「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

2011 遠野郷八幡宮例大祭、弐

2011-09-16 19:57:45 | 遠野

 壱に続き、弐は郷土芸能編

 

それにしても暑かった一日でした・・・!、残暑もそうでしたが、奉納団体の熱気、釜石の桜舞太鼓の渾身の演舞、素晴らしかったです・・・

 

 

 

午前11時頃になると、続々と参拝者含むお祭り見物の方々が増えてくる。

 

関係者等が拝殿へ移動

 

 

桜舞太鼓の慰霊の演舞が終わると・・・

遠野郷しし踊り団体が続々と拝殿前へ到着!

 

八幡宮役ししの「長野しし踊り」の奉納

 

続いて元祖「駒木しし踊り」

小生の地元団体、遠野郷しし踊りの元祖

 

東日本大震災犠牲者への慰霊を込めて・・・

上郷板沢しし踊り

 

この後、早池峰しし踊り(張山しし踊り)の奉納という順でしたが、遠野南部流鏑馬神事の時間間近となっていたので馬場へ移動。

 

流鏑馬は壱でエントリーしたとおり・・・

 

お心遣いにより、豪華なお弁当を頂戴する・・・感謝

ありがとうございました・・・

 

 帰宅した際に何故か食べたはず・・・というか同じお弁当が食卓に・・・・・・八幡宮境内で一如さん家族に弁当空をお預かりいただき、そのまま忘れて帰宅してしまって・・・ホントすみませんでした。・・・その空弁当に中身が入って返ってきたのか?と思うほど・・・そんな馬鹿な?・・・

 実は、菩提寺からのお祝いをお届けしたのが、私の母親で、そのままお弁当をお寺さんからいただいてきたとか?・・・納得でした・・・

 

 昼食を食べ、桜舞太鼓を堪能、続いて郷土芸能団体の馬場めぐり神事。

 今年は、八幡神楽(松崎町)、長野しし踊り(小友町)、駒木しし踊り(松崎町)、板沢しし踊り(上郷町)、張山しし踊り(附馬牛町)の5団体で遠野郷しし踊りが主でもありますが、各地域でのしし踊りでの元祖というか本家的な団体であり、遠野しし踊り魂そのものを感じました・・・

 

 板沢しし踊り

注連縄踊りを披露

 

元祖角助駒木鹿子踊

 私が生まれ育ち、今も暮らす地元のしし踊り、しし頭は2人という寂しい内容で、迫力ある演舞での釜石本郷の桜舞太鼓、続いてテンポも軽快で躍動感ある舞いの上郷板沢しし踊りの次ということで、緩やかなテンポの駒木しし踊り登場の際は、観客も少しトーンダウンした雰囲気?・・・汗・・・なかなか挽回もままならずの感じでしたが・・・・・・謝

 

 救世主登場・・・

 

 

小さい子供の存在は、観る者を和ませ、微笑ましい場面へと誘う・・・。

 

足にカンナガラが、まとわりつく・・・

取れないなあ~・・・笑

 

まだ取れないよぉ~・・・

 

この子を含む幼児の仕草を観ているだけでも微笑ましく、観た甲斐があったというものです・・・

 

駒木しし踊り、17日は、人数も増えて、さらに素晴らしい舞、元祖所以の重厚な静の踊りをお見せするはずですからご期待ください。

 

 ということで、ホントは最後まで馬場での郷土芸能を堪能し、写真に収めるつもりでしたが、地元駒木しし踊り終了と共に私も撤退となりました・・・・・・謝・・・よって張山しし踊り、長野しし踊りの写真はありません・・・謝・・・・

 

 晴天の下、そして残暑の中、今年の遠野郷八幡宮例大祭、一部ではありますが、堪能させていただきました。

 

 どんどはれ

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2011・遠野郷八幡宮例大祭、壱

2011-09-15 19:19:33 | 遠野

 残暑の晴天の下、2011年、郷社である遠野郷八幡宮例大祭が執り行われました。

 

3.11、東日本大震災で犠牲となられた方々への慰霊、鎮魂の思いを込めて・・・。

 

例大祭の模様は、壱として「遠野南部流鏑馬」と釜石より招待の「桜舞太鼓」を主にご紹介いたします。

 

