「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

自宅からすぐ近くのAWANOUTA(鎌倉市七里ガ浜東)へ行くのに御茶ノ水まで遠回りして行く

2019-09-21 03:00:42 | 
外出する私を、ドガティ君が玄関まで見送ってくれる。



「おとーさん、どこゆくの?」

「AWANOUTAでラーメン食べる。でもその前に御茶ノ水(都内)まで行く」

江ノ電稲村ヶ崎駅へ向かいましょう。



もうちょっと早ければ乗れた鎌倉行きを逃した。



鎌倉駅でJR横須賀線に乗り換え。

載った横須賀線が大船で長めに停車。

結局東京駅に着いた時は9:50AMだった。



それは困る。

御茶ノ水の日大歯学部口腔外科の先生の予約は10:00AMだ。

しかたない。東京駅丸の内側からタクシーで飛ばしてもうらう。



大慌てだ。

こんな時でもブログのためにちゃんと撮影を忘れない。褒められるべきか、逆か。



到着した。2分ほど遅刻。



でもやさしい某教授はやさしい。

半年ぶりに診察。

もう3年ばかり、半年ごとに診察してもらっている。

歯茎の一部が炎症というか、糜爛(びらん)の状態になっている。

それが暴れだしてないかどうかを、診断してもらっているのだ。

歯科医では判断できないことらしい。口腔外科の偉い先生の診断を仰ぐことになっている。

今回もそれが終了。また半年後に伺うことになった。

有名なニコライ堂。いつも立派だね。



本郷通り反対側へ渡ってみた。



離れてニコライ堂を見る。いいねぇ。



下の画像で左側が本郷通りで、そのまま先に向かえば聖橋だ。



右側は幽霊坂というらしい。へんな名前。調べると幽霊坂って都内にいくつもあるようだ。



この本郷通りと幽霊坂に挟まれた場所は、軍艦山というらしい。



軍艦山の解説はこちら。



歴史的にも古いところだから、それぞれの時代、いろんなことがあったのでしょう。

こういう話を読むのはおもしろい。

軍艦山から再びニコライ堂を見る。



軍艦山の最上部に立って撮影。



そろそろお昼時。

近所は高層ビルが多いオフィス街。各種お弁当を売るクルマが来ている。



私はJR中央線で御茶ノ水から東京へ移動する。



そして横須賀線久里浜行きにのる。



JR鎌倉駅JRから江ノ電鎌倉駅に乗り換え。

広告がとってもローカル。



七里ヶ浜駅に着いた。



七里ガ浜住宅地に入る。



右に曲がり、左に曲がる。

右に曲がり、左に曲がる。それを繰り返す。



やがてAWANOUTAへ。



まずは生ビール! おぉ~疲れた。

家から400mほどのAWANOUTAに来るのに、朝早くからすごい寄り道して、江ノ電やJRやタクシーを駆使してきたのだ。



ごくごく飲む。

何食べようかな。



おつまみも出てきた。



からあげも出て来た。



そうだ、冷やしスダチソバ食べよう!!



「冷やしスダチソバ大盛りをお願い」

きれーーー!! 芸術品みたい。



冷え冷えだよ。



よく見ると麺はなにか練り込んであるね。

冷たぁ~い。



ここのお店は無化調なんだが、スープが薄味ながらしっかりしている。

昆布だしが入っている? まるでそうめんのようにさらさらさらさらぁ~と食べられるよ。

ごはんも出てきた。

ぶりこんで食べる。山形のなんとか汁みたい。冷え冷えおつゆの中にごはんだ。



「ごはんを入れたらボケるから、必要に応じて塩を入れてね」とのこと。



生ビール、おつまみ、からあげ、冷やしスダチラーメン大盛り、ごはん。

よく食べたな。

「それ、学生みたいでっせ」と店主さんに笑われる。

西友でお買い物して帰りましょ。



まだお昼過ぎだ。長い一日になりそう。
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奥様は江戸のご実家に行ってしまい、ドガティ君と私だけで迎えた朝はかなり自由なふるまい@鎌倉七里ガ浜

2019-09-19 13:58:21 | いろいろ
早朝からドガティ君と私は散歩に行って帰って来た。



妻はお出かけ。都内の実家に泊りがけだ。

義父も義母もそれなりの年齢。いろいろあるのだ。

私の実の父母より少し遅れて、いろんなことが起こっている。

朝のお仕事。

洗面所のタオル替えて。



洗濯機にぶち込む。



もう10年以上は使っている。

特に問題はない。

ドアを閉めてしまうとこんな状態の収納に、洗濯機は収まっている。



あ、いかん、トイレのタオルを忘れていた。



これも洗濯機へ。

昨日脱いだ服も全部洗っちゃおう。

朝からこんなの食べちゃう。



おっさんひとりの朝ごはんは自由なのだぁ~。

熱湯入れて3分。

湯切りして、粉末ソースにからしマヨをぶちゅっ!



このからしマヨがポイントだ。

ツン!と来るぜ。

まぜまぜ・まぜまぜ。



これが本当に朝ごはん?

さすがにこればかりでは不安になる。

野菜を「飲む」が、これでいいのだろうか?



乳酸菌飲料も飲む。

昨日は夜遅くまで雨がパラパラ降っていた。

今日も午前中は不安定。



しっかり雨を吸った芝生がきれいだ。

刈ってから数日後、伸びたばかりの芝生っていつもきれい。



はだしで歩きたくなるのもこの頃だ。

鎌倉では、庭にウッドデッキあるいは一気にタイルを広範囲に張るって方も多いが、私としては芝生をお勧めする。

気持ちいいことこの上ない。

またウッドデッキやタイルのように、夏にそれ自体が熱を持ちその熱が自宅内に入り込むことが少ないという点でも、酷暑ばかりの時代には、楽なことだ。



「おとーさん、おなかが減りました」



はいはい、わかりました。

お待ちください。

その前にゴミ捨てます。



10袋800円。LL袋だとはいえ、高いなぁ。

他市町村はどうなってますか?

もともと鎌倉市は、ゴミ処理の効率化を考えるとのことで、戸別収集とセットで、ゴミ袋の有料化を提案した。

ところが戸別収集は立ち消えになり、ゴミ袋有料化だけが実施された。

詐欺みたい。それについて納得できる説明がない。

財政が苦しいというのだろうか?

