「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」
今春の花の時期に父が口遊んでいた言葉が口から溢れる。
そんな私の瞼には数え切れぬ程の花弁がちらちらと舞い映っていた。私の頭には今季の花風吹の光景が浮かんでいた。私の記憶にあるのは白っぽく柔らかなピンク色に染まった花弁だ。細長いハートの形が目に捉えられその後風に舞う。
私はその花が、日本人の心だ、美しい花だ、光景だと、その季節に数回行った花見の散歩で、今年父から教わって公園を歩いて来た。父はこんな綺麗な花が春に咲く日本という国に生まれてよかった、日本人に生まれた事を誇りに思え等と言うと、愛国心や自分達の民族についてのアイデンティティの萌芽を私に図った。
父のそんな養育の意図等測り知る事も無い、私は無邪気に温暖な春の気候の到来を喜び、厳しい寒さの雪の季節の去った事に清々しく身の弛む思いを感じながら、頭上を見上げて桜並木の間の坂道を登っていた。父もこの春の好天を満面の笑みで喜んでいた。親子で共ににこやかに頭上を見上げていた。
私は突如として、桜の花が美しい花なら、祖母を花に例えると桜の花だねと言った。すると父はえぇっ⁈、と意外な声を発し、如何にも意外だと言う顔をした。何故そう思ったのかと父が問うので、私は、日本の花、着物を着ている祖母、綺麗な花、美しい祖母、お祖母ちゃんは奇麗だねと答えた。心も綺麗だと。すると父は今迄の悠長な花見気分は何処へやらという態度と雰囲気になった。
「子供だからな。」
お前は子供だからそう思うのだ。そんな事を言い出し、父の見方は違うと真顔で私に反論し出した。その内父は、祖母と自分と何方が好きかとか、何方の言う事が正しいと思うかとか、これから先、何方の言う事を信じるのか云々等言い出した。そして、その答えでこれからの自分のお前に対する態度も決めると迄言い出した。
そんな父の妙に真面目で真剣な態度に、私はふと可笑しくなって来た。私は冗談半分にそれは祖母の方だと答えた。そこで到頭父の顰蹙を買ってしまった。憤慨した父はこの直後に散歩を途中で切り上げた。彼はそう宣言すると帰途に着いた。家路についた直後、父はむすっとして押し黙った儘だった。そして彼は私の数歩先を歩く等したりもした。そんな父に、私は何時しか彼の行動や顔付の中に態とらしい怒りの表現を感じた。
『もう、お父さんもふざけて…。』私はほくそ笑んだ。どちらが先に折れるか根競べだ。私がむっすりとして立ち止まると、父は公園のお堀端で柵に手を着いて立ち止まった。少々後悔の念が伺える彼の様子だ。そこで仕様が無いなと私は彼に駆け寄った。この様な父子の駆け引きの場合、私が折れた方が父の機嫌が好くなる事を私は知っていた。そうして、駆け寄った私は、「たまにお父さんの言う事の方を信じてもいいよ。」と、笑って彼の心をくすぐってみせた。この頃の私にすれば妙に生真面目な父はよい揶揄い相手でもあった。父も私にそんな軽妙なジョークを身に着けさせた感がある。
私達父子の花見散歩の数回目、桜の坂道に差し掛かると地面には白く薄く色付いた花弁の吹き溜まりが出来、花弁は更に積もりつつあった。樹木と地面の空間にも牡丹雪の様にさらさらと舞い落ちる花弁が増えつつあった。私は白い吹き溜まりを雪かと見間違うと、大人からもう今年は雪が去ったと聞いていたのにと憤慨した。そしてまた寒波が来るのかと落胆した。私は雪の季節の再来を予想して、憂いで酷く顔を曇らせた。それ迄軽かった私の足取りが重くなり、やがてぴたりと止まると、その先に行きたくないと父に駄々をこねた。公園に雪があると私は言った。すると父は公園に降り積もっているのは桜の花弁だと言い、やはりもう寒くはならないと笑った。
「子供だなぁ。桜吹雪を知らないな。」
またもやそんな事を父は言った。ちらちら舞う白い物に、雪だと主張する私に、あれも桜の花弁だ、木に在る時は5枚の花の形でも、地面に落ちて来る時に1枚1枚の花弁で落ちるのだと説明してくれた。それでも雪を厭っていた私は父の言葉を疑ったものだ。再三公園内に誘う父の手を振り払った。父は、まぁ、騙されたと思ってと、上手い誘い文句を言い出したので、私は漸く重い足を進めたが、白い塊や降り落ちる白い物には恐る恐るでしか関わり合えなかった。
論より証拠である。それらは確かに雪とは違っていた。塊は細かな花弁の集まりで出来ていた。そんな花弁の舞い散る先は樹木であり、私が見上げる枝に在る桜の花の1枚1枚の花弁の形が同一だった。漸く落ち着いて来た私は、気温も冷たくないだろうと父に言われ、丁度その時いた木々の木陰、その状態の寒さを口にして少々拗ねてみせた。
私はふざけたつもりだったが、父はそれを真に受けた。直ぐに、おお、そうかそうかと言うと、急いで私の手を掴むと日向へと私を連れ出してくれた。桜の木々の木陰を抜けて、春の日向は非常に暖かかった。そこには気持ちの良い春風が吹き、私の頬を優しく撫でて行った。私は風も春になると冷たくないなと、気候の良い季節の真実の到来を心から喜んだ。
そんな花吹雪の中の帰り路、公園内の道で父は先の歌を口遊んだのだ。もっと咲いていて欲しいのに、美しい花を見ていたいのに、こちらの気も知らないで、桜の花は散ってしまう、残念だとか散らないで欲しいという心を詠った歌だと父は言った。
私は美しい祖母という花が、その時の桜の花の様に、私の心の中の祖母桜の枝からちらりと散り出し、心の空間に舞い出すと、父のあの言葉が我知らずの内に私の唇へと上って来たのだ。美しい儘でいて欲しい、美しく咲いていて欲しいと願っていたのに…。…それは散って仕舞ったのだ。