弐としては郷土芸能(遠野郷しし踊)の奉納等を主にお伝えの予定です。

 

 

 

 さて、結論から言えば、それなりに準備やら練習を重ねてきたのに、遠野南部流鏑馬神事での撮影は、ほぼ全滅といった内容・・・

 普通に撮ればそれなりの写真は撮れたはずでしたが、9割方は流し撮りを目論んで挑みましたが、これまた9割はピンボケも含み失敗だらけ・・・トホホ状態です・

 なんとか見せることができる一部画像をどうぞ・・・

 

弐の射手奉行

 

壱の射手奉行

これでお終い・・・

 被写体が近すぎたこと、そして思ったより速くファインダーの中央で捉えられなかった点等、まだまだモノに出来てないのに、とある撮り方を主としたが為・・・汗・・・反省点は承知ということで・・・ また、来年に向けて修行のし直しというか勉強することにいたします・・・・・・

 

 

慰霊そして復興への誓いを込めて・・・願

 

「桜舞太鼓」・・・(釜石市唐丹町本郷)

 

拝殿にて

 

遠野で初お披露目となった桜舞太鼓。

 既に遠野ブロガーの一部では、知られた存在ではありましたが、この度の東日本大震災で被災、瓦礫の中から復活を果たし、被災地釜石、さらに岩手県沿岸、いやいや、被災地全ての復興を願って、力強く鼓舞していただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠野の人々の魂を揺さぶる迫力ある演奏!2演目が終わるとアンコールの声多数・・・。

 私個人としても、桜舞太鼓を聴くこと、そして写真を撮ることは初めてのことで、上手く写真が撮れたかどうかはわかりませんが、太鼓を叩く若者達の表情、眼光で、それなりに画像から伝わる何かを感じとっていただければ幸いと思います。

 まっ、実際に直接、彼らの演奏を聴く、観るが最高なんですがね・・・。

 17日の遠野まつりにも出演されるそうなので、お楽しみに・・・。

お疲れ様でした・・・。

 

 余談ですが、10数年前、本郷の防波堤で昼といわず夜も結構釣りをしておりました。 

 釜石では一番多く通った漁港です。

 

 

 例大祭その弐は予約投稿で16日中にアップする予定です。

 

 

おまけ

 

流し撮りで、いい気して何度も試みた撮り方・・・・・・

 

全て失敗・・・汗

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岩根橋駅

2011-09-14 18:39:02 | 湯っこ・鉄道・旅・・・

 遠野市内の釜石線各駅シリーズ、いよいよ最終となる「岩根橋駅」・・・。

 

岩手県遠野市宮守町下宮守(岩根橋)  JR東日本 釜石線 岩根橋駅

地上駅1面1線、無人駅

快速列車は通過・・・。

 

遠野、宮守方面

 

直ぐ横は国道283号線

花巻方面

 

遠野方面

 

 駅前の国道沿いには酒屋さんというか商店も営業しておりましたが、現在は商店等は皆無となっている。

 昭和16年(1941)から始まった田瀬ダム建設(太平洋戦争で中断、後に再開し昭和29年(1954))完成、ダム工事の際は建設作業員の宿舎等もあって大いに賑わったとも伝えられ、それ以前はカーバイト工場や水力発電施設もあったと云われている。(詳細は不明)

 後に宮守町岩根橋はもとより宮守町達曽部からの高校生や猿ヶ石川向かいの花巻市東和町野金山地区からの駅利用もあったが、現在、達曽部からの高校生の利用については不明。

 

 待合所で時刻表を確認していると・・・

快速上り列車が通過!

後ろ姿しか撮れず・・・

 

 

岩根橋といえば・・・

 

写真は岩手軽便鉄道時代の遺構?