しかし全国市町村職員の平均給与比較のデータから見て、鎌倉市は不名誉にも突出する高給。

しかもそれが、毎年のように上昇を認められている。

市職員よ、それを恥と思わないのか? それは名誉なことではない。不名誉なことなのだよ。

市民よ、怒れ、それを。

怒れ、簡単にそれを通すなれ合い体質に染まった大半の市議会議員の行動を。そういう議員に投票するのも止めよう。

市議会議員の普段の行動をチェックしよう。ネットを見ていれば、簡単にわかる。

怒り過ぎて、ドガティ君のごはんを忘れていた。

ごめん、ごめん。

ドガティ君の体質にあった状態で、そのフードを正確に与えている。



「早く、くれくれ」とドガティ君が踊り始める。



はい、どうぞ。

朝早すぎる時間帯にスタートした洗濯が終了。



タオルを収納。



でもまだ朝8時過ぎ。

ドガティ君の歯磨きとブラシはこれからするんだけど・・・。

それにしても、これから1日をどう過ごしましょ?
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茄子がいつも余るから、その結果麻婆茄子という選択になり、面倒なのでワンプレートのランチ@鎌倉七里ガ浜

2019-09-18 12:00:00 | 食べ物・飲み物
本日は休肝日。

アルコールなしのビールもどきで気分を鎮める。



ピーマン。



茄子。



この茄子がやっかいだ。

スーパーではたいてい3本を1袋にして売っていて、夫婦2人だと3本全部を一挙に使うことがない。

必ず1~2本余る。しかし余ると、なかなか使いようがない。

私の場合、余った茄子は、たいてい麻婆茄子にしてしまう。

豚挽き肉をしっかり焼く。



いつもの豆板醤と甜麵醬。



加えてニンニクを大量に。



おーー、もうこれでベースができた。



スープもつくっておこう。



中華だし、オイスターソース、ごま油、胡椒。

もうできた。



このネギはスープに入れる。



茄子は熱が入らないといけないが、長時間ずっと炒めているのは嫌だ。

事前に揚げてしまえとレシピにはよくあるが、それは面倒。油もたくさん出る。

そこで軽くレンチンしてしまう。



中華料理は速い。

もう最後の味付けだ。

醤油と豆鼓醤。あとは酒に水溶き片栗粉があればいい。



ザザッと炒めよう。手早くね。



そして酒、水、醤油、水溶き片栗粉、豆鼓醤。



サッサと加熱して混ぜ合わせ、最後に花椒で華やかな香りと辛さを。



できた。



余った茄子を消費した。ごはんと一緒にワンプレート。



麻婆茄子丼だ。



スープもね。



ニンニク、豆板醤、花椒。

香りや辛さは強烈。



甜麵醬や豆鼓醤で、コクも出るね。

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JL横浜デート(3) 横浜の最もハイレベルな住宅地、中区山手町をふみふみ(先輩の名前)と歩く

2019-09-17 03:00:27 | あちこち見て歩く
前回のつづき。

今日はかなり長いよ。

JL(=ジジイズ・ラブ)の逢引ストーリーは続くのだ。

中華街から元町商店街を抜けて南進すると、急坂がある。



なんとも横浜らしい地形。

この坂道の上が文字通り山手町だ。



急に巨木が見えて来て、「むむ、この先はハイソなエリアだぞ」と思わせる雰囲気。



前を行くのは私の先輩。



お名前をふみふみと言う。

ふみふみに案内されて、散歩。



道のつくりと両側の風景を見ただけでわかる、ハイレベルな住宅地。



横浜という港町、そしてその商店街、そこからちょっと坂を上っただけでこの雰囲気。

昔からお金持ちは、港から坂を上った小高いところに住むのだ。

大きな船が出入りできる港を遠浅な海に造ることは困難。

だから良港のある地形と言えば、山が海に迫るようなところも多い。

長崎や神戸、あるいはサンフランシスコやケープタウンや香港も同様だ。

これらの港町はとても風光明媚であり、外洋からやっとたどり着いた船の上からそれを見た人たちは感激する。

そうした港町の山の手を、今回はお見せしましょう。



↓の画像は、右から読みましょう。



山手町45番の2です。

ここは山手町のど真ん中。



教会がありますよ。



これも神戸と同じ。

神戸の場合、坂を上ると中山手ってところがあって、そこに中山手教会ってのがある。

こちらは山手町にある山手教会。



坂道、教会、パン屋さん。

国際的に早くから開けた港町の山の手に多いものだ。

閑静な脇道へ入る。



ふみふみはよく知った山手町をどんどん案内して下さる。

静かなところに立派なマンション。



素晴らしいね。

この後もふみふみによる横浜市中区山手町の案内が続く。

あっち行って、こっち行って。

実はふみふみはこのご近所にご自宅を所有しておられる!

良いロケーションでも、ふみふみはそこには住んでおられない。

さらに信じられないことに、ふみふみは都内渋谷にもご自宅を所有されていて、そこに住んでおられる!

どうなってますの?

少し富を分けてもらえませんか?

横浜の山手町に住み、坂を下りて中華街でランチするというのが、私の理想の生活なんですけど。

山手のドルフィン・・・ユーミンの海を見ていた午後♪



YouTubeでどうぞ♪

「山手のドルフィン」はここ横浜市中区山手町には昔からないのだけれど、今も店としてはちょっと離れたところにありますよ。

一度はご訪問ください。

横浜は江戸末期以降に早くから海外に向けて解放された歴史を持つ街であり、その山手は外国人が多く住んだ。

だから本邦のテニス発祥の地でもあるのだ。



私がかつて住んでいた神戸と同じだ。

神戸の港の北側にある六甲山は、本邦のゴルフ発祥の地。

横浜と神戸はいろんな類似点がある。

前々回ご紹介した堂々たる旧横浜正金銀行本店は現在は神奈川県立の博物館になっているのだが、同銀行の神戸支店もまた堂々たる石造建築物で現在は神戸市立の博物館になっている。

こちらは山手公園。



日本初の洋式公園として知られる。

で、ここがテニス発祥の地。



みなさん、ここでテニスしましょう!



