「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

八ヶ岳西麓原村(5)避暑地目的の山荘なら、もはや「家の作りやうは、夏をむねとすべし」(徒然草 by 兼好法師)

2019-06-04 04:43:57 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
八ヶ岳山麓の山荘用地ったって、標高はピンキリ。

標高は600mくらいから2,000m級まである。



我が山荘のある原村の北側には蓼科地区(茅野市)が広がるが、その中にはいくつか特に標高が高い別荘地がある。

原村(長野県諏訪郡)の我が山荘は、標高1,600mの土地に建っている。



この土地を買ったのは21年前の1998年。

山荘が建ったのがちょうど20年前の1999年。

当時「そんな高いところは止めろ。寒すぎる!」と多くの方に言われた。

しかし、どうせ山麓では多くの別荘オーナーが晩秋からGW近くまで薪ストーブを使う。

そして屋外がどんなに寒くても、最近の建物で薪ストーブを使えば屋内の気温をハワイを超える温かさにすることは簡単(笑)で、だったら冬の寒さなんてあまり気にしなくていい。

寒冷期に火を使い屋内を温めるのは古代からの自然な知恵でもある。

しかし暑い時期に屋内の気温を上昇させておいて、それを冷房装置で無理やり低下させるのはかなり不自然な行為であるように私には思え、避暑地の山荘ではできればそれは避けたいと思った。

そして20年前の当時ですら、すでに地球温暖化の傾向は鮮明だった。



そうであれば、自宅から比較的近くて標高がかなり高い土地に、涼しい設計を施した山荘を持ちたいと、私は思ったのだ。

そりゃそうだろう。20年前の当時ですら「異常気象」なんて言われて、暑さの度合いが変わって来ていたし、環境の悪化傾向を考慮すれば、当時の20年後(つまり現在)はもっと暑くなるはずだった。

そして本当にそうなった。

20年前、涼しい設計にした我が山荘では、真夏でも全部の窓を開けっぱなしではいられなかった。そんなことしたら寒くて風邪をひきそうだった。

ところが今は窓全開でも平気だ。


【ナラの若葉】

他人の多くは自分の過去の経験でしかものを語らない。

しかし自分の家の暮らしぶりは築後から始まる数十年間の自分の未来のことだ。他人の言うことはあまり信じない方がいい。

寒冷地で自宅あるいは別荘としての通年利用を考えるなら、屋内の気温を一定に保つため、別のことも考慮しないといけない。

しかし避暑目的として八ヶ岳山麓の山荘を検討し、温暖化が激しいこの時代でも夏に冷房装置なんて使いたくないと思うなら、これからは以下の2点が重要だと思う。

(1)屋外の気温を決定する標高と環境

(2)屋内の気温を異様に上昇させないための建物の設計


【タラの芽】

まず(1)、標高と環境について。



例えばの話、原村と言ったって東西に長く、標高は900mくらいから始まり、私の山荘があるのが1,600m、そしてそこを通り越したら東は2,800m超の阿弥陀岳まである。



気温は原村のどこにいるかで、かなり異なるのだ。

しかし天気予報でただひとこと「原村」と言う時は、その中心部である払沢地区のことを指し、そこは標高1,000m程度である。

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今回の山荘滞在中のあの日、東京ではアベちゃんのおもてなし外交が展開されていた。

