作詞・作曲 あんべ光俊 唄、演奏 飛行船
時刻表の地図を指でなぞっていくと
心のアルバムにしまってた懐かしい駅に着く
最後の夏だから 思い出だけがほしかった
人を傷つけても それを思い出にした
遠野の街に 白い日記を ボストンバックに詰めてきた僕に
昔むかしの お伽話で ページを埋めてくれた君(注1)
明日は帰るという 月夜の晩の福泉寺(注2)
好きだと口づけた ススキの野辺よ
またいつか会えるかしらと そういって君は泣いた
きっと迎えに来るよと そう言って僕は黙った
駅までの道を 青いリンゴ(注3) をかじった
やけに酸っぱい味が今でも心にしみている
遠野の街を自転車に乗り 涼んだ笛吹峠で
この街が好きと言った君の目は 仔馬のように澄んでいた(注4)
あの街に帰りたい あの頃をやり直したい
今でも残っているだろうか 古い曲屋よ
あの街に帰りたい・・・・・
古い曲屋よ
月夜の晩の福泉寺ではございませんが、5月末の福泉寺
3月の笛吹峠・・・青笹方面を望む
注釈
「注1」 お伽話でページを埋めてくれた君
この女性(少女)は、「むがすあったずもな・・」・・祖父、祖母によりかなりの数の昔話を小さい頃より聞かされて育った環境にあったと思われます。
今現在ではおそらく「語りべ」になっているものと思われます・・・笑
「注2」 月夜の晩の福泉寺
一般観光客が月夜の晩の福泉寺を体験することは、特別なことがない限り不可能に近い・・・何故なら福泉寺は午後5時にて閉山され施錠されるからである。
我家からの通用口か隣のお宅の脇道なら侵入は不可能ということはないが、晩の福泉寺に侵入するのはほぼ賽銭ドロボウしかいない。
また第1駐車場(さわやかトイレ)及び山門(竜宮城みたいな建物)からの参道は誰でも入れるが、参道に至っては周囲が木々に囲まれ、月はほとんど見えない。
「月夜の晩の福泉寺・・・」ご相談に応じますよ・・・笑
「注3」 青いリンゴ・・・
青いリンゴ・・1970年代半ば、リンゴといえば「紅玉(まんこリンゴ)」がまだまだ主流であったが、青いリンゴで酸っぱい味・・・これは正式な品種はわかりませんが、子供の頃よく食べさせられ、我地域では「インド」と呼ばれていたリンゴだったと推測しております・・・汗
「注4」 自転車に乗り・・・笛吹峠
・・・君の目は 仔馬のように澄んでいた。
自転車で笛吹峠、これは行って行けないことはないが、辛く厳しい登りであり、途中・・といいますか、登り始めて早期に自転車から降りて押し歩きとなる公算が強い。
しかも下りは道が狭く急カーブの連続、絶対怖いはずである。というより事故発生率がぐ~んと高い。
少女の仔馬のような澄んだ目は疲労感漂う場面であり、逆に目が血走っていた可能性が高い・・・いずれ自転車での笛吹峠は青笹町の大草里から少し行った辺りが無難であろう・・・。
ということで、なんとも失礼は内容となりましたが、あんべ光俊さんファン及び遠野物語を愛する方々にはお詫び申し上げます。
また歌詞の間違いもあるかもしれません、歌いながら歌詞を綴ったものですから当方の記憶違いがあるかもしれません。
私のカラオケでの18番?が飛行船の「遠野物語」でありまして、お気に入りの曲です。
飛行船「遠野物語」1976年 夏 発売
時刻表の地図を指でなぞっていくと
心のアルバムにしまってた懐かしい駅に着く
最後の夏だから 思い出だけがほしかった
人を傷つけても それを思い出にした
遠野の街に 白い日記を ボストンバックに詰めてきた僕に
昔むかしの お伽話で ページを埋めてくれた君(注1)
明日は帰るという 月夜の晩の福泉寺(注2)
好きだと口づけた ススキの野辺よ
またいつか会えるかしらと そういって君は泣いた
きっと迎えに来るよと そう言って僕は黙った
駅までの道を 青いリンゴ(注3) をかじった
やけに酸っぱい味が今でも心にしみている
遠野の街を自転車に乗り 涼んだ笛吹峠で
この街が好きと言った君の目は 仔馬のように澄んでいた(注4)
あの街に帰りたい あの頃をやり直したい
今でも残っているだろうか 古い曲屋よ
あの街に帰りたい・・・・・
古い曲屋よ
月夜の晩の福泉寺ではございませんが、5月末の福泉寺
3月の笛吹峠・・・青笹方面を望む
注釈
「注1」 お伽話でページを埋めてくれた君
この女性(少女)は、「むがすあったずもな・・」・・祖父、祖母によりかなりの数の昔話を小さい頃より聞かされて育った環境にあったと思われます。
今現在ではおそらく「語りべ」になっているものと思われます・・・笑
「注2」 月夜の晩の福泉寺
一般観光客が月夜の晩の福泉寺を体験することは、特別なことがない限り不可能に近い・・・何故なら福泉寺は午後5時にて閉山され施錠されるからである。
我家からの通用口か隣のお宅の脇道なら侵入は不可能ということはないが、晩の福泉寺に侵入するのはほぼ賽銭ドロボウしかいない。
また第1駐車場(さわやかトイレ)及び山門(竜宮城みたいな建物)からの参道は誰でも入れるが、参道に至っては周囲が木々に囲まれ、月はほとんど見えない。
「月夜の晩の福泉寺・・・」ご相談に応じますよ・・・笑
「注3」 青いリンゴ・・・
青いリンゴ・・1970年代半ば、リンゴといえば「紅玉(まんこリンゴ)」がまだまだ主流であったが、青いリンゴで酸っぱい味・・・これは正式な品種はわかりませんが、子供の頃よく食べさせられ、我地域では「インド」と呼ばれていたリンゴだったと推測しております・・・汗
「注4」 自転車に乗り・・・笛吹峠
・・・君の目は 仔馬のように澄んでいた。
自転車で笛吹峠、これは行って行けないことはないが、辛く厳しい登りであり、途中・・といいますか、登り始めて早期に自転車から降りて押し歩きとなる公算が強い。
しかも下りは道が狭く急カーブの連続、絶対怖いはずである。というより事故発生率がぐ~んと高い。
少女の仔馬のような澄んだ目は疲労感漂う場面であり、逆に目が血走っていた可能性が高い・・・いずれ自転車での笛吹峠は青笹町の大草里から少し行った辺りが無難であろう・・・。
ということで、なんとも失礼は内容となりましたが、あんべ光俊さんファン及び遠野物語を愛する方々にはお詫び申し上げます。
また歌詞の間違いもあるかもしれません、歌いながら歌詞を綴ったものですから当方の記憶違いがあるかもしれません。
私のカラオケでの18番?が飛行船の「遠野物語」でありまして、お気に入りの曲です。
飛行船「遠野物語」1976年 夏 発売