このところ良い天気が続いてますが、小生の休みと晴天が重なったということで、この時期恒例の城館跡探訪を本格的に開始いたしました。
ただ、左肩痛が残るため、山野の登り下りが必須の山城跡探訪は、しばし見合わせることにして、まずは数は少ないのですが、平城や平山城系を訪ねて様子見ということにしております。
早池峰山


早池峰山や薬師岳の麓的な附馬牛町ですが、皆さんご存知のように早池峰山が真っ向からはっきり見える場所が少ない地域ですが、おそらく町内一のビューポイントといっても過言はないと思います。
ということで、場所はこちらの上部・・・・

荒屋館跡・・・附馬牛町荒屋


空堀跡とか明確な帯郭跡を思わせる遺構は確認はできませんが、それでも僅かながら段差のある平場、変形した地形といったものが見られます。
近年、農地開墾等で段丘を削平したり、変形した田畑を作り直すといったこともあったと聞きますが、それでも大きく地形を崩すといったことはなかったとも言い、昔から屋敷跡があったという伝承等も存在するという・・・。
館主、築年代、使用年代不明とされますが、かつては荒屋地区には九日市が開かれていたと伝えられ、舘と共に市で賑わう集落が形成されていた時代があったものと考察もされている。

天ヶ森が控える地、荒屋・・・・舘と共に信仰的な事柄も先人史家によって考察され、館跡下はかつては湿地帯であり、近年まで沼も残されていたという。
水にちなむ古の遠野の館跡には、沼の御前の伝承があり、御前沼の祠が今も祀られている。
こうした御前沼の存在は市内に7箇所ともいわれますが、もう少し多いかもしれません。
御前沼の存在に館跡有り、沼の御前にちなむ信仰的な内容が古いのか、館があった時代が古いのかは、それともセットとして存在していたのか?いずれ今のところ不明でもあり判断も難しいのですが、いつかは史跡としての館跡の歴史と共に信仰が伴う内容も大きく関わらなければならない時が来るものと考えております。
荒屋の沼の御前 祠

水田の真ん中にある祠。
春と晩秋の時期しかおそらく市道からは目視できないものと思います。
やはり信仰に関わる第一は早池峰であろう・・・。
ただ、左肩痛が残るため、山野の登り下りが必須の山城跡探訪は、しばし見合わせることにして、まずは数は少ないのですが、平城や平山城系を訪ねて様子見ということにしております。
早池峰山


早池峰山や薬師岳の麓的な附馬牛町ですが、皆さんご存知のように早池峰山が真っ向からはっきり見える場所が少ない地域ですが、おそらく町内一のビューポイントといっても過言はないと思います。
ということで、場所はこちらの上部・・・・

荒屋館跡・・・附馬牛町荒屋


空堀跡とか明確な帯郭跡を思わせる遺構は確認はできませんが、それでも僅かながら段差のある平場、変形した地形といったものが見られます。
近年、農地開墾等で段丘を削平したり、変形した田畑を作り直すといったこともあったと聞きますが、それでも大きく地形を崩すといったことはなかったとも言い、昔から屋敷跡があったという伝承等も存在するという・・・。
館主、築年代、使用年代不明とされますが、かつては荒屋地区には九日市が開かれていたと伝えられ、舘と共に市で賑わう集落が形成されていた時代があったものと考察もされている。

天ヶ森が控える地、荒屋・・・・舘と共に信仰的な事柄も先人史家によって考察され、館跡下はかつては湿地帯であり、近年まで沼も残されていたという。
水にちなむ古の遠野の館跡には、沼の御前の伝承があり、御前沼の祠が今も祀られている。
こうした御前沼の存在は市内に7箇所ともいわれますが、もう少し多いかもしれません。
御前沼の存在に館跡有り、沼の御前にちなむ信仰的な内容が古いのか、館があった時代が古いのかは、それともセットとして存在していたのか?いずれ今のところ不明でもあり判断も難しいのですが、いつかは史跡としての館跡の歴史と共に信仰が伴う内容も大きく関わらなければならない時が来るものと考えております。
荒屋の沼の御前 祠

水田の真ん中にある祠。
春と晩秋の時期しかおそらく市道からは目視できないものと思います。
やはり信仰に関わる第一は早池峰であろう・・・。
