ドクター・マルは、シルとの予定時間に、予定通り休憩ラウンジへ現れました。
シルは先に来ていました。彼女はテーブルの椅子に腰かけて寛いでいました。テーブルの上には地球上の飲み物、飲みかけのレモンスカッシュの液体がグラスの3分の1程になり、その中を小さな細粒の泡が液体表面へ向かって穏やかに昇って行っていました。また、グラス表面に浮いているのは、黄色い表皮を持つ地球上のレモンという果実です。その実の酸味のある果汁をシルは特に気に入っていました。この飲み物に溶け込んでいる、口の中で弾ける炭酸という気体も彼女の気分をよくしてくれました。彼女は毎回、この飲み物の飲料後、思わず目を細めてうっとりとしてしまいます。
ラウンジ入り口に現れたドクターに気付くと、シルはここだという様に手を挙げて彼に合図しました。そこでマルは緊張した面持ちで、歩みも重くシルの側へと進んで来ました。
「ドクター・マル、あなたもレモンスカッシュを飲みませんか?。気分がさっぱりしますよ。」
爽やかな笑顔で、シルは零れる様な美貌を周囲に振りまいて、ドクターに彼女が飲んでいた飲み物を勧めました。
「いや、私はいいよ。」
ドクターは相変わらず冴えない表情のままでした。彼は生真面目な顔付きでシルの顔を見詰めると、彼女の好意的なお勧めを遠慮しました。
「酸っぱい物は私は苦手でね。その液体の中に入っているガスも私は好みじゃないんだ。」
この素っ気ないドクターの返事に、シルは大きく口を開けてまぁと言う感じでしたが、彼女は笑顔も明るい雰囲気も変えずに、彼を優しく見詰めました。そして、彼女の横に座ったドクターの、かなり差し迫った困窮状態をそれとなく観察すると、
「では、場所を変えましょうか。」
と、この場所より落ち着いて話しが出来る、艦内の散策エリアへと彼を誘いました。
「ここより、」と、ドクターは、気分転換やリフレッシュ用に造られた酸素系の気体が多く満ちた空間、植物やその中を縫うように通路が走る空域、散策エリアの入り口に立つと、彼はそのエリア内の奥を眺めながら言いました。彼の知らない間にいつの間にか植え替えられていた、道の脇に生えている地球上のシュロ科の植物、ヤシの木等を見上げると彼は言葉を続けました。
「相談室などの君のボックスの方がいいんじゃないかな。そちらの方が誰からも私達の話を聞かれないだろうからね。」
彼はこの場所で、誰かに自分の話を聞かれるのではないかと心配したのです。
「大丈夫ですよ。」
シルは答えました。
「ここの方が見通しがきいて、一目瞭然。返って誰もいないという事が直ぐ分かりますからね。」
それに、私のボックスだとドクターのお話は全て録音されますからね。彼女はドクターを気遣う様に言いました。
「本格的に私の精神ケアが必要かどうか、先ずはドクターの問題の中心を軽く伺ってから決めたいんです。」
彼女にそう言われると、ドクターはそれもそうかなと考え直しました。自身が医者なのですから、そんな彼が治療してもらうという事になると、彼自身としても医者としての面目丸つぶれの感が有りました。そんな点からも、彼はシルへの相談を渋っていた面が確かにありました。
『やはり、この娘(こ)は優秀な相談員なんだな。』
ドクター・マルは、ここで一寸安堵の溜息を洩らしました。