 

 宮澤賢治は何度も岩手軽便鉄道に乗り、岩手軽便鉄道は彼の代表作で童話の「銀河鉄道の夜」のモチーフとされたと云われている。

 

 通称、「めがね橋」と云われる宮守川橋梁(下宮守、道の駅)が、その代表とされ、銀河鉄道の夜のモチーフと紹介もされますが、実は岩根橋の達曽部川橋梁の方がイメージにより近かったとか、モチーフは岩根橋とも云われている。

 もっとも岩根橋の達曽部川橋梁は鋼板桁橋であったものを国鉄が昭和18年(1943)コンクリートで包み込んで改修したということです。

 

国道283号線側から撮影

 

 今 は草木もだいぶ生えて、なかなか説明板のような光景の写真を撮れないのが残念です・・・。

 

道路脇のフェンスも銀河鉄道の夜にちなむモノとなっている。

 

それと・・・

 

 宮守側へもう少し行ったところに一羽根と呼ばれる場所があるが、その下の猿ヶ石川での伝承から来ている古名である。

 

 残念ながら源 義家が乗った愛馬の蹄跡を未だに見たことがない・・・

 以前、近くまで行ったことがあったが、マムシが沢山いるといわれて途中で引き返したことが・・・

 機会があったら訪ねてみたいです・・・

 

 

 

こちらは宮守町での撮影ではありません。

 

岩手二日町駅と綾織駅との中間辺りにて

 

流し撮り・・・

 

 流し撮りは、遠野郷八幡宮での遠野南部流鏑馬神事をスカッとした流し撮りで撮ってみたいが根底にあって、列車やスポーツ流鏑馬、はたまた飛行機撮りでの流し撮りは全て遠野南部流鏑馬に通じるモノとなっております・・・・・・

 

 いよいよ15日、遠野南部流鏑馬本番、なんとか間に合うように出掛けて写真撮りをしたいと思っておりますが・・・果たしてどうなるのか?・・・

 

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藤澤の瀧

2011-09-12 18:55:11 | 遠野

 藤沢の滝 (遠野市小友町長野)

 

 遠野市小友町を流れる長野川の支流、「藤沢川」には上流約1千メートルにも及ぶ渓流の間に断崖絶壁が連なり、大小48の滝が続く。

 「藤沢の滝」とは、通称48滝です。(藤澤の瀧)

 

 当ブログ初公開となる遠野の名勝地ですが、郷土史関連のホームページを公開していた頃、近くの城館(山城)跡探訪のついでに訪れたことがありましたが、昼なお暗く、熊が出てもおかしくない森林地帯というか山間地で、最初の2つくらいの滝をみただけでUターンしたことがありました。

 

キッチが瀧

 

 その数年後、藤沢應瀧付近でカメラマンの男性が滑落する事故が発生、救助するべく舟形担架にロープ等の資器材を入れて4人で持って山道を向かったのですが、途中から体力的にきつくなって、随分難儀した記憶があります。

 結局、県の「防災ヘリひめかみ」を要請しての救助となりましたが、その時以来、3度目となります。

 遊歩道なんかもだいぶ整備されたとの情報もあって、前回ほどではないのかな?みたいな少し甘い考えもあってのこと、マイペースで瀧の数々を撮影しながら、のんびりと向かいました・・・

 

 銚子の口瀧

 

 

 

明神ノ瀧

 

 

奥川瀬瀧

 

 

 

 

途中、扇の瀧とか、アップダウンの中程に尾ヶ瀬瀧・・・大小様々な瀧や流れがみられますが、この辺りから大汗が噴き出て、かなり疲労度が増してきたような・・・

 

このような平坦に近い渓流は、ほとんどみられません。

 

 

そして藤沢の瀧のメイン的な場所!

男瀧・女瀧

向かって右が男瀧、左が女瀧

 

 

 実は、画像中央に小さいですが釣人が写っております。

 職場の部下というか後輩です・・・

 渓流のルアー釣りを趣味とする若者2人が先行しておりまして、このことがあるので、私も一人で行けたというところです・・・

 途中、別場所に移動のため戻って来た2人と会いましたが、一人では心許ないので、もう一度、男瀧、女瀧に行こうとお願いして3人で最奥部へ・・・

 若い人達は斜面もなんのその、軽快でどんどん離されていく虎猫オヤジ・・・

 遊歩道というけど・・・

 最後の難関は鉄パイプで造られたアップダウンの梯子や橋、階段の幅が狭く、足が半分出てしまって滑ったら前のめりで階段を落下か階段を尻で「ダダダァ~ン」と滑り降りるかのどちらか?という雰囲気、片手に三脚持ってるので、なおさら怖かったです・・・ 

