Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

牧歌の郷

2017-09-09 17:23:00 | 日記

 私は2000年の夏を前に、いっそ今年は見送って来年の研修を待とうか如何しようかと何度か迷いました。が、資格を取る時期に間に合わせたい、原産国の本来の植物を早めに見て体感したいという熱い思いには勝てませんでした。

 それ以外にも、花や植物の栽培は当時の私の好きな事、興味のある事の1つでした。庭というからにはきっと美しい花々が咲き乱れているはずです。この世に花の嫌いな人がいるでしょうか。私も例外ではなく、その花々を見てみたかったのです。

 さて、ここまで書いてくると、当時の私は暇を持て余している、花の栽培などして優雅な物だ、ましてやハーブなどというお金の掛かる物に興味を持って海外旅行にまで出ている。などと全く暇と余裕のある人物に思われることでしょうね。でも、事実は全然違っていました。

 暇、つまり時間がある、勤めていない状態。実は勤めていないのではなく、勤める所が無い、それ以前に勤め先を探す気が無い、というより以前の、勤める元気という物が全くない状態でした。

 社会が学校なら、差し詰め私のこの状態は登校拒否という状態でした。そんな状態になってから2年が過ぎ、その間ハーブに出会った私は、料理に栽培に、そしてこの資格を取るまでの学習へと着実に歩を進めて来ていました。この時、私は自分ながらに社会復帰を図っていたのです。

 学習に掛けた費用、渡航費等はその殆どが自分の蓄えであり、生活費や植物の世話にかかる費用、水代や肥料、殺菌・殺虫費は実家で賄って貰っていました。苗の購入費はなるべく自分で払っていたものでした。殆ど何もなく荒れ地に近かった実家の庭やコンクリートの玄関先を、私がエネルギッシュに瞬く間に植物で埋めて行った2、3年そして7、8年でした。

(ガーデニングを学んでいた頃から何年か過ぎ、実際に庭造りしたもの。庭の設計などに楽しく取り組み、芝を植え、鉢なども選んで買ってきました。この後敷石や置物、花々も植栽しました。この頃になると私に蓄えはもう無く、親の費用となっていましたが、それなりに親の方でも楽しみにしていてくれたようでした。家の中もそれなりに、その季節の花々で溢れていました。) 

 


牧歌の郷

2017-09-09 16:44:38 | 日記

 空港に集まったこの時点でも、私の心の中にはまだこの年の研修旅行に気の乗らない部分がありました。昨年の研修旅行先ならば、諸手を挙げて喜んで参加していたことでしょう。

 何故ならば、今年がガーデニングやお庭拝見の旅行であったことに対して、昨年はハーブなどの香辛料を使った料理やその原産地の気候風土を訪ねる旅であったからです。どちらかというと、私がハーブという香辛料に興味を持ったのは、料理で味わった事が切っ掛けでした。食べたことの無い味、でも美味しいと感じたハーブと呼ばれる香辛料。この香辛料に興味を持ったからでした。料理に使う代表的なスパイス達から、その植物の栽培へ、本を読み進み調べて行く内に、ハーブの効用や多くの種類を知ったのでした。

 この頃の私は、ハーブが原産地ではどのように使われてどのような料理になっているのか、その生育する気候風土は日本とはどのように違うのだろうか、そういった興味、温暖な気候や風土、地中海への憧れから、思いは南フランスやプロバンスという土地名に向けられていました。

 一時、私はリュックを背負って1人渡仏して、南ヨーロッパを当時流行っていたローラーブレードなどで安価に回ろうかと考えていたくらいです。実際に、子供と共に玄関先でローラーブレードをせっせと練習しました。文字通りの四十の手習いでした。元々スキーやスケートが苦手な私はバランス感覚が伴わず、これではとても無理とローラーブレードでの旅を諦めました。この当時、内心私がこんなことを考えていたなんて、きっと誰も知りません。

  (当時の思いは南ヨーロッパや地中海方向へ。写真は渡航先で撮った風見鶏。)