・・・と思うが、それはそんなに簡単なことではないかも。

ここのテニスクラブに入会するのは、どうも簡単なことではないらしいのだよ。



あそこに素敵な建物がある。



これもまた、見ただけでわかるね。

最近のペラペラした新建材で固めた「洋風」建物ではない、見るからに本当の木材を建材として建てられたクラブハウス。



無料で公開されているよ。

勝手知った顔で歩く先輩ふみふみ。ふみふみには山手町が似合う。



中は撮影自由。

古いテニス・ラケットや展示物でいっぱい。



ふみふみは英国の帰国子女でもある(・・・ホント)。

だからテニスに関して技術的に精確性を要し日本語では表現が困難な点について、ふみふみと私は英語で会話する(・・・ウソ)。



気持ちよさそうにテニスに興じる方たち。



周囲は森です。



山手公園およびテニスコートの区画を出て、ふたたび散歩。



周囲は静かな住宅地なんだねえ。



でもすぐ下が元町商店街であり、あの喧噪の中華街なんだ。

でもここは重厚な山手町。いいところだね。

元町や石川町からすぐだけれど、ここらあたりは今も第一種低層住宅専用区域が残る。

建蔽率40%、容積率80%だったりする。鎌倉市の住宅地の多くと変わらない。



前回ご紹介したでしょ。

日本郵船横浜ビルがあったでしょ。

明治以降貿易を通じて、日本の経済発展に貢献した会社です。

ここに立派なクラブハウスを所有しているのです。



こっちは何? この奥にお住まいの方はだれ? 美しい画像ですね。



山手町の中心的な通りを進む。



べーリックさんのお宅の前です。



建物だけじゃない。

他も立派だ。左から車道、歩道、私邸の石垣。



すべてがきちんとしている。

美しいよね。

あらゆる住宅街がこうあるか、あるいはこうでなくても、もうちょっと美的でありたい。

入ってみましょう。



以前からこのブログで申し上げている通り、南に向かって窓の上に軒がない場合、こうした庇がつくことが望ましい。



「洋風住宅に庇は似合わない」と通説を堂々と述べる人がいるが、それは誤りだ。

当時海外からやって来た一流設計者が設計した本格的洋館だって、このように庇があるわけだし。

軒も庇もなにもないと様々な問題が生じる。

普段利用しない部屋で、例えば北側の窓ならそれもよかろうが、それが普段から利用する部屋の南の窓で、その上に軒も庇もなければ、日照による屋内気温の異様な上昇の問題が発生する。また雨天時に窓が開放できなくなる。

さらなる温暖化を考慮すると、部屋の中を自ら異様に温めておいて、それを今度はエアコンで冷やすというエネルギー的に無駄なことを、今後はますますせねばならず、あまり賢明なことではない。

夏の屋内の通風を確保しながら、直接的な日照による屋内の気温上昇をいかに防ぐかを考えないといけない。



しかし軒を出す場合は安易に出しては行けない。

これも先日書いた通り、簡単なつくりで軒を出してしまうと暴風に屋根をはがされたり、全体が飛ばされることも起こる。

1週間前の台風15号でもそれが見られている。

それを避けようとすると、今度はコストがかかる。

屋根なんて一般的にはマイホーム購入者の興味の対象外であるからして、コスト上昇要因になることは家を売る側も避ける。

建築工事の契約が取りたいからだ。

したがって、日本の家から軒がなくなる、あるいは小さくなって行く。これも先日説明した通り。

ちなみにこの建物の中は涼しい。

ダイニングルーム。



階段のてすり。



二階の窓から外を眺める。



バスルーム。



金属製の暖房器具がとてもいい。

大昔の温まっているんだか、そうでないのか、よくわからない弱わぁ~い英国風暖房器具。

こちらは書斎。



PCというものがデスク上に存在することが当たり前になり、屋内の風景ってかなり変わった。

ああいう電子機器は、インテリアの重厚さを失わせる「汚い」ものだった。

かつては、固定電話機あたりが置きっぱなしにできる機器の限界だっただろう。

英国の上流階級の邸宅では、テレビなんで醜悪なものは人様から常に見えるところには置いてなかったと、その手の解説本には書いてある。

ところが1990年代後半から、デスクの上にPCがあるのが当たり前になった。

その頃から立派な会議室や役員の部屋には、オンラインでの会議のため、スクリーンがあるのが当たり前になった。

テレビは薄型になりデザイン的にもすっきりして壁にかけてあったりする。

以前ならこうした部屋では「汚い」ものとして扉の向こうに格納されていたものが、最近は外に出たままだったりするわけだ。

しかしここべーリック邸ではそうしたものはないのでした。

昔のまま。

この邸宅の全景。



さらに行くよ。



喫茶・軽食の店として利用できるところが多い。

観光客が多いからね。



電話ボックスもこのような外観。



次々と教会が出てくる。



どんどん撮影しちゃう。



教会、港、坂道、洋菓子・パン店。

ここからは外国人墓地です。



このあたりで、横浜市中区山手町は最高潮だ。



ご覧ください。



年代からして、第一次大戦で亡くなった人たちのようだ。



しかしなぜに横浜に? 

今は調べる時間がない。

こちらは港の見える丘公園。



今回は大サービスだよ。

横浜観光のポイント大放出だ。

向こうにぼんやり見えるのは・・・東京のスカイツリー。



港の見える丘公園でたたずむ還暦過ぎのオトコ二人、先輩と私。



「今日もよく歩いたよね」なんて会話する。

こちらはイギリス館。ジョージ王だ。



GRとはジョージとレックス(=王様の意味、ラテン語)

エリザベス2世の前だね。

エリザベス2世なら、E II R(エリザベスとリジャイナ(=女王)の間にIIと書けばいい)。



ここが港の見える丘公園前の交差点。



ここからは下りだ。海の方へ向かって。



再び来ました、元町商店街。



チャーミング・セールが楽しみだね。

ふみふみとスタバへ行く。

ラテのアイス。喉がかわいてるから、おいしい。



それではさようなら。

私はJR石川町駅方向に向かって歩きます。

先輩ふみふみは地下鉄で都内へお帰りになる。



途中ポンパドールでパンを買って帰りましょう。



よく歩いたね。

横浜正金銀行本店をくどいほどお見せして、横浜港や中華街を観光客のように楽しみ、最後は優雅でハイソな中区山手町を仔細にご紹介した。

横浜JLデート。ウヒ♪

【おわり】
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JL横浜デート(2) じじい達はベタな横浜ガイド的に中華街へ向かい四五六菜館本館へ

2019-09-16 03:00:10 | あちこち見て歩く
前回の続き。

JLとはジジイズ・ラブ。

還暦を過ぎたオトコ達の熱い横浜デート。

オトコ達は日本の経済発展を支えたモノを見るとコーフンするのである。

これをご存じですか?