 男瀧、女瀧に着いた時は、もうサウナに入ったかのような大汗で、息切れが激しく、疲労困憊状態!・・・しばし休憩してようやく写真撮り・・・

 

 若者は元気に釣りっこ・・・

 

私が観ただけで2人で25センチ~30センチの4尾の岩魚を釣り上げてました。

 

今度は戻りに難儀しながら、なんとか駐車場まで帰って参りました・・・。

 

 

若者2人は下流で釣りを継続とのことで私は帰ることに・・・。

 

昼も過ぎていたので・・・

天婦羅そばセット・・・ワンコイン

 

産直ともちゃん

 

駅の立ち食いそばのような味に近く、私は大好きですね・・・。

 

 食欲だけはあったけど、この後、汗を流すべく地元の日帰り入浴施設へ行ってサッパリ・・・。

 体重図ると2キロ減、昼食を食べ、水もそれなりに補給しても2キロ減、瀧巡りでは、どんだけ体重が減ったのか?まっ、ほとんど水分だろうけど・・・

 とにかく、今もなんか足腰がグラグラするような感覚、しかも腰の辺りも重いような・・・?・・・藤澤の瀧は紅葉時期は最高かもしれない・・・と反省も弁もないですが途中までなら次回も有かな?と目論んでおります。

 ご年配の方々や小さいお子さんは危険かもしれません、「藤澤の瀧」散策の際は十分お気をつけください。

 熊にも注意ですぞ・・・

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うっこの実

2011-09-11 18:33:51 | 遠野

東日本大震災から半年・・・

 

釜石市平田・・・9月某日

見た目は以前の風光明媚な静かな海が広がってますが、まだまだ復興への道のりは遠く険しい・・・。

 

がんばっぺす岩手!

 

 

 

さて・・・

 

我家の「うっこ」  

 

うっこ・・・イチイともいいますが、そのうっこに赤い実がついておりました。

 

 

子供の頃、この赤い実を食べたものです。

甘くて案外美味しいという記憶がありますが、社会人になってから・・・というかインターネットが普及しはじめてから毒性が種にふくまれていることを知った・・・

 

今は食べる気もしないが、それでもこの赤い実をみると幼馴染達と集落内の野山といい畑といい走り回って他人の家の生垣となっていた「うっこ」の木の実を食べたという記憶が蘇ります。

少年時代、ことに小学生の頃は、自然児でしたね。

春~秋は川や沼で釣り、夏は川で魚突き、秋は栗拾いにアケビとり、冬は草地の斜面でソリにスキー、収穫を終えた田んぼで野球にサッカー・・・

 

 

 

懐かしい洋楽を一曲どうぞ・・・

 

Yvonne Elliman - if i can't have you (live)

 

 イポンヌ エレマン

 

 流行ったのは私が高校生の頃、最近、どうしてもわからないディスコサウンドを探していて、お目当ての曲は探せていないですが懐かしいこの曲と再会!

 歌っていたイボンヌちゃんが、アジアン系の顔立ちで可愛いとは知らなかった・・・・・・とはいえ、30数年も前の姿で時既に遅し・・・

 私よりだいぶ年上で、現在も現役で歌っておられる動画もあって、だいぶ、ふくよかになっておられるようです・・・

 

 

おまけ・・・在庫処分画像

 

9/7撮影

高清水からの雲海

 

 

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夕映えの長月

2011-09-09 18:55:38 | その他

 本日も釜石へ・・・

 

まずは、またしても・・・

 

 

前回は、久しぶりということでの下見というか味見での釜石行・・・

 

今回は、嫁様も休みということ、ついでに義母も食べてみたいとのリクエストでのことでした・・・

 

本日は画像有!

