Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

牧歌の郷

2017-09-23 17:47:25 | 日記

 さて、改めて見つけたシェイクスピアのガイドを読んでみると、彼の父が仕立て屋と言うのは間違いでした。手袋商人だったことが分かりました。やはり何でも買って来てみるものです。当時、帰国してからも読んだと思うのですが、このガイド、読んでみるとなかなか難しい文章でした。特に最初が取っつき難い文章で始まります。英語をそのまま翻訳したのでしょうね。机に向かって落ちついて読みはじめ、通読を終えるとそれなりにきちんと理解できる詳細なガイドでした。

 ガイドの中の写真と解説を見ている内に、私にはこの旅で訪問した、当時の彼の生家の室内が思い浮かんで来ました。軽くギシギシと音のする木の床を歩いた事、皆で二階の部屋に行った事、しっかりした身綺麗な建物であった事が思い出されてきます。

 確かに、私は再現された彼の生まれた部屋と、子供用ベッドを間近に見学していました。思い起こしてみれば、シェイクスピアが生まれた部屋が現存している事に、当時も私は感動したのでした。そしてそれを実際に目の当たりに出来た事に、この旅に出て来られた自身の身の幸福を感謝していました。当時私は実家にいて、子供を預けて来た両親も健在でした。

 (写真の冊子、右上の赤い天蓋付きベッドがお母さんのベッドです。傍らに子供用ベッドがあります。冊子にも本格的に再現されているとあります。シェイクスピアのお父さんはストラトフォードの町長をされていた時期もあるそうです。16世紀の裕福な市民階級だったのですね。)

 (ガイドにあるアン・ハザウェイのコテージの写真。先に書いたアン・ハザウェイの家と言うのもここですね。彼女の生家は別ページにに立派な写真が載っていました。)

 (ガイドの裏表紙、バックの尖塔と水辺のスワンが詩的です。シェイクスピアは詩人だったのですね。高学歴でもありません。その様な彼が後世まで高く評価される作品を生み出したことを思うと、初期の基礎学習を確りすることの大切さが分かります。彼が家族の生活や経済面を考えて都心に出、作品を手掛けて行った過程などもうかえるガイドでした。)

 私は学生時代に講義演習で日本の作家、戯曲家として菊池寛を取り上げて共同演習しました。彼はシェイクスピア同様、幼少年時代から舞台を見る機会が多く、当時は親も裕福で文化的、確りした基礎学習の可能な家庭に育っていました。後に都心に出て文学活動を始めた事もシェイクスピアと似ています。

 私達は演習で、彼が幼い頃の経験で舞台好きになり、それで戯曲を手がけるようになったと発表しました。この時、担当の教授から、それだけでは彼が戯曲を手掛けるようになった理由付けに弱い、もう少し作家活動の動機を掘り下げて欲しいとクレームをつけられたのですが、私達には芝居好き以外の動機が思いつきませんでした。

 生活の為、収入の為、より多くの収入を得るため戯曲を書いた。今ならそれが分かります。シェイクスピアはより多くの収入を得るために劇を書き継ぎ、そして多くの財を成した成功者ですね。

 菊池寛は雑誌社を作り成功しました。収益で直木賞、芥川賞を作りました。日本で作家を目指す人にとっては夢の目標です。