NYKだ。

NIPPON YUSEN KAISHAのことで、つまり日本郵船横浜ビル。

日本の貿易最前線。

神戸と同様、重要な港には日本郵船の立派なビルがあるのだ。

日本郵船歴史博物館にもなっている(今回は見学していない)。

したがってすぐそばには横浜税関。



クリニックの隣に薬局があるようなもの。

裁判所の隣に弁護士事務所やら司法書士事務所があるようなもの。



途中、いろんなお店がある。



横浜的なエキゾチックなお店。



そしてここへ、開港広場だったかな?

北欧料理の店があり、シルクセンターなんてところがある場所。



シルクだよ? 日本の貿易の歴史だよね。

横浜港は開国後の日本の経済発展を支えたのであぁ~る。

みんなで、いしだあゆみさんのこの曲を聴こう♪



1960年代後半、まだ高度経済成長の時代の歌だ。

公害問題が大変。

当時から日米貿易問題なんてあったよ。

東京オリンピックから何年か経ったところだ。

大阪万国博覧会はもうちょっと先だ。

山下公園へ。



右隣に高層の新館が建てられても、相変わらず旧館ばかりが注目されるホテル・ニュー・グランド。



横浜港の象徴だ。

新館ももうちょっとクラシックな作りにすれば良かったと思うよ。ちょっと重厚さが足りなかったな。

赤と白の煙突を見よ!



氷川丸だ。

さきほど見た日本郵船がかつて運航していた船だよ。

横浜の歴史みたいなもんだ。

今回の連続投稿は勉強になるねぇ。

これをもうちょっと深掘りして、前回の横浜正金銀行と一緒に項目ごとに文章長くしたら、横浜の中学生レベルなら夏休みの自由研究として提出できる。

マリンタワー。これもまた横浜。改修工事中。3年がかりらしいよ。



そこからすぐのところにあるのは中華街。



腹が減ったのだ。

ランチを開始すべき時間を、とっくに過ぎている。



そういう時間帯にここ中華街にいるという先輩と私は、なんてラッキーなのでしょう。

横浜っていいところだ。日本の都市の中でもかなり恵まれた方だ。

都市に住むなら横浜か神戸。港町はどこもとってもコスモポリタン。



脇道と言うべき市場通りへ入りましょう。



奥へ奥へ。



安いよね、この定食。たくさんついて850円。



一方こちらはダック。



JL二人組はたらたら歩く。

「ねえ、どこにする?」なんて相談しながら。

結局、四五六菜館本館へ。



新館、別館もあって、良い店だな。

JL(ジジイズ・ラブ)の2人らしい選択だ。

コース料理をゆっくり楽しめるのだよ。

まずは、生ビール。



焼き豚に、くらげときくらげ。



ピリ辛なチリソースの海老。



レモンサワー。



中華せんべいに北京ダック。



ニラの餃子。



小籠包。



麻婆豆腐。



海老や春雨の辛いスープ。



炒飯。



先ほどのスープを分けたところ。



レモンサワーのお替り。



杏仁豆腐。



いやーー、よく食べました。

JLランチ。先輩と私♡

オトコ二人はよく食べたのです。

これまでの思い出を語りながら、これからあるべき人生を語りながら。



お支払いをしましょう。



四五六菜館本館、ごちそうさまでした。

こちら(↓)はすぐ近くのお店で景徳鎮。

四川料理としては、先輩のおすすめの店だそうだ。



景徳鎮と言えば、陶器の産地。

我が家にもあるよ。ロンドンで買ったどんぶり(↓)。「中国景徳鎮」と書いてあるでしょ。



ここも先輩おすすめのお店。



肉の加工品の店だ。

旨そうなものばかりの立て看板。

お店全体はこんなの。



二階で食べられるらしい。

その後・・・たまたま私のあこがれの店の前を通過した!

行こうと思えば行けるのに、いまだに行ってないところ。

先輩のおすすめの店でもある。

ここだ。



萬来亭。

まだ来たことないんだなぁ~。

私もこの店はよく認識している。

でも残念ながら、まだ来たことがないんだ。

以前から私がつくり続けている上海炒麺を食べさせてくれる、国内で数少ないお店のひとつ。

隣はその製麺所。



これぞグルメ。

高いからいいってもんじゃない。

おいしいものは、安くても高くてもおいしい。高くてもたいして美味しくないものもいっぱいだ。



しかし上海炒麺ほど簡単でおいしいものはないと、私は思っている。

黒い醤油、カラメルのきいた甘みもある老抽王を使った、たいへん簡単な炒めそばだ。



私もこれを食べるために、老抽王を購入し続けている。



日本のふにゃふにゃな蒸し麺ではなく、しっかりした中華麺を購入し、中国風の炒め麺を調理し続けてきた。

うおーー、できるぞ、自分だって、本格派上海炒麺。

こちらが僭越ながらわたくしの自作(↓)。



おいしそうでしょ。

でも、いまだに外で食べたことがない(←私はこういう料理が多い)。

外で食べたことない料理を、自分でつくるのって大変よ。



あぁ~食いたい。

でも残念ながら、JLのオトコ二人は次の目的地へ向かうのでした。

こちらがおしゃれな元町商店街。



ここを抜けて坂を上ろうね。

次はハイソな横浜をご案内。

次回に続く。

JLはねちねち話が長いのだ。
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JL横浜デート(1)じじい達は出会った頃の自分達のルーツを確認しに旧横浜正金銀行本店へ向かった

2019-09-15 00:58:37 | あちこち見て歩く
ドガティ君はモデル犬。

お風呂に入っている際中でも、スマホを向けられると最高の笑顔。

ニコッ!



でも「おすまし!」と言われたら、おすまし顔に切り替え。



商品を横に置き、「ちゅっ!」と言われたらそこにちゅっ!



どこかの企業のCMでドガティ君が使われないかしら? ギャラは相当高額ですけど(笑)。

本日はJL横浜デート。

JLって何?