トランプ君とアベちゃんが一緒にゴルフして、相撲を観戦し、炉端焼きを食べたあの日である。



日米同盟の結束の強さとやらを見せつけようと、朝から二人は千葉県でゴルフをしたら、なぜか日本中の気温が急上昇。

日本各地で、特に北海道で気温が上昇し、5月というのにあちこちで猛暑日(気温が摂氏35度以上)を記録した。やはり異常だ。

私の自宅がある鎌倉は海辺の街なので、暑い日の最高気温は、たいてい都内や関東内陸部より低い。

この日は鎌倉の最高気温と原村中心部の最高気温がほとんど変わらなかった。びっくりだ。

鎌倉と原村では標高が大きく異なるが、長野県はこの日暑かったのだ。原村中心部でも30度前後の最高気温。

原村の中心部は建物と畑ばかりなので、標高1,000mと言っても、実は結構暑い。

原村を知らない人は、試しにそこへ真夏に行ってみればいい。

そこから標高で600m程度上がった我が山荘あたりは、その分の標高の違い、そして森の中という環境から、その日の明け方の最低気温がこれくらいだった。



また午後1時の最高気温もこれくらいで済んだ。



しかしこれが真夏になると、原村中心部でも猛暑日に近い最高気温も時々記録するわけだ。

だからこの山荘のあたりだって、屋外の最高気温は25度と30度の間のどこかまで上昇することになる。

もはや環境的には冷房が要らないギリギリだ。

ということで、山荘を建てる土地の標高と環境は、そこの屋外の気温を決定してしまう。

まずはその選定が重要だ。涼しいところがお好きなら、それに必要な場所を選定しましょう。

****************************************

次に(2)の屋内の気温を異常に上げないための設計について書く。

じゃあ、標高1,600mなんてところに山荘を建てないといけないか?というと、そうではないのである。

標高がすべてを決定するわけではない。周囲に森があるかどうか、つまり環境で屋外の気温はずいぶん違う。

さらに屋外が暑いからと言って、屋内も暑くなるわけではない。建物の設計上、採光と通風を考えれば、屋外気温より屋内気温はかなり低くなるからだ。

だから土地の標高は低いが、建物内は涼しいという状況は可能だ。

しかし多くの建物の設計が、屋外の日影の気温よりも屋内の気温が高くなるようなつくりになっているように思われる。

1.天気予報で「原村の最高気温は30度」なんていう時の気温は、もちろん原村中心部の「日影で」測定された気温だ。

2.同じ原村中心部でも、照り返しが厳しくコンクリートに囲まれたところの実際の気温はもっと高い。

山荘の設計によっては、屋内の気温が、1.を超えて 2.前後になることも十分ありうる。

涼しい設計のポイントは、この2点に集約できるだろう。

(a) 室内にあまり直接的な光が入らないようにすること。

(b) 雨が降っても窓を開けて通風を確保できるようなつくりにすること。



この2点を厳守すれば、涼しい山荘が手に入る。

これは建物の基本で、日本の昔の建物のルールでもある(ところがガラスを使い密閉度が高いアルミサッシが誕生して、それは完全に変わってしまった)。

(a)は簡単で、1.開口部の大きさと、2.開口部の方角と、3.その上にどの程度の軒や庇があるかという3点で、おおよそが決まる。

(b)も簡単で、(a)から2.を取り除けばいい。

アルミサッシがあるからと言って、屋外が暑いのにこの2点が守らなければ屋内も暑くなり、最も暑い時間帯に屋内に直接大量の日光が射しこみ、雨が降れば窓を閉めなければならず、通風もなにもなくなる。



したがってエアコンによる空気の冷却が必要になる。

嫌でしょ?



設計上のポイントとして、昔から日本の家屋がそうであったように、多くの窓の上になるべく軒や庇が出るように設計することは重要だ。

これにより、窓を通した直射日光の屋内への侵入の調整が可能になる。

どんな大きな開口部が真南に向いて設置されていても、その直上に巨大な軒があれば、直射日光は屋内に入らない。

またちゃんとした軒や庇が窓のすぐ上にあれば、雨天時でも窓を開放したまま、通風を確保することも可能になる。

この軒(あるいは庇)と開口部の大きさや位置の関係をつかえば、採光の調整はどんなにでも、好きに出来る。

特に上下に動かす方式の窓は上半分だけを開けることも可能で便利だ。

その上に軒や庇があれば、それが大きな窓であっても上半分だけを開けておくことが可能で、通風を確保しながら雨天時の雨の吹込みも避けられる。

一方気温も湿度も高い雨天時に、窓を全部閉めなきゃいけない設計の建物は、冷房を多用せざるを得ない。



軒や庇のない家を設計しそこにやたら大きな開口部を設けるのは、現代の密閉度が高いアルミサッシが出来てから、初めて可能になったことだ。

そして温暖化傾向が厳しくなる中、屋内に直射日光をますます熱心に取り入れ、屋内の気温を上昇させている。



原村でも「昼間暑くて昼寝もできない」と、エアコンを導入する別荘が増えていると聞く。

よくわからんなぁ・・・と私は思うのでした。



【つづく】
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八ヶ岳西麓原村(4) 小諸市のグラン・ミュール カワグチ葡萄園へ

2019-06-02 06:42:14 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
グラン・ミュール カワグチ葡萄園を訪問した。



