「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

師走の松崎

2005-12-14 13:17:01 | 遠野
 師走12月、まだ冬は始まったばかりと思っていたが、連日の雪模様と朝の冷え込み、厳冬期の1月に勝るような寒さでもあります。
 そんな中、仰天の事件が発生、また自身としても健康診断の二次検査へのご案内とあまりパッとしない昨今でもあります。

 さて、数回に分けて私の住む遠野市松崎町の師走の風景をお届けしたいと考えております。
 本日は、その一回目・・・・


雪の松崎舘(上松崎)
この時期、南斜面の松崎舘は、融けた部分と雪の部分が微妙に混じって、遠野独特の城舘の雰囲気がわかります。
段状に削られた地形がわかります。背面(北側)には見事な5重の空掘がございます。

 知り合いのセカンドブログにも掲載されてましたが、そことは違うサンタクロース・・・縄梯子で侵入を試みようとしております。
 もうすぐクリスマス、こういった絵、何故か微笑ましいといいますか、うれしくなります。
 暗いニュースを少しだけ忘れさせてくれます。    松崎町白岩


 松崎からみた土淵町方面・・・・


大柳とよばれる場所から撮影・・・十年程前までは小烏瀬川沿いに鬱蒼とした木々が生い茂る場所でもあり、駒木側から画像の場所は見えなかった。
 田圃の中にポツンと立つ、祠、木々が伐採され農道が出来てから初めて気が付いたあんばいです。
 
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天ヶ森

2005-12-11 11:24:38 | 遠野
 本格的な降雪、今季初の力が入った雪掻きに追われる・・・遠野市内各地の積雪量はそれぞれ違いはありますが、私の住む松崎町駒木地区は、約10センチの積雪、まだ少し探訪予定があった市内の舘跡調査は来春までお預けといったところかもしれない・・・・

天ヶ森・・・
 時折コメントをいただく、タマ千代さんやROMIさんにとっては、遠野三山での六角牛山、早池峰山がマイ六角牛というように話題となりますが、私にとってのマイ六角牛的な山は、天ヶ森でしょう・・・。


天ヶ森・・・標高756メートル・・・天狗森ともいわれる。

 朝起きて表に出れば、まず目に飛び込んでくるのは、矢崎山とその上方の天ヶ森・・何気ない風景ながら、毎日見ている風景でもあります。
 
我家から見た天ヶ森(頭しかみえません)

 遠野物語90話
 「松崎村に天狗森と云う山あり・・・・」地元の若者が真っ赤な顔の大男と相撲をとったが逆に投げ飛ばされて気を失った。
 その後、早池峰山の麓に村人達と萩刈に出掛けたが、この若者の姿が見えない、皆で探すと若者は手足をすべて抜き取られて死んでいた・・・「天狗森には天狗が多く居ると云うことは昔より人の知るところなり」。

 さらに天ヶ森は前薬師(薬師岳)の形に似ており、早池峰山及び薬師岳を仰ぎみれない地域にとっては、この天ヶ森が薬師岳の代わりとなる存在だったと伝えられており、天ヶ森に手を合わせていた昔の人々の姿が垣間見れる。

 
小烏瀬川、松崎舘跡の山と天ヶ森

 松崎舘の生活用水は、天ヶ森から沢水を引いていたといわれている。確かにそれと思われる水路跡とされる遺溝が残されております。

 今回の天ヶ森話題がマイ天ヶ森とどう関係あるかといえば、記述した内容とはほとんど関係ありませんが、ようするに私のマイ六角牛に相当する山は天ヶ森と言いたいだけです・・・

おまけ

こちらは松崎から見た六角牛山


追記・・・・
先月行った遠野菊池氏縁の城舘攻略
青笹の丑舘・上郷の板沢舘、刃金舘をアップいたしました。
よかったらこちらからどうぞ
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判定C・要二次検査