JKは女子高生。BLはボーイズ・ラブ(美青年間の愛、あるいはその漫画)。

JLはジジイズ・ラブ。

還暦を過ぎた男性がデートすることがJLなのだ。

今回はそんなお話。場所は横浜。

江ノ電稲村ケ崎駅へ向かいましょう。



江ノ電鎌倉行きは、間もなくやって来る。



鎌倉駅でJRに乗り換え。

JRで1回乗り換えて着いたのが、JR根岸線関内駅。



こちら(↓)は、関内駅前の日高屋さん店頭。



ガパオをぶっかけた汁なし麺だそうな。初めて見た。

いかにも私が作りそうな麺料理だな。

まるで私のブログを自分で見ているような錯覚に陥る。

本日は馬車道に向かっている。



こちらが馬車道入口。



ここが本日のJLつまりジジイズ・ラブのスタート地点。

33年前に職場で知り合った先輩と私、還暦過ぎたオトコ2人が横浜でデート。

ルンルンルン♪

そしてまずその2人は、自分たちが知り合うことになった職場のルーツを訪ねようとしている。

そのルーツがこの馬車道に沿ったところにある。



見えてきた。



これがそうだ。



堂々たる石造建築物。



旧横浜正金銀行本店である。現在は神奈川県立歴史博物館として使用されている建物。



横浜正金銀行とは外国為替専門銀行。

明治時代に入り日本の外国貿易促進を目的として、そのファイナンスを行うために作られた銀行だ。

第二次大戦後その銀行は改組されるが、外国為替専門銀行の東京銀行となって残る。

1990年代半ばに東京銀行は三菱銀行と合併し、東京三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)となる。

その東京銀行に先輩は1981年に、私は1983年に就職したのだ。

お仕事柄、東京銀行は国内より海外にはるかに多くの店舗を持つ変わった銀行だったが、1986年に先輩と私はロンドンで一緒になる。

もう33年前のことだ。



先輩も私もその後銀行を退職し、外資系に転じてしまう。

というわけで、今回は先輩と私が出会った職場のルーツとも言えるこの旧横浜正金銀行本店を、二人で仲良く訪ねようというJL横浜デート・ストーリーなのである。



ここから少し行けば、日本郵船のビルや横浜税関もあるし当然ながら横浜港もある。

つまり外国為替を取り扱う旧横浜正金銀行はあるべき場所にあったことになる。

ちょっと早めに着いたので、私はこの建物の周囲をあちこち撮影して回っていた。



斜めとなりにも立派なのがあるよ。



安田銀行横浜支店だ。

のちの富士銀行、現在のみずほ銀行だね。



現在は東京藝術大学との掲示がある。



いい建物だ。



こちらが馬車道の端っこ。最も海寄りなところである。



しつこいくらい旧横浜正金銀行をお見せしましょう。



彫りの深い建物だね。



私は「奥目の建物」と呼んでいる。

壁の厚みがあって、窓ガラスが外壁の表面からかなり奥まったところに置かれる設計。

縦長の窓は本来のこういうデザインで利用されると美しい。

こちらが博物館の入り口だ。



先輩と合流し、さあ博物館に入ろう!

・・・いや、入ろうとしたのだが、横に置いてある大砲に関心が向く。



これ一つで乗用車1台分くらいの重さがあるらしい。

スイスの商社が商品として取り扱っていたロシアの大砲で、関東大震災で旧居留地に埋もれ、1959年になって発見されたという。



この鎖、すごい太さですよ。



ロシアのシンボル、双頭鷲。



ロシア文字かしら。。。「M」みたいなのと「V]の逆さまみたいなの。



博物館内に入る。

「撮影禁止」の表示があるもの以外、撮影はオッケー。



神奈川県立歴史博物館であるからして、神奈川県の歴史を教えてくれるところだ。

縄文時代あるいはそれ以前から始まって、鎌倉時代、江戸時代、明治以降。

ゆっくり見たので、入ってから出るまでに2時間以上かかってしまった。

こちらは鎌倉時代の展示。当時国内で硬貨は鋳造されず、宋銭(他の時代のものも)がそのまま流通していたとか。



どうやって市場に供給されたのだろう?というのが先輩も私も最初に思ったことだった。

通貨供給量、つまりは今でいう金融政策としてマネー・サプライを管理するなんて概念はなかったのでしょうねえ。

QE(=量的緩和政策)として米国債やモーゲージ債を中央銀行が購入して、通貨を大量に市場に供給するなんて高度なテクは当時はないわけだから、きっと鎌倉幕府あるいはその高官がこの古銭を好きに使って、それが流通したのでしょう。



なんてことを考えながら歴史順に見て行き、やがて明治以降の展示へ移動して行く。

横浜正金銀行の説明にたどり着いた。



ゆっくり拝見しましょう。



横浜風月堂のワッフルが詰められていたというお菓子箱。



横浜正金銀行の紋章入りだ。

東京銀行に私が就職したのは1983年だから、横浜正金銀行が改組されてから38年経っていたのだが、この紋章が入った金属製の灰皿が銀行内に置かれているのを見た記憶がある。

こっそり持ち出せばよかった。どうせ今頃は処分されているだろうな。

天秤がある。



これで金や銀の重さを測ったのでしょう。



1880年に作られたそうだ。

こちらが横浜正金銀行の支店網。



「あ、ロンドン支店も書いてありますよ、先輩」などと会話する。

20-24 Moorgate, London, EC2R 6DHがのちの東京銀行ロンドン支店の住所だったが、明治時代の横浜正金銀行ロンドン支店も同じだったのかしら。



こちらは横浜正金銀行に係りのあった人のうち、一般的にも名をよく知られた方々5名だ。



左から:

福沢諭吉: 当時の大蔵卿(大蔵大臣)大隈重信に外国為替銀行の設立を提言
大隈重信: 横浜正金銀行を設立した当時の大蔵卿
井上準之助: 横浜正金銀行に入り、のち頭取。浜口雄幸内閣の蔵相となり金解禁を実施したのち、暗殺される
高橋是清: 日銀副総裁、のち横浜正金銀行頭取を兼任。のち蔵相となり不況を乗り切るのにリーダーシップを発揮
永井荷風: 横浜正金銀行ニューヨーク支店、のちリヨン支店(フランス)勤務。

歴史上著名な方々に混じり、永井荷風なんてかなり風変りな小説家、随筆家まで出てくる。

永井荷風のニューヨーク、リヨンの海外勤務の経験は、のちに彼のあめりか物語やふらんす物語となって世に出るのだった。

永井荷風が横浜正金銀行に勤務したことについては、入行した当時、私は人事部の先輩から教わった。

それ以外は歴史の本に出て来る。

こちらは行内の週報。



各通貨の交換レート、金銀のレート表。1927年3月末から4月初旬のものだ、



旧横浜正金銀行本店も最初はもっと小さく、明治20年代はご覧の絵のようだったという。



これは先ほど見たものよりはるかに大きな洋式天秤。少し新しいものになる。



金銀を大量に計測していたのでしょうか?