カワグチ葡萄園の主であるカワグチさんは、長野県小諸市でワイン用のぶどうを生産しているのだ。

生産すると言っても、まだそのぶどうはワインになったことはない。でもその将来性にすでに注目が集まっている。

カワグチさんは、私のかつての同僚。20年以上前からのおともだちだ。

カワグチさんは、なんと米国ウォートン・スクールのMBAなんて学位までお持ちの方だ。

そして英国で金融マンとして働いておられたこともある。

カワグチさんと私は東京のある外資系資産運用会社で出会い、その後何年も一緒に働いた。

ところが数年前、カワグチさんは華麗に転身、葡萄園を始めてしまったのだ。すげーー。

玉村豊男さん(↓の画像)をご存じだろうか?



都会的田舎暮らしの先駆者であり、ワイン生産者であり、仏文学者であり、エッセイの名手でもある方だ。

私も玉村さんの大ファンだ。

複雑なことでも、あそこまでわかりやすい文章で明解に説明できる人は珍しい。つまり頭がいいんでしょうねえ。

生真面目なカワグチさんは、その玉村さんのワイン学校にまずは通うところから、自身の行動を始めた。

千曲川ワインバレーという言葉をご存じだろうか。

長野県を延々と流れる千曲川は、新潟県に入ると信濃川と呼ばれるようになり、海へそそぐ。

全体では日本最長の河川だ。

その千曲川にそって、日本の新しいワイン用ぶどうの生産地域が広がりつつある。



日本のワインというと永らく山梨県が中心的だったが、地球温暖化に伴い、そのウェイトは北の長野県に移動しつつある。

世界的な傾向と同じだ。

その千曲川ワインバレーの上流部にあたる小諸市(赤い丸で囲まれたところ)は標高も適度で、あのマンズワインも多く生産されているところだ。

千曲川に向けて南向きのなだらかに下がる丘にぶどう畑が広がる理想的な土地柄。

この日はそこにあるカワグチさんの葡萄園を訪問した。

ドガティ君もいっしょに。



出発!

原村の山荘から、御柱街道をどんどん下がる。



それから北上しておとなりの茅野市を今度はどんどん上がる。

大門街道と呼ばれるところだ。



やがて蓼科観光の中心地、白樺湖にさしかかる。



さらに行くと女神湖。



とても静かなところです。



そのあたりをピークに再び下がる。

やがて人里に入り、周囲には田んぼが多くなる。



グラン・ミュール カワグチ葡萄園がある小諸市に入った。



小諸市の中心部の地名は「古城」。



島崎藤村のあの「小諸なる古城のほとり・・・」の古城。

さすがだな、この地名。

突然ですが、この日はこのムードだったんだなぁー。



バリー・マニロウが、亡きサッチモの録音とデュエットするWHAT A WONDERFUL WORLD♪

立派な葡萄園主となられたカワグチさんにぴったりな歌だ。

YouTubeで聴いてね。



JR小諸駅前でカワグチさんと再会。二年ぶりかな。



はぐはぐ・はぐはぐ。(^ε^)-☆Chu!!

はう・はぶ・ゆー・びーん? 

あいぶ・びーん・べりー・うぇる。さんきゅー。

今や農家のカワグチさんにリードされて、小諸市内をクルマで移動する。



前を走る軽トラ(↑)はカワグチさんの愛車。いまや葡萄園主となったカワグチさんが、それをゆっくりゆっくり運転する。

着いた。カワグチさんが向こうで呼んでいる。妻とドガティ君がそちらに向かい、私はそれを追いかける。



カワグチさんの葡萄園は3つに分かれる。

これはもっとも低いところで、標高680mあたりだ。

カワグチさんが自ら「名誉の畑」と名付けたところ。



ぶどうの苗木や葉を見てドガティ君が言う。

「それは食べられるの?」



それは無理です。

「なーーんだ」とドガティ君。



見よ、3年目の苗木を。



ぶどうがなるが、これらはやがて摘まれてしまう。



さらにどんどん成長してもらいましょうね。

かわいいねえ、ぶどう。

この眺め。



すごいでしょう? グレートでしょう??