2005-12-10 19:00:40 | その他
 先月はじめに実施された健康診断、今までなんとかBの判定で乗り切ってきたが、ついにCの表示が・・・・それも3項目・・精密検査或いは再検査を医療機関にて行うようにという指示・・・・少しショックでもある。

 といっても、喫煙に偏食、さらに定期の運動をしている訳でもない、健康に良いことはほとんど何も気にせずに過ごしてきた。
 既に一応の平均寿命というやつの半分は過ぎており、登りきった坂を今は下っている途中、途中で転げ落ちて御終いなんていうことは無いだろうとタカをくくっていたが、こうして診断結果を突きつけられると、再検査もそうであるが、自身の健康管理について、考えざるをえない状況でもある。
 まっ、内心は、検診の結果が何かの間違いか、たまたま検診時の体調に関係しているのではと疑念を持つ気持ちが強いというのもホントのところでもあるし、要するに再検査、精密検査をしたくない、病院が嫌いなのである・・・。
 こんな人間は、時既に遅しの症状になってはじめてその重大さがわかるタイプなんだな・・なんて・・馬鹿みたいな、どうしようもない人間なんですよね。

 今回は、尿潜血・総コロステロール・中性脂肪がC判定・・・尿関連以外は食生活と適度な運動不足が招いた事柄、まだ死ぬには少し早い気もしている。とにかくここはまずは病院へなるべく早く行くことにします。
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憧れだった花巻・イーハトーブ

2005-12-09 13:02:54 | その他
 8日は職場の忘年会で花巻の志戸平温泉に一泊してきたが、何気なく買物や食事で出掛ける花巻、幼い頃の私には憧れの町でもありました。


志戸平温泉

 志戸平温泉・・・
 小学生の低学年の頃、厳しかった祖母をなんとか説得して、両親が弟と共に志戸平温泉に一泊で連れて行ってくれた。
 バスで遠野駅まで行き、列車で花巻駅へ、さらに路面電車が当時花巻にあって、確か花巻温泉に通じていたと記憶している。志戸平温泉へその路面電車で行ったかどうか記憶は定かではないが、とにかく温泉方面へは路面電車で行ったと思っている。
 志戸平温泉には遊園地と動物園があって、とにかく田舎者で幼い自分にとっては最も行きたい場所のひとつで、遊園地とはこの志戸平温泉のことを指していたといっても過言ではないっ、遊園地なんかに行けるような境遇ではなかったが、はじめて行った志戸平温泉の遊園地、まさに子供の天国、こんな楽しいところははじめてだ・・・・と以来ひとつの憧れでもありました。

 その後、学校行事、地域の行事でも何度か訪れたが、やはり楽しかった思い出が蘇ります。
  今は、そこに遊園地があったという痕跡は皆無ながら、園内にあったチンチン電車か何かのトンネル跡らしきものがあった。

 さらに花巻にはデパートがふたつあって、デパートなんぞ無かった遠野に暮していると、ほんと花巻が大都会にみえた。
 花巻デパートにマルカンデパート、欲しいものは買ってもらえなかったけど、エレベーターに乗っただけでも興奮した記憶があります。

 そして、いい歳したオヤジになった昨今、私の趣味に風呂めぐりがあるが、志戸平温泉も何度か日帰り入浴したことがある。
 数年前、スケベ根性丸出しで千人風呂(混浴)に入った。
 昔のギャルが結構入っていたが、それでも少し恥ずかしい・・・湯船に浸かっていると、湯煙の向うから女子大生らしい雰囲気の女性2人が入ってきた。少し違った感覚を察知したようだが、何か吹っ切るかのように、度胸を決めたのか、堂々と(隠すところは隠して)入ってきた。
 一瞬「ニヤリ」、見ているのに見ないふりをする自分、しっかりと見える・・・が彼女達が湯船に入ると、今度はこちらが湯船から出れない、なんか恥ずかしい気持ちが込み上げてくる、とにかく出たいけど出れない、見ていたはずなのに今度はこちらが見られる番、こんなとき、むしろ男の方が度胸がないかもしれないと正直思った。(自分だけか?)
 