製作者は先ほどのと同じ。



天秤の権威だったんでしょうねえ。

建物の窓の部分だ。

とても雰囲気が良い。



どっしりと落ちついた横浜正金銀行。

先輩と私は、ロンドン時代の思い出話などしながら、結局2時間をここで過ごしてしまったよ。



JLデート・ストーリーは次回に続きます。
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鎌倉散歩 / 荏柄天神社、鎌倉宮、護良親王のお墓

2019-09-14 00:00:24 | あちこち見て歩く
自宅から江ノ電稲村ヶ崎駅へ向かう途中で、クリを発見。



抜け道をするするコソ泥のように進む。



鎌倉行きの電車だ。



江ノ電稲村ヶ崎駅は、改札口の前がすぐ踏切という構造。



この電車に乗って鎌倉駅まで行こう。

すぐに鎌倉駅に到着。



そして鎌倉皮膚科クリニックへ。



首にできたニキビの大きいようなもの。

それを取ってもらった。

この日はその術後の診療の最終回。

先生、看護士さん、お世話になりました。

小町通りのお店。ここはいつも修学旅行生でいっぱい。

呼び込みもかなりのもの。

SMBCにちょっと用事。



用事は済んだ。

ここからはウォーキングです。

鶴岡八幡宮へ。



いつも堂々たる構えだ。



八幡宮を東に抜けた。



静かな住宅街を歩く。あちこちで細かく曲がるが、全体的には概ね東に向かって進む。



自治会の名前が「大蔵」だ。←これ重要なポイントだよ。



鎌倉市に大蔵って住所はない。

大蔵とは鎌倉幕府の行政機能が集まっていたところを指す言葉。

住所としては大蔵って言葉は残ってはいないけれど、自治会の地区名としては今も残っているわけだ。

その横には電柱がある。

住所は西御門だ。



だれですか「にしごもん」って読んだのは?

「にしみかど」だよ。

これはその大蔵の西の端で、門があったところを指す言葉。

ご覧の通り(↓)、東御門もあった。北も南もあったのだ。



でも今も住所区分として残っている言葉は「西御門」だけなのだ。

こちらは頼朝公のお墓。



でも階段は上らない。

今日はパス。のちほどもっとすごいお墓に行こう。

まずは荏柄天神社へ急ぐのだ。

ほらあった。



階段を上がる。かなり急だ。



すると現れる。きれいな朱色。鮮やかですね。



うしろは鬱蒼とした森だ。



ここは学問の神様。

受験生や研究者の方々がよくこられるところ。



妻が毎年のようにいろんな資格試験を受けるので、ひとつ木札をいただきましょう。



受験当日早朝祈祷なんてあるんだ。受験生のみなさん、よろしかったらご利用ください。



ここは岐れ路の交差点と鎌倉宮を結ぶ道。



そこを行く。

鎌倉宮へ向かって。



鎌倉宮はいつも通り、静かでした。 

しかし実はこれは、先日の台風15号の直前の撮影。

今週月曜日以降は、周辺地区の台風による災害からの復旧のため、市役所、東京電力、自衛隊の人々が盛んにここへ出入り。

さて、話を戻す。

明治時代になってすぐの明治二年、明治天皇の命により造られた鎌倉宮。

武家政治が終わったのだ。明治天皇は張り切っただろう。

鎌倉時代の歴史に出てくる人物の中では、武士、僧侶以外の人物は少数派。

そんな少数派の一人で、かつ不幸な最期を遂げた護良親王が御祭神。

だれですか、「ごりょうしんのう」なんて読んだ人は?

