それは寒さも緩んで来たその年の2月の立春過ぎのことでした。
『今は8月になるから、もう半年が過ぎるんだなぁ。』
紫苑さんは時の流れの速さに感慨深く思うと、ほうっと溜め息を吐きました。鷹雄君との交は、妻亡き今の自分にとって久しぶりに感じた人との親しい交流でした。
そんな鷹雄君は、紫苑さんにとって孫に近い年代の若者でした。彼自らが偏屈なタイプだと考えている自分にとって、彼との交流は思いの外に心が安ぎ、自らを人に対して大らかな気分にしてくれる交わりなのでした。これは鷹雄君が常に真面目で、人に対して誠実で折り目正しく、真に勤勉な青年だったからでした。その彼の律義さに対して紫苑さんはつい親身になってしまうのです。この半年間、紫苑さんは何くれとなく彼の面倒を見て来たのですが、その出来事が紫苑さんにとっても嬉しくて楽しい出来事になっていました。彼の日常の徒然において、彼との交際が無くてはならない気晴らしとなったのでした。
そんな鷹雄君との初対面の出会いは、冬の寒さが引いて少し過ごしやすくなったと感じて、彼が何時も行く図書館へ出かけた日の事でした。名のみの春には珍しくポカポカとした陽気の日でした。紫苑さんはにこやかに図書館への道を辿りました。 目的地に着き、建物の重いガラスドアを押して玄関へと入って行くと、屋内の透明なガラス扉の向こうに、閲覧室の内部が見えました。中にはその日2、3人の人しか来ていないようでした。
「寒い日の方が人数が多いかな。」
今日の陽気では、外を散歩する人の方が多いのかもしれない。ふと彼はそう思いました。『自分も外の散歩に切り替えようかしら。暦ではもう春だが、未だ未だ冬の日差しに近い弱い太陽だ。貴重な冬の日差しを全身に浴びて来ようかな。』彼は玄関で立ち止まったまま、透明ガラスの扉の前で考えていました。