 

釜石ラーメン

やはり美味い!、そして案外、麺の量も多いような感じで満足というところ、奥に小皿が見えますが、レバニラ炒めもチョイスしてしまった・・・・・・これもまたかなり美味しいんですよね・・・・・・

 

〇風に悪いもんばかり食べているので、少しこの方面はお休みしなければ・・・と本気に思ってます・・・・・・

 

 

そして昼食後は・・・

釜石シープラザ「遊」のテントへ・・・

 

「釜石 東日本大震災写真展」へ

 

 中での撮影はご遠慮願います・・・とのことで写真展での模様の写真は撮ってません。

 また、看板を帰りに撮ろうと思ってましたが、すっかり忘れてしまって・・・

 

 さて、先月に遠野でも開催されましたが、その際は時間が取れなくて拝見すること叶わずでしたので、今回、釜石で開催ということで、なんとか観ることができて良かったと思います。

 釜石市で写真店を経営されている「菊地写真館」の菊地信平さんが被災されながらも撮影した写真の数々、震災での記録写真的な意味合いがある臨場感あふれる内容と私は感じました。

 まさにプロによる写真で何か胸にドシッと伝わるものがありました。

 

 大震災というか大津波を風化させないために・・・という意味合いが大きいと思いますが、内陸でのんびり暮らす私が云うのもなんですが、今後、釜石のみならず盛岡、そして仙台、さらに東京と全国でも展示していただきたいと思いますし、震災というか大津波を風化させてはいけないということならば、さらに1年後、3年後、5年後・・・三陸沿岸地域が復興後にも、この大津波を忘れないよう将来の開催も是非に視野に入れてほしいと思うところです。

 

釜石は、眩しい青空が広がり残暑の1日でもありました。

 

 

さてさて・・・

本題が下の方になりましたが、写真中心に・・・

 

夕方、ちょっとだけ久しぶりに一眼デジを持ちだして、あまり綺麗ではなかったけど夕景を近場で撮ってみました・・・

 

高清水方向(松崎町光興寺方面)

 

 ISOを変えたり、絞り優先モードとか露出補正でプラス側で明るさ調整も良いかもしれませんが、今回は単純に内臓フラッシュを強制発光させて看板の文字も写り込むように撮影いたしました。

 

 八幡舘跡と六角牛山

 

車のウインドーに映る夕焼け

 

夕景の中の赤カブおごごスッケ号

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遠野の雲海2011・壱

2011-09-07 19:24:05 | 遠野

 遠野ブロガーの中には、初夏の辺りから雲海を狙って高清水通いを既に始めている方々もおりますが、いよいよ私も雲海撮りシーズン開幕となりました。

 昨年より若干遅れてはおりますが、初日にしては雲海もズバリ出て、まずまずなスタートとなりました。

 

 

 実は、4時頃には高清水に到着のつもりが、寝過ごしてしまって、途中から貞任高原風車群からオレンジ色の太陽がほとんど出る寸前・・・で、ご来光に追いかけられならが展望台駐車場に到着・・・!

 しかし、既に遅し・・・・・・完全に出る寸前で三脚も出せず、さらにカメラの設定も何もできなくて、手持ちのプログラムオートで撮影・・・。

 

 日の出は午前5時15分前後と読んでおりましたが、起きたのが4時55分、なんだかんだで自宅を出たのが5時ちょうどくらい、高清水到着が5時15分ちょっと過ぎ・・・・・・ちょっと残念

 それと前夜に心霊写真というか動画の怖いテレビ番組を末娘と観ていたので、暗いうちに山頂に出かけるのは、ちょっと怖いかな?みたいなことが脳裏にあったのも事実で、明るくなってから出かけようかな?そんなこともあって遅れたかもしれない・・・

 先客は2人、駅前の髭の旦那は三脚をたたんで帰り支度、間もなく帰っていきました。

 もう一人は、ちょっと若い男性カメラマン、地元民か?展望所で撮影中でした。

 

 日の出後のみですが、今季初の雲海をどうぞ・・・

 

 

 

六角牛山、八幡山

 

遠野市街地は霧の中

 

綾織方面

 

ご来光も徐々に南に移動、今時期は貞任高原辺りから昇りますが、1ヶ月後の10月には六角牛山にだいぶ近づきます。

 

貞任高原(風車群)

 

青笹、上郷方面

青笹の臼舘跡がある山野辺りか?その先の上郷は霧に覆われていない。

 

だんだん雲海も濃くなっていく・・・

 

正味15分程度か?雲海撮りのクライマックスであるご来光撮りも済んだということで、撤退となりました。

 

霧が晴れ渡る瞬間まで居たいのですが、休みの朝でも色々と用向きがあるもので、長居ができないのが少し心残りでもある。

 

 

雲海の底は・・・

まさに濃霧!