「もりながしんのう」ですよ。



鎌倉は武家の関連のものが多いが、こちらは数少ない天皇寄りのスポット。

護良親王のストーリーはこちらをお読みください。



さらに奥へ。



菊の御紋。



そこからさらに奥へ。拝観料が要りますよ。



ここからがすごい。



ちょっと霊気が感じられます。。。ウソ、感じられません。

護良親王の霊がいらっしゃるような。。。なんてことは、私はどうもわからない体質のようです。

また菊の御紋。



ありました。



護良親王が捕らえられ、9カ月ほどの間ここにおられたという土牢(鎌倉宮が出来てから、当時と同じ状況に復元されたもの)。ほら穴状態です。



からだにも悪そうです。

暗くてじめじめ。

こんなところに長期間。



横から生えた木は巨木になり根をどんどん伸ばし、石積みを崩し、その後枯れ果てている。



長い年月を感じるところ。



護良親王は土牢で殺害される。その首が放置されたのがここだという。



切り落とされた親王の顔のあまりの形相に、首を切り落とした本人が怖がり、首をここに捨てたとか。



そんなこんなで大変なお話なのだ。

鬱蒼と茂る大木に日光も遮られ、涼しい森。



さらに先を急ぐ。



かなり大きなテニスクラブがある。いつも何人もの人がテニスに興じている。



そのあたりで右折する。

「お墓こっち⇒」なんて看板もなにも設置されてないんだが、この先に護良親王のお墓があるのだ。



不思議だ。

頼朝のお墓なんてその周囲に看板だらけだが、護良親王のお墓はそんなもの何もない。

それだけにちょっと迫力がある。

橋を渡ってちょっと先に行くだけなんだけどね。



この近くに、ある土地があって、見に行ったことがある。

七里ガ浜住宅地に住む前の話だ。鎌倉に住もうと思って私は土地を探していたのだ。

その土地を気に入った私は購入の意思を示したが、よく調べるとその土地には抵当権が複数ついていた。

その土地の売り手は多重債務を負っており、その土地を買うにはまず抵当権をはずすということから始めないと無理だった。

したがって私は買うのをあきらめた。

ほかにも浄妙寺の近くや海蔵寺の近くなど、いろんな土地を見に行ったが、全部話はダメになった。

それらはみんな、木々が鬱蒼と茂るようなところだった。

土地ばかりたくさん調べているうちに、海沿いだし、まったく雰囲気が違う妙にカラッと明るい七里ガ浜東に住むことになってしまった。

なんでだろ? 縁ってものですかねぇ。

さて、このあたりは、木々も多くしっとりとした住宅街。



ほらあった、護良親王のお墓。



人がいない。

案内の看板もないもんねぇ。

入ってみましょう。



恐ろしく急な階段。



数十段上がると、一旦平らになるよ。



来る人も少ないので、敷かれた石の上は苔だらけで滑りそう。



また上がる。



勘弁してぇ~、急すぎる。



今度は左に曲がって、まだ階段がある。



凄まじい霊気!・・・を私は全然感じない。

感じる人は感じるんでしょうねえ。

あった!(ほっとする)。



ここで終わり。

ここから先へは行けない。



菊の御紋再び。



お参りしたら、さあ、帰りますよ。

こわっ。



ものすごく急な階段。手すりなんてないよ。



人があまり来ないから、こんな状態。



宮内庁の管理下にある。



すぐ近くの永福寺跡なんて周囲に看板だらけ。



でもこの護良親王のお墓はひっそりとたたずんでいて、近くにそれを示すものがないのでした。

歩いて鎌倉中心部へ戻りましょう。



来た道を戻る。



清泉小学校だ。名門です。カソリックの学校で女の子だけ。おじさんは入ってはいけません。



八幡宮通過。



いやーー、歩いたなあ。

鎌倉駅東側からちょっと行ったファミリーマート。



ガリガリ君のソーダ味を食べちゃう。75円で至福の味。



松林堂書店で本を物色して、1冊おもしろいのを見つけた。



店主さんにご挨拶。

妻が鎌倉駅近くのピラティスの教室に通っている。

それが終了したというので、鎌倉東急ストアで合流。



買い物して、妻が乗って来ていたクルマに乗り、帰って来た。



帰りは歩かないで済んだ。ラクラクだ。

いかがでしたか? 本日ご紹介したのは、私の好きなコースです。
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特に変わったこともなくホントにつまらないただの往復で、鎌倉中心部と七里ガ浜住宅地を行き来。。。

2019-09-13 00:00:27 | あちこち見て歩く
現在PC上ではなぜか一部の画像が見られなくなっているようです。
スマホなら問題ないんですけど。原因は不明。なぜでしょ?


我が家の小さな庭史上、最も芝がよく育った2019年。



ガーデニング界のキング、濱野義弘さんのご指導のおかげだ。

さすが元英国大使館ヘッド・ガーデナー。



芝生なんてそもそもちょっと難しい気候。

それでもなんとかなるのねー。



長めに刈り込んでね。



するとすぐまたボーボー伸びる。

もう大変な夏でした。

でもね、良く育ったんですよ。



これから外出だ。

最近はマンホール・ファン。

これってさ、旧電電公社(日本電信電話公社)のマークだよ。



英語ではNippon Telegraph and Telephone Public Corporationという。

このマークはそのTとTを使い、隙間でSを表現したものだ。

確かにSと読める。SはServiceのSだ。

つまりTTSと書いてあるわけ。

TTS(電信売り為替、Telegraphic Transfer Selling)レート(円貨と外貨の口座間で即日Valueで交換される為替レートで日本独自の英語)と混同されやすい。

電話線も地下を通すことはあり、それは旧電電公社、今のNTTの担当。

そうであれば、この蓋がこの住宅街にいくつもあるならわかるが、少数しかない。

ではこの蓋は何?

手前は西武不動産開発の七里ガ浜住宅地。二車線の道路と二車線の道路が交差するが、その向こうは一車線。



そっちは西武不動産の開発じゃないのだ。

旧飯野不動産開発の住宅地である。

左側がそれ。コンクリートに岩をいくつもつけたような。 

右側の大谷石の石積みは西武の七里ガ浜住宅地。全体がそれで統一されている。



坂を下りたら稲村の谷戸。



良い雰囲気の抜け道を歩く。



そうすると江ノ電稲村ヶ崎駅。



鎌倉駅まで220円だ。



木製の柱に木製の屋根の稲村ヶ崎駅。

こうやって木目調に覆ったのはよいこと。



でもそのうち、ペットボトルや自販機が消えてしまいそうな勢い。

マイクロプラスチック問題。

地球上、あちこちが汚染されている。

江ノ電に乗って鎌倉駅へ。



2020年東京オリンピック特別バージョンの車両。



鎌倉駅西口改札前。



そこからすぐの鎌倉皮膚科クリニックへ。



先日切開したところのチェック。

診療は3分で終了。

さあ、ちょっと歩くか。

私は子供の頃から歩くのが好きだが、夏はちょっと暑すぎて歩いてないから。

がんっばってみよう。

紀ノ国屋鎌倉店前を通過。



市役所通過。



いや、通過はしないで、ちょっと寄って行こう。

トイレに行きたいので。

その後、市議会前の階段を抜けて、NPO法人の建物前の門を通らせてもらう。



トンネルを抜ける。



最初のトンネルを抜けたら鎌倉市佐助だ。



こちら、良い野菜を売ることで有名だよ。



お店もいいたたずまい。

二番目のトンネルを抜けよう。



すると長谷大谷戸の交差点だ。



向こうに三つ目のトンネルが見える。

しかしここは左折しよう。



谷戸を南下するのだよ。

おかしな建物に建ってもらいたくない地区。

良い環境を保ってもらいたい。



松をかばって外構づくり。



いいね。

このまま南下すると高徳院(大仏)だ。



この際そっちまで歩こう。

ちょっと暑いけど、江ノ電長谷駅まで徒歩。



以前から気になっているお店だ。



こちらもそうだ。



こちらの中華料理店の道を挟んで向かい側は、中華料理店の名門。

そう、回鍋肉だ。



いや間違い、華正樓だ。

一度しか入ったことがない。

すぐ近くにはBread Codeがある。

高いけれど、本当においしいトースト。



初めて食べた時はびっくりした。

あっちは長谷寺。



インバウンドの方々向けのお土産屋さん。とってもカラフル。



ここで力尽きた。

だってまだ暑いんだもん。

坂ノ下から極楽寺坂を抜けて我が家に帰ることも考えたが、ここはあきらめて江ノ電を使おう。

江ノ電長谷駅だ。



ここは江ノ電がすれ違う駅。

ホームは2つ。レールも2本。



ここからはすぐに七里ヶ浜駅に着く。



すぐに我が七里ガ浜住宅地。



なんてことない、なんら面白くない鎌倉案内でしたぁ~。
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ドガティ君のフードを切り替え@鎌倉七里ガ浜

2019-09-12 12:42:47 | ペット
ドガティ君はキレイキレイ中。



慣れたものです。もう2歳だからね。



人間のごはんは簡単で安くて肉・野菜のとれるものを。

クレイジーソルト。



それだけを使い、油もなしで鶏もも肉を炒める。



もうこれだけでおつまみになりそうだ。

炊飯器に米、水、オリーブオイル、炒めた鶏肉、ミックスベジタブル、コンソメ顆粒を入れて炊くだけ。



ピラフさ。

これにサラダでもつけば十分でしょう。

宅急便到着。



ドガティ君は自分に何かもらえる予感。

これは?



