立派でもあります。
前面(南斜面)の帯郭
帯郭というよりかつては空掘ではなかったか?そんな雰囲気もあります。
○ 柏崎館
さてさて、土淵町内の館跡で一番気になっていた館跡、なかなか場所の特定に苦慮しておりました。
別資料には、高室山を背後とする三角形の山・・・と記されており、これは「たかむろ水光園」辺りの山野に違いないと考えていた。
となるとこの山・・・・画像中央の山
しかし、町内の別な館跡探訪時に地元民から三角形の山なら「象坪山にきまっているべ」と言われ、確かに三角形の山であり、小烏瀬川沿いやら柏崎、本宿方面を見渡す絶好ロケーション・・・・しかも遠野ぶれんど仲間の山猫氏が象坪山を探訪した際の画像を見ると「愛宕社」が・・・・館跡と社、この関係からも象坪山が柏崎館であろうという線が濃厚となっておりました。
昨冬、暖冬に誘われ小生も象坪山を探索、しかし、館跡と思しき遺構等は見つけられず、山口館を築いて柏崎館を去った館主・山口修理・・・山口地域との関連から館山は山口側の斜面か?そんな思いもあって、山猫さんの来遠時には是非に共に探訪を・・・・と確か約束していたような・・・・?
その後、例の資料の一覧表をよく見ると地割は山口となっている。
住宅地図を調べると水光園の背後辺りの雰囲気、さらに柏崎に住む同級生の情報によると集落共同墓地がかつての柏崎館跡で墓地造成で破壊したとのこと・・・・これですっかり頭の中が混乱、自分の中では幻の館跡「柏崎館」となってしまいました。
2月に再度資料を確認、キーワードは古峰社、山猫氏来遠時に強力助っ人の笛吹童子さん、アバウトさんを加えての宝領探しで柏崎館跡とされる墓地近くの社も探訪、その際は館跡であった痕跡、古峰社もみえず、これはやはり水光園の近在に存在しているのではないのか?そんな思いが募る場面でもありました。
さて、前置きが長くなりましたが、この度入手したさらに詳しい資料には、はっきりと、たかむろ水光園南東の三角形の山と記述されており、これは小生が当初怪しいと疑っていた山野である可能性が極めて強いものであり、むしろ確信へと変った次第でもあります・・・汗
ということで、水光園入口の山口方面へ下る辺りの登口から山頂を目指しました。
山頂
資料には、水の便が悪く下方から水汲みに往来した道跡、古峰神の石碑が一柱有と書かれていたが、山頂は自然石が多くて、どれが石碑なのか見分けがつかず、それと、どうやら古峰社は柏崎の麓にあるようです。
また遺構としては北斜面に7段の帯郭が残されていると記されているが確かに北斜面には、それとわかる段状の地形が確認できる。
さらに西斜面(水光園)にも、5段程度の階段状の形状が確認でき、北側から取り巻くように繋がっている形状でもある。
後の時代に付けられた林道にも思えるが、北側から辿れば帯郭とはっきりとわかる。
おそらく近年にそのまま道として利用したのだろう・・・。
また南斜面にも小さめの帯郭が2~3段確認できる。
北側の帯郭
西側(水光園)の帯郭
大岩といいますか大石が結構斜面にも点在している
なんか名が付けられている石なのかは不明。
ということで、結構苦慮していた柏崎館もなんとか探訪しましたが、何故に館主の山口修理は山口方面へ移動したのか?
資料には遠望は利くが綾織、遠野方面からの風が真っ向に当り、それ故に北側を前面とした段丘を作ったのではないのか?と見解が述べられている。
単に館主一族の生活地として適さなかっただけではなく、山口方面が重要な局面を迎えていた、その兆しがあったためと私は考えたい・・・・沿岸ルートの重要性、産鉄・・・色々と妄想も膨らみますが、今宵はここまでといたします・・・・笑
おまけ・・・
たかむろ水光園まで来たということは・・・・
館跡探訪の後は当然ながら「湯っこ」で汗を流し「さぱっ」として帰りました
・・・笑
北の空にオリンパスブルー
付記・・・
この晩秋、初冬シーズンの館めぐりをはじめて約2週間、6度の山野徘徊となりますが、味覚の秋で貯えられた小生のお腹の肉、かなり気になつておりましたが、山野徘徊のおかげかどうかはわかりませんが、かなり肉が落ちました・・・笑
体重も3キロほど落ちました・・・・見た目は変わりなしですが・・・汗