 

さて、今季は何度観れるのかな?・・・

 

 

 

おまけ・・・

 

 大震災の前々日(3/9)でポイントカードが満杯となり、無料入浴ができる要件を満たしていたが、釜石の信号事情もだいぶ回復、震災前によく行っていたホテルの日帰り入浴も以前のように営業を始めているとの情報を得てましたので、震災後半年になりますが、釜石へお邪魔して参りました。

 

 まずは、こちらもよく食べに行っていた釜石ラーメンの名店へ・・・。

 

釜石市平田 「昇華」

 

ラーメン画像はありません・・・謝

 

しかし、やはり美味かった・・・・・・こりゃ、やめられない・・・

また来たいと思います・・・

 

 

そして・・・

こちらが見える某ホテルの日帰り入浴へ・・・

 

ポイントカードで入浴できました・・・

震災の前々日の件を話したら、たいへん恐縮され、「是非に何度でもお越しになられてください」と美人さんのフロントレディさんに言われたので、こちらも以前のように徐々にペースアップして来たいと思います。

 

 釜石へは震災直後に仕事での支援活動、5月の連休後に私的に中妻町へ、そして6月頃かな?駅でリアスラーメンでもと思ったのですが、まだ営業再開してない雰囲気なので、中妻の〇華園支店でラーメンを食べて帰ってきた時以来です。

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初秋!バイクミニ周遊

2011-09-06 19:06:09 | 遠野

 時折、陽は射すも雲が多い初秋の遠野、近場をバイクで、ちょっくら廻って来る。

 

 まずは海上(かいしょう(地元ではケショ))方面。

 

法門山福泉寺 山門

 

 

中野から

福泉寺五重塔

 

天ヶ森

 

 

土淵町似田貝バス停

 

 

遠野での元祖的な茅葺バス停

 

しかもサービス旺盛・・・笑

 

トイレ完備・・・笑

 

しかもバス停なのに遠野市内タクシー会社連絡先表示!・・・笑

 

他に大きな時計も完備しております。

 

谷地

 

追分の碑

「右は大槌・左は早池峰」

天保3年2月10日

 

途中、コスモス

 

季節は秋となった遠野です。

 

あおっぱなタラリ号

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本日も温泉

2011-09-04 19:32:55 | 湯っこ・鉄道・旅・・・

 さほど台風の影響もなく朝を迎える。

 小雨模様ながらも空には青空、珍しく嫁様も週末の連休で、しかも温泉に入れば肩の具合が以外と良いとのことで、本日も前回と同じ温泉へ行くことに・・・

 

 

花巻南温泉郷 渡り温泉 さつき

 

最近は、ほとんど「渡り温泉」、月に2~3度は行っているかも?

本日は日曜日ということで、ある程度の混雑を覚悟してましたが、さほどの混み具合ではなく、サウナ主体に楽しむことができました。

泉質も良く、設備も充実、しかもきれいということで、お気に入りの日帰り温泉施設となってますが、個人での持ち物入りというかワゴンとか棚なんか置いていただければ、なおよろしいと思うのですが・・・(風呂好きな方々はシャンプーセットやヒゲ剃りセット等を入れている小さなカゴみたいなものを持参することが多い)

 

さて・・・

 

 日帰り入浴施設通い歴、20年?マナーがどうとか言いたくはないのですが、10人入ってくれば3人は必ずいる困ったちゃん!すなわち身体をシャワー等で流すこともなく、せめて掛け湯でもと思うのですが、そのまま入ってくる輩がいる。

 しかも、農家というか郊外に住む爺さま達(70歳代前後)、銭湯とかそういった文化に縁が無かったのだろう(私も無いですが)?自宅でも同じことをしているというか、そのまま人生を送ってきたのだろう?しかもタオルを湯船に入れてはいけないという暗黙の了解事項があるはずなのに、これも無関係・・・私は風呂というか温泉は好きだけど、湯船には5分と入っていないことが多いのは実はこのせいもある。

 気持ちの問題ではあるんですが、目の前でこれをやられると辛いですね。

 