生真面目なカワグチさんらしい、整然としたぶどうの苗木の並び。



みなさん、信じられますかね。

これ全部、カワグチさんがひとりで世話しているんだよ。

しかも、こんなのが3か所にも分かれているんだ。



支柱を植えて、専用の鉄線を張り巡らす。

そこに苗木を植えて、枝を伸ばさせて、葉を選んで摘んで。



一番端の支柱は腐食しにくい太いカラマツ。何番目かを認識する番号がふってある。



これは12番目。

途中の支柱は金属だ。

苗木と苗木の間の広い通路部分を通過し、見学する妻とドガティ君。



ドガティ君も楽しそうだった。

こちらがカワグチさんの農作業グッズ収納小屋。



乗車して動かす草刈り機や、脚立や、苗木を寒冷期に保護する藁も。



この農家的風景を見てください。



これが千曲川ワインバレーの中でも南傾斜を誇る小諸市にあるカワグチ葡萄園。



移動しましょう。



2番目は「喜びの畑」の名で呼ばれるところだ。

ここで標高は850mほど。

こちらが葡萄園主のカワグチさん。今や農家。



妻が歌うのはぶどうの歌?



下がると千曲川。

しかしその向こうは上がって、はるか向こうに八ヶ岳東麓が見える。



普段私が見ている西麓の逆側からの景色だ。

真ん中の山(↓)をご存じ?



小諸から見た浅間山だ。

さらに移動する。

3番目の畑へ。こちらは「希望の畑」



さきほどの畑と同じく標高は850mあたり。

ここを開墾する時に出た岩の数々。農業とは大変なことなのです。



この区画は何も植えられていない。まだこれからだ。



ここには、スイスではとてもポピュラーなシャスラ種(ぶどうの一種)が植えられる予定である。

苗木はすでに日本に到着。

いまは防疫経過期間中。それが終わればさっそく植えられる予定。

ドライな白ワインにもなって楽しめるし、あの有名なチーズ・フォンデュを作る時にもそのワインは使われる。

そうなんだー。すべてこの話は、カワグチさんからの受け売りだ。

小諸のカワグチ葡萄園のこの区画は、日本では稀有なシャスラ種の畑になるぞーー。

カワグチさんが葉と茎の剪定のプロセスを説明するところ。



横に伸ばした苗木の枝から、茎と葉が出て来て上に伸びるが、それらは一定の間隔(こぶしくらい)を開けなければならない。

あまりに混みこみになると、日が当たらず空気も通らなくなり、腐る部分も出てくるからだ。



これ(↓)もやがて間隔をあけて摘まれることになる。



苗木は枝を鉄線にそって水平に伸ばす。



しかし鉄線は気温が上昇すると伸びる。鉄道のレールと同じだね。



するとこの道具を使ってカワグチさんは1本ずつ鉄線を引っ張って締める。



この丸い器具がそれを固定する。



なんと詳細な説明がついた、私のブログでしょう!

でもね、みなさんが気楽にお飲みのワインのもとであるぶどうは、みんなこうやって丹念に作られているのですよ。



ローマ時代からの天の恵みであるぶどうや、それを育てる人、そしてそれを醸造してくれる人に感謝してワインを飲みましょう。

グラン・ミュール カワグチ葡萄園の見学が終了した。

全体で約2時間。

私もいっぱい勉強させてもらった。

ありがとうございました、カワグチさん。

さらに移動する。

葡萄園から少し離れたところに、おしゃれなレストランがある。



サンヒルズ小田(小諸市)だ。



我々は屋外の席についた。ドガティ君がいるからね。



この店のオーナーはカワグチさんのぶどう仲間でもある。

ではこちらで田園風のコース料理を開始。

ロゼ・ワイン?