 大人になっても憧れの花巻のお話しでした。

 おまけ(画像)

花巻市からみた岩手山



花巻といえば宮澤賢治
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和賀郡東和町

2005-12-06 16:11:11 | その他
 母親の誕生日ということで、ちょうど妻も休みであったので、誕生日プレゼントでも買って来ようということで、北上、花巻へと出かけて来た。





画像は東和温泉 

 北上で買物、買い忘れもあって花巻へ移動、ついでに宝くじも買って、東和を通って帰宅。
 まっ、花巻からの帰りは国道283号線がスタンダードですがね。

 この東和町、新遠野市とはお隣さんとなった訳ですが、間もなく・・来年一月には花巻市と合併(他に稗貫郡石鳥谷町・大迫町)となり、遠野は新花巻市とお隣さんとなります。
 宮澤賢治と遠野物語がより身近に、そして観光資源としても益々活発化する可能性もございます。
 まずはお隣さんとして、よろしくお願いしたいと思います。




上の画像は土沢の街並み

ただ、稗貫郡が消え、和賀郡も西和賀町のみ、上閉伊郡も今や大槌町のみ・・少しといいますか、かなりせつない思いもございます・・・涙

 さて、今回の東和町、私が管理します幕末関連サイトにお越しで、さらにこちらでも度々コメントをいただく羚英様のブログとリンクが成りまして、その記念といいますか、少し関連性があってアップした次第です。

 羚英さんは神奈川県川崎市在住ですが、川崎市は岩手県和賀郡東和町と友好都市で、毎年両市間の交流事業も盛んなようでもあります。中でも川崎の子供達が東和町を訪れ、農家にホームスティしながら農村の生活を体験するといったことも行われ、今年の秋は羚英さんのお子さんも東和町へ来たそうです。
 こういった関係から記事にしました。

 遠野人たる私の東和町の印象は、第一・田瀬ダム、第二・萬鉄五郎、第三・東和温泉・・・それと毘沙門さんくらいか・・・和賀郡というくらいですから遠野が阿曽沼時代は東和は和賀氏の領分だったはずです。
 さらに田瀬の一部は遠野領でもあって、今や隣接といっておりますが実は古からお隣さん同士だったのです。
 
 下の画像は、カブトムシ童夢と猿ヶ石川と東和町(東側から花巻方向を撮影)



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人見知り

2005-12-05 21:03:01 | その他
 本日夜は、この秋にお知り合いになられた方のお宅へ招かれ、忘年会といいますか、宴会?、私は郷土史関連の打ち合わせ兼軽く飲会と勘違いして、超普段着で出掛けてましたが、着いてびっくり、和服のご婦人方多数、男性も私のようにジャンパー引っ掛けて来ている方は皆無・・・並べられた料理も豪華、これにはすごく場違いであると意気消沈、無論お顔は見たことがある方々もいたが、話をしたことはないし、全く知らない方々も多数・・・私の性格からして、人見知り、大きな輪にはなかなか馴染めない、入り込めない、当初、呑もうかなと考えていたが、頃合を見計らって帰った方がよいのでは考え、飲酒はしなかった。

 こんな時こそ、自分をアピール・・・そこまで行かなくても色んな方々と会話を楽しみ、知り合いを多く作る・・・わかっていてもなかなかできない、丁度名梨さんも来ておりましたので、名梨さんが席をたったのに合せて私もお礼を述べて退席させていただきました。

 でもホストのお宅は、顔が広いといいますか、いいお付き合いをしているのだなあ~と、うらやましくもあり、こうして第二の人生を楽しまれている、すばらしいと感じた次第です。

 でも私には、なかなかできないな、こういったところから変えていかなくてはならないと思いますが、自分は自分のスタイル、これが良し悪いはあっても、当分はこのまま行くんだろうな・・・。