 数年前、地元の入浴施設で専用カゴに置いておいたヒゲ剃り一式が無くなっていたことがあったが、その時は見慣れた私のヒゲ剃り片手に浴室から出ようとしていたオヤジを見つけて、気合を一発入れてやったことがあったが、よくもまあ他人の肌に触れるヒゲ剃りを使って平気でいられること、しかも持って出ようとする行為、何よりも使われた自分自身がそれを使いたくない気持ち、その日はヒゲ剃りは無し(よく洗浄して替え刃の交換)・・・ほんと困った人達がいるもんだと泣けてきたこともあった。

 他にも言いたいことはもう少しあるけど、今回はこの辺で・・・

 

午後早めに帰還。

 

処により雨だったり晴れたり・・・。

 

他地域では台風での大きな被害もあったようですが、こちらは雨風の悪戯もなく、ひとまず安心というところ・・・。

 

 

「早く人間になりた~い」と言っていたブロガーがおりましたが、妖怪時代に見せたかった怪しい木!・・・笑

 

 

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遠野市立駒木小学校

2011-09-03 12:55:40 | 廃校

 「みどりの山に いだかれた 小高い丘に 鐘が鳴る

      あ~あ 平和なるその響き その名ぞ 駒木小学校」(我学舎の印なり)

 

 遠野市立駒木小学校校歌の1番の歌詞ですが、最後の方が少し自信がない。

 また、2番も歌えるには歌えますが、文字にするとイマイチというか意味がつながらない、駒木小学校OBの方々、知っている方、歌詞をご教授いただければありがたいです・・・

 

 旧遠野市立駒木小学校跡地

現駒木マレットゴルフ場、駒木地区消防コミュニティセンター

 

かつての校門跡

 

 駒木小学校・・・明治9年(1876)6月19日~昭和46年(1971)3月31日

 

 校舎そのものは昭和48年3月23日まで遠野北小学校駒木校舎として存続し使われていた。

 私は遠野北小学校としては第2回目の卒業生となりますが、駒木小学校から継続というべきなのか、駒木校舎最後の卒業生でもある。

 母校が廃校となる寂しさを身を以て経験したひとりでもある。

 

☆沿 革

〇明治9年6月19日、矢崎の鳥屋部安太郎氏の屋敷に松崎学校分校として開校。

〇明治10年1月1日、矢崎の鳥屋部源四郎氏宅に移転。

〇明治10年8月27日、公立駒木小学校と改称、駒木6地割92番地1イに設置。

〇明治20年7月25日、駒木尋常小学校と改称、平屋造校舎新築。

〇明治22年7月25日、松崎尋常小学校駒木分校と改称。

〇明治25年8月10日、駒木尋常小学校と改称。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・途中省略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇昭和16年4月1日、駒木国民学校と改称。

〇昭和22年4月1日、駒木小学校と改称。

〇昭和46年4月1日、学校統合により遠野市立遠野北小学校駒木校舎となる。

〇昭和48年3月23日、校舎閉校、遠野北小学校へ完全移行。

 

校庭跡

 

☆歴代校長

〇林 茂三郎・明治35年1月14日~明治39年3月31日

〇長山 門蔵・明治39年3月31日~大正10年3月31日

〇瀬川 秀蔵・大正10年3月31日~大正15年1月31日

〇大橋 昭佐・大正15年1月31日~昭和5年2月27日

〇阿部 市治・昭和5年2月28日~昭和6年8月31日

〇諏訪 真麿・昭和6年8月31日~昭和21年3月30日

〇菊池 勇治・昭和21年3月31日~昭和31年3月31日

〇杉山 建次郎・昭和31年4月1日~昭和32年3月31日

〇栃内 長太郎・昭和32年4月1日~昭和38年3月31日

〇小林 李一・昭和38年4月1日~昭和41年3月31日

〇小水内 長太郎・昭和41年4月1日~昭和43年3月31日

〇長沢 一馬・昭和43年4月1日~昭和46年3月31日

〇多田 成男・昭和46年4月1日~昭和48年3月31日

 

☆教職員(昭和以降)