ドガティ君のフードだ。

ドガティ君のフードを切り替えることにした。



ドガティ君はすでに2歳。

とっくに成犬なのだ。

しかし成犬になってからも、本来は子犬の時(生後10か月まで)に与えるべき栄養価の高いフードを、ずっと与えていた。



どことなく脂分の多い、パピー用のフードだ(↓)。



それというのも、ドガティ君がちょっと軟便気味で、体形のわりには標準体重からすると少し痩せていたからだ。

ところが最近は胃腸の消化能力も強くなって、体重も適正ということになったので、通常の成犬のフードに切り替えることにした。

こちらが小型犬パピー用(↓)。



こちらが小型犬成犬用だ(↓)。



昔の画像を振り返ってみましょう。

ドガティ君は生後7か月で静岡県のブリーダー・ピュアさんからやって来た。



ちっちゃかった。



初めての我が家でのごはん。



最初のお散歩は不安げだったねー。



あちこちのにおいをかいで。今じゃ、大地主みたいな顔して、このあたりを歩いているが。



レインコートを初めて着て散歩。



おもちゃみたいだった。



******************************************

生後7か月で我が家に来た頃からすると、今は1kgくらい重くなったのですよ。

家の中のことも、近所のことも、八ヶ岳のことも、いろいろ覚えました。



帽子被るのは嫌いじゃない。



実は結構うれしかったりする。



人間のごはんの出来上がり。

ピラフさ。



サラダもサービスでつけましょう。



ヘンな寝方。



「おかーさんが箱を開けた」

「なんだろ? ボクのかな?」



中に入っているのはおかーさんのスニーカーでした。

おかーさんはスニーカーを撮影中。

ドガティ君は箱の中を漁っている。



もう何も入ってませんよ。
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クルマのリコールで平塚市へ、そして歯科の通院で深沢(鎌倉市)へ

2019-09-11 15:46:39 | クルマ
いい天気。

この夏スモークツリーの枝のうち1本だけが異様に伸びた。



クルマは内も外もピッカピカ。



なぜなら、ディーラーさんに持って行くから。

汚れてたら恥ずかしいもんねぇ。

リコールがあったのだ。

ヘッドライトの光軸調整支持棒の材質が適正でなく、放置すると振動に耐えかね支持棒が折れてライトが下を向く可能性があるらしい。

しかしこれ、今から7年ほど前にも同じ問題で一度リコールがあったのだ。

つまりその時リコールで交換された部品も適正ではなかったたということだ。

しっかりしろよな。

かわいそうなのはディーラーだ。

メーカーがだらしないことをしてリコールになると、ディーラーはその対応に時間と人を割かないといけなくなる。

最近のクルマのヘッドライトはみなLEDになってきて、それが小さくても法律で要求される照度が十分確保できるようになった。

そのせいで人間の顔でいうと目にあたるライトが妙に縦に短く横に長く、ややつり目気味のデザインばかりになって来た。



その結果、みんな同じような顔をしているのである。

Miniなんかは別だが。

あれはかわいさで売っているからね。

私のクルマもMini同様、丸い目をしている。で、この光軸がブレちゃうというのが今回の問題だ。

平塚のディーラーさんに行きましょう。



ナビ設定終わり。出発だ。



実はナビなんて要らない。

海沿いに国道134号線をずっとまっすぐ西に行き、平塚市に入ってしばらくしたら右折。

そこから今度は北に行けばいい。



途中平塚市内のコンビニでお金をおろして、火災保険の保険料の払い込みを済ませる。



ディーラーさんはここからすぐだ。

自分のクルマをディーラーさんに引き渡し、代車を借りる。

これが代車。



あら、代車って自分のクルマとまったく同じだわ。こりゃ楽ね~。

細部を見ると、ちょっと違うねぇ。



禁煙車が借りれて良かった。



途中、平塚市内でホームセンターに立ち寄る。



次に茅ケ崎を通過し、藤沢市に入る。

そこではこんな駐車場に駐車。



空いているわぁ~。

これ、湘南モールフィルです。ガラガラ。



ちょっと時間つぶし。

次の目的地まで時間が少し中途半端。

ロイホへ。ロイヤルホストじゃないよ。ダイワハウス系のロイヤルホームセンターへ。



この本、良さそうです。湘南モールフィルの中のくまざわ書店で買っちゃった。



フライパンひとつでつくるレシピ集。

簡単に煮物をつくってごはんによそって、私好み。

私の場合、中華鍋でつくるけどね。

湘南モールフィル、さようなら。



急がないと。

藤沢駅のすぐ近く中心部を抜けて、鎌倉市へ。

藤沢駅の目の前にあるビックカメラやOKストアといった古いビルに直結している地下道(車道)をクルマで抜ける。

いつも「不思議だなぁ~」と思って通る地下道だ。

すると地下道を抜け出たところで必ずと言っていいほど赤信号になる。



真正面はピカピカ新品の藤沢市役所だ。

どうだ! でかいだろ!! って風情だね。

南藤沢交差点と鎌倉の手広交差点を結ぶ道路を鎌倉に向かう。
 
丸源のラーメンをランチとして食う・・・ことはできない。



これから歯医者さんだ。

相鉄ローゼン深沢店が入るビルの3階。



土日祝日も診察している鎌倉小野歯科。



この日もガンガン診察中。

それも終了し、相鉄ローゼンでお買い物。

高いねぇ。

いつも西友で購入しているから、すごく高く感じる。



お昼をはるか通り過ぎて、おそい食事。

こうなると我が家はお弁当。

ローゼン特製ビーフンとおかずをいただきましょう。



「おとーさんが帰って来た」とじっと見ているドガティ君。



あわただしい日なのでした。
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