 画像は12月のネネ・・・雪のせいか、最近は外へは出ない。
 凛々しくなったというか、まさに若虎といった感じがしないでもないが、何故かカメラ用に大人しく写ってくれました。
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ぼがだべが?(嘘ですかね)

2005-12-03 20:03:08 | 遠野
 まとまった積雪、風雪と・・・真冬並みの遠野、路面も圧雪状態とかなり車の運転には気を使う、北国のドライバーとはいえ、まだまだ冬も序盤、圧雪路や凍結路の感覚も完全に戻っているものでもないっ、とにかく慎重に滑らないようハンドルを握る、アクセル、ブレーキを使いこなす、これが基本でもあります。

 さて、またまた史跡関連の内容で恐縮なのですが、拙ブログとリンクいただいております「アズプラン」さんのブログに「黄金の牛」の話が触れられておりましたが、その関連とはいかないまでも、当方が舘跡めぐり等で、時折聞く話しをふたつほど・・・・

 舘跡めぐりの際に多くの関係者に関わっているものでもないし、むしろ単独といっても過言ではありません。
 たまに土地所有者なり、地元の方と僅かながら接触することがありますが、共通して、舘山には金の牛が埋まっているとか、仏像が埋められているとか、よく見聞きいたします。
 それも近年、ほんとか嘘か、わかりませんが集落民こぞって山へ出かけ宝物探しを何度かした、祖父さんの代に一度、その前に一度、自分もしたことがあると古老は語ります。
 近所の松崎舘でも、山林所有者が同僚のお宅で、本家と分家とで舘山を分け合っているとか、以前、同僚に舘を調べたいので、「不定期ながら何度か山に入っていいか」と訪ねたことがあった。
 同僚は本家にも聞いてみるということで、その返事は金の牛が埋まっているという言い伝えにて、むやみに入山されては困る・・・しかし、これは冗談らしく、「金の牛があるので、ついでに探してもよい」とのこと。無論、見つけたら山分けでしょう・・・笑
 これと同じような話が宮守舘でもあった。

 さて、これがボガ(嘘)かホントのことかは、よくはわからないが、でもなんとなく惹かれる言い伝えでもあります。

 ちなみに舘跡のことを聞くと、時折、古老達は子供の頃、刀を見つけたとかよく聞かされます。
 実は私も母の実家(綾織西風舘)の裏山にて錆びた小刀(鞘や柄は無し)と冑を見つけたことがあった。
 今もなお、何かあるのではないかと実は期待しております・・・汗

画像は宮守舘(下宮守小沢)
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フィールドワークとしての史跡

2005-12-01 20:54:49 | 遠野
 早いもので師走、寒波も到来し、凍結路面も経験、いよいよ冬将軍本隊もやって来たと実感する昨今でもあります。
 
 12月ということで、否応無しに年末といった催物や行事が目白押しといった具合ですが、なんといっても忘年会、何かと理由をつけては忘年会が結構ありそうですが、今年は職場とサイト仲間、そして親戚、近所での3回~4回と決めているが、果たしてどうなることやら・・・・。

 さて、11月中頃から12月中頃までの約一ヶ月間、舘(城)跡めぐりの、ベストシーズンでもあります。
 無論、その年によって降雪の状況等、気象要件がマチマチでもあり、一概にはいえるものではありませんが、今までの経験上、必ず降雪があっても一ヶ月のうち、10日前後は小春日和の日があって、この時が千載一遇の好機でもあり、休みに当たっていれば一気にフィールドに飛びだすといったことでもあります。

 今年は単独にて5つの舘を踏破したが、時間があれば、もう3~5箇所は回りたいと考えているが、こちらもどうなることやら・・・・しかし、今年の春、そして初冬と結構いい感じでもあり、百以上あるといわれる遠野郷の舘跡、なんとか数年で踏破してみたい・・・その前に、資料という意味合いで舘一覧表を作成したいと考えている、こちらはなんとか来春までには完成させたいと心に誓っております。

 画像は青笹町の丑舘(臼舘)
 
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