〇阿部 オヤイ S5.9.10~S6.3.31 〇松尾 スカ S6.3.31~S7.3.31

〇諏訪 ミサオ S7.2.27~S7.3.31 〇及川  静  S7.3.31~S9.3.31

〇長野 カツヨ S9.3.31~S10.3.31 〇菊池 カツ S10.3.31~S30.3.31

〇菊池 長治 S12.3.31~S15.3.31 〇有賀 守良 S15.3.31~S16.3.31

〇四戸 耕太郎 S16.3.31~S20.3.31 〇大橋 昭雄 S17.11.30~S18.3.31

〇大橋 矩子 S17.3.31~S20.3.31 〇正一 剛 S18.3.31~S19.3.31

〇畠山 芳郎 S18.3.31~S19.3.31 〇石直 千枝 S20.3.31~S22.3.31

〇菊池 カツ S21.3.31~S31.3.31 〇石川 栄一 S22.3.31~S23.3.31

〇佐藤 弘一 S23.3.31~S25.3.31 〇中島 武子 S23.3.31~S26.3.31

〇土沢 誠一 S25.3.31~S26.3.31 〇菊池 辰生 S26.3.31~S31.3.31

〇山口 協子 S26.4.1~S32.3.31 〇多田 義民 S29.4.1~S34.3.31

〇杉山 チエ  S31.4.1~S32.3.31 〇岩崎 ヒサ S32.4.1~S35.3.31

〇菊池 春雄 S31.4.1~S33.3.31 〇百済 鉱 S33.4.1~S35.3.31

〇菊池巳之松 S33.4.1~S40.3.31 〇伊藤 聖一 S34.4.1~S41.3.31

〇滝沢 米子 S34.4.1~S35.3.31 〇新田 啓子 S35.4.1~S38.3.31

〇藤原 信子 S35.4.1~S38.3.31 〇多田 桂子 S37.4.1~S38.3.31

〇小笠原サト S39.4.1~S41.3.31 〇佐々木 静 S39.4.1~S42.3.31

〇高柳エス子 S39.4.1~S42.3.31 〇梅原 叉男 S40.4.1~S45.3.31

〇鈴木 重三 S40.4.1~S45.3.31 〇斎藤 キエ S41.4.1~S42.3.31

〇伊藤みさお S42.4.1~S46.3.31 〇篠田 マキ S42.4.1~S43.3.31

〇太田代友子 S44.4.1~S47.3.31 〇菊池善一郎 S46.4.1~S48.3.23

〇及川 幸 S43.4.1~S48.3.23 〇日影 セイ S46.4.1~S48.3.23

 

 入学当時、全校で約80名程の児童数だったかな?同級生は15名(実際は16名)で6年生に次いで多い児童数でした。

 年々、児童数が減り、小学3年の頃から?複式学級となったような?2学年下の1年生の入学が僅か6名、男子は私の弟一人という寂しさ・・・。

 卒業時は全校で53名の児童数でした。

 

 歴代の教職員で記憶がある先生は・・・

 篠田先生(1年の時の担任、中学2年の時のクラスメイトのお母さん)

 鈴木先生(中学の時、社会科の先生だった)

 伊藤(み)先生(かなりの高齢だと思っていたが当時は40代前半くらいか?)

 太田代先生(ちょっとふくよかな美人先生、当時30代後半~40代前半かな?)

 善一郎先生(ハイライトとサッポロ一番を宿直の際に買いに行かされた。)

 及川先生(最後の担任、駒木小学校を見届けた先生)

 日影先生(中学の時のクラスメイトのお母さん、社会人になっても私のことは知っていた)

 

 その他の先生・・・

 小水内校長(言わずと知れた市内の植物博士)

 長沢校長(放課後、近くの猿ヶ石川でよく釣りをしていた)

 伊藤(聖)先生(入学前ですが怖いという印象)

 巳之松先生(地元の先生、同級生のお父さん)

 

 小学生当時と変わらず・・・銀杏の木

 

懐かしの学び舎

 

閉校後、誘致企業の工場となったり地域の集会所、一部別企業の工場となるも、結局は写真の右端部分の教室が地区の集会所として長らく使用されておりました。

平成12年に校舎は取り壊されております。

 

 

ということで、遠野市内の廃校となった学校を少しずつ取り上げて、ご紹介しようかな・・・と思案しているところです。

 

まずは今年中に松崎小学校、東禅寺小学校をと思っております。

 

 

参考資料「駒木」「遠野市史第4巻」

コメント (8)
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