違います。残念ながら。帰りのドライブがあるからね。

ベリーの冷えたジュースだ。

そしてスープ。まあ、乾いたのどにしみること。



たっぷりとサラダ。



シャキシャキ・シャキシャキ。

「そろそろボクにも何かありますかね?」



うーーん、ないと思います。

これ! これが本日の巨大なメイン。



オランダの料理でパンネ・クーケン。ピッツアじゃないよ。

パンネ・クーケンは英語で言うとパン・ケイク(日本語で、日本語じゃないけど、パン・ケーキ)。

王位を息子に譲ったベアトリクス前オランダ女王が、このカジュアルな料理を大好きだったとか。

このレストランのオーナーは海外駐在が長い方で、オランダにも長く暮らした方だそうだ。

カワグチさんといい、このお店のオーナーといい、極めてローカルながら、インターナショナルな田舎人。

調べるとパンネ・クーケンって、かなりいろんなパターンがあるみたいだ。

お菓子的なのから、お食事的なのまで。



あぁ~、いい日だ。

カワグチさん、妻と、あれこれおしゃべりしながら長いランチ。

デザートが出て来たよ。



名残惜しいが、コーヒー飲んだらランチも終了。



ここでカワグチさんとさようなら。

また会いましょうね。なんていい日なんだろう。

元同僚の長年の努力とその成果を見た、とってもうれしい日。

先のサッチモとバリー・マニロウのデュエットじゃないけど、WHAT A WONDERFUL WORLD♪

【つづく】
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八ヶ岳西麓原村(3)ドガティ君は原村の農場へ、貸し切りなのでいつものように暴れる

2019-06-01 08:44:10 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
八ヶ岳山麓の山荘滞在の2日目、夕方。

いかにも標高が高いぞ!と思わせる空。

雲がね、すごいスピードで流れて行くんですよ。



山荘があるのは標高1,600mのところなんだけど、そこから標高差で300mほど下るとドガティ君の運動場に到着する。

じゃーーん、また来ちゃった。



八ヶ岳中央農業実践大学校だ。

単に「農場」と呼ばれることが多く、「原村の農場」と言えば話は通じる。

これはトレーニング中の画像。

「伏せ、待て」を命じられ、妻はどんどん行ってしまうのに、ドガティ君は伏せたまま待たなければならない。



実際には待てなくて、途中で動いてしまうことも多いのだ。

先代犬の茶々之介氏よりも、ちょっと緩いドガティ君。それもご愛敬。

「いきなりおかーさんがボール投げた」



「ボク、走ります!」

「ビュゥ~~ン」



「この解放感。ボク、原村好きです」

「しかし誰もいないね。鎌倉より人が少ないです」



「さあ、おかーさん、次を投げてみろ」



「どんなボールも捕ってやるぞ。広い範囲をカバー、イチロー選手みたいなもんさ」

「早く次を!」



「方向を見定めて、早いスタート、猛ダッシュ!」



「どぉ? ボクの走り。犬界のイチローとは、ボクのこと」(ちょっと自慢げ)



「おかーさん、ここは本当に楽しいところですね」



繰り返したボール投げ。

イチローごっこに疲れたドガティ君。

だんだんボールを座って噛み噛みすることが多くなる。



では、歩いて移動しましょう。

真正面、向こうに見えるのが阿弥陀岳。



八ヶ岳連峰の中のひとつ。標高2,805mだ。

空はこんな感じ。

気持ちえぇーー。



消化試合のような行動をとるドガティ君。



上機嫌です。



ここに来ると張り切ってしまうのです。そして楽しいのです。

妻はスマホでドガティ君を撮影。



連写、連写。

カシャ・カシャ・カシャ・カシャ・カシャ・カシャ。



運動で暑くなったでしょ。

水を飲んでもらいましょう。



農場の中を少し散歩。



広いんですよ。

みなさんも遊びに来て、アイスクリームやチーズやタマゴや野菜や草花を買ってください。



さあ、帰るぞーー。

向こうに見える松の並びがあるのが、通称「御柱街道」。



あの御柱祭で、諏訪大社上社(本宮と前宮がある)まで、8本のモミの木を引っ張って行く、緩い下り坂のことだ。

その行事は、この広場の少し下(画像で左の方向)のあたりから、スタートする。

次回は2022年春だよ。

原村のAコープでお買い物。



山荘に来たら諏訪の酒を飲もう。



ご存じない方のために言うと、諏訪地域は6市町村。

北から順番に岡谷市、下諏訪町、諏訪市、茅野市、原村、富士見町。

独特な地域だ。

先ほどの御柱祭なんて上社と下社で分かれるものの、6市町村全域を巻き込んで6年に1度開催される。

じゃあ、全体がよくまとまっているかと言うと、そうでもない。

平成の大合併時代、全体の合併を推進しようとしたが、地域内はバラバラ。

原村なんてあまり合併する気なしで、その動きは結局とん挫。



買って来たAコープ製天ぷら。エビとイカ。

横内製麺のそば。よもぎ入りだ。



横内製麺があるのは八ヶ岳南麓、北杜市長坂町の会社だよ。

【つづく】
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