自宅から江ノ電稲村ヶ崎駅へ向かう途中で、クリを発見。

抜け道をするするコソ泥のように進む。

鎌倉行きの電車だ。

江ノ電稲村ヶ崎駅は、改札口の前がすぐ踏切という構造。

この電車に乗って鎌倉駅まで行こう。
すぐに鎌倉駅に到着。

そして鎌倉皮膚科クリニックへ。

首にできたニキビの大きいようなもの。
それを取ってもらった。
この日はその術後の診療の最終回。
先生、看護士さん、お世話になりました。
小町通りのお店。ここはいつも修学旅行生でいっぱい。
呼び込みもかなりのもの。
SMBCにちょっと用事。

用事は済んだ。
ここからはウォーキングです。
鶴岡八幡宮へ。

いつも堂々たる構えだ。

八幡宮を東に抜けた。

静かな住宅街を歩く。あちこちで細かく曲がるが、全体的には概ね東に向かって進む。

自治会の名前が「大蔵」だ。←これ重要なポイントだよ。

鎌倉市に大蔵って住所はない。
大蔵とは鎌倉幕府の行政機能が集まっていたところを指す言葉。
住所としては大蔵って言葉は残ってはいないけれど、自治会の地区名としては今も残っているわけだ。
その横には電柱がある。
住所は西御門だ。

だれですか「にしごもん」って読んだのは?
「にしみかど」だよ。
これはその大蔵の西の端で、門があったところを指す言葉。
ご覧の通り(↓)、東御門もあった。北も南もあったのだ。

でも今も住所区分として残っている言葉は「西御門」だけなのだ。
こちらは頼朝公のお墓。

でも階段は上らない。
今日はパス。のちほどもっとすごいお墓に行こう。
まずは荏柄天神社へ急ぐのだ。
ほらあった。

階段を上がる。かなり急だ。

すると現れる。きれいな朱色。鮮やかですね。

うしろは鬱蒼とした森だ。

ここは学問の神様。
受験生や研究者の方々がよくこられるところ。

妻が毎年のようにいろんな資格試験を受けるので、ひとつ木札をいただきましょう。

受験当日早朝祈祷なんてあるんだ。受験生のみなさん、よろしかったらご利用ください。

ここは岐れ路の交差点と鎌倉宮を結ぶ道。

そこを行く。
鎌倉宮へ向かって。

鎌倉宮はいつも通り、静かでした。
しかし実はこれは、先日の台風15号の直前の撮影。
今週月曜日以降は、周辺地区の台風による災害からの復旧のため、市役所、東京電力、自衛隊の人々が盛んにここへ出入り。
さて、話を戻す。
明治時代になってすぐの明治二年、明治天皇の命により造られた鎌倉宮。
武家政治が終わったのだ。明治天皇は張り切っただろう。
鎌倉時代の歴史に出てくる人物の中では、武士、僧侶以外の人物は少数派。
そんな少数派の一人で、かつ不幸な最期を遂げた護良親王が御祭神。
だれですか、「ごりょうしんのう」なんて読んだ人は?
「もりながしんのう」ですよ。

鎌倉は武家の関連のものが多いが、こちらは数少ない天皇寄りのスポット。
護良親王のストーリーはこちらをお読みください。

さらに奥へ。

菊の御紋。

そこからさらに奥へ。拝観料が要りますよ。

ここからがすごい。

ちょっと霊気が感じられます。。。ウソ、感じられません。
護良親王の霊がいらっしゃるような。。。なんてことは、私はどうもわからない体質のようです。
また菊の御紋。

ありました。

護良親王が捕らえられ、9カ月ほどの間ここにおられたという土牢(鎌倉宮が出来てから、当時と同じ状況に復元されたもの)。ほら穴状態です。

からだにも悪そうです。
暗くてじめじめ。
こんなところに長期間。

横から生えた木は巨木になり根をどんどん伸ばし、石積みを崩し、その後枯れ果てている。

長い年月を感じるところ。

護良親王は土牢で殺害される。その首が放置されたのがここだという。

切り落とされた親王の顔のあまりの形相に、首を切り落とした本人が怖がり、首をここに捨てたとか。

そんなこんなで大変なお話なのだ。
鬱蒼と茂る大木に日光も遮られ、涼しい森。

さらに先を急ぐ。

かなり大きなテニスクラブがある。いつも何人もの人がテニスに興じている。

そのあたりで右折する。
「お墓こっち⇒」なんて看板もなにも設置されてないんだが、この先に護良親王のお墓があるのだ。

不思議だ。
頼朝のお墓なんてその周囲に看板だらけだが、護良親王のお墓はそんなもの何もない。
それだけにちょっと迫力がある。
橋を渡ってちょっと先に行くだけなんだけどね。

この近くに、ある土地があって、見に行ったことがある。
七里ガ浜住宅地に住む前の話だ。鎌倉に住もうと思って私は土地を探していたのだ。
その土地を気に入った私は購入の意思を示したが、よく調べるとその土地には抵当権が複数ついていた。
その土地の売り手は多重債務を負っており、その土地を買うにはまず抵当権をはずすということから始めないと無理だった。
したがって私は買うのをあきらめた。
ほかにも浄妙寺の近くや海蔵寺の近くなど、いろんな土地を見に行ったが、全部話はダメになった。
それらはみんな、木々が鬱蒼と茂るようなところだった。
土地ばかりたくさん調べているうちに、海沿いだし、まったく雰囲気が違う妙にカラッと明るい七里ガ浜東に住むことになってしまった。
なんでだろ? 縁ってものですかねぇ。
さて、このあたりは、木々も多くしっとりとした住宅街。

ほらあった、護良親王のお墓。

人がいない。
案内の看板もないもんねぇ。
入ってみましょう。

恐ろしく急な階段。

数十段上がると、一旦平らになるよ。

来る人も少ないので、敷かれた石の上は苔だらけで滑りそう。

また上がる。

勘弁してぇ~、急すぎる。

今度は左に曲がって、まだ階段がある。

凄まじい霊気!・・・を私は全然感じない。
感じる人は感じるんでしょうねえ。
あった!(ほっとする)。

ここで終わり。
ここから先へは行けない。

菊の御紋再び。

お参りしたら、さあ、帰りますよ。
こわっ。

ものすごく急な階段。手すりなんてないよ。

人があまり来ないから、こんな状態。

宮内庁の管理下にある。

すぐ近くの永福寺跡なんて周囲に看板だらけ。

でもこの護良親王のお墓はひっそりとたたずんでいて、近くにそれを示すものがないのでした。
歩いて鎌倉中心部へ戻りましょう。

来た道を戻る。

清泉小学校だ。名門です。カソリックの学校で女の子だけ。おじさんは入ってはいけません。

八幡宮通過。

いやーー、歩いたなあ。
鎌倉駅東側からちょっと行ったファミリーマート。

ガリガリ君のソーダ味を食べちゃう。75円で至福の味。

松林堂書店で本を物色して、1冊おもしろいのを見つけた。

店主さんにご挨拶。
妻が鎌倉駅近くのピラティスの教室に通っている。
それが終了したというので、鎌倉東急ストアで合流。

買い物して、妻が乗って来ていたクルマに乗り、帰って来た。

帰りは歩かないで済んだ。ラクラクだ。
いかがでしたか? 本日ご紹介したのは、私の好きなコースです。

抜け道をするするコソ泥のように進む。

鎌倉行きの電車だ。

江ノ電稲村ヶ崎駅は、改札口の前がすぐ踏切という構造。

この電車に乗って鎌倉駅まで行こう。
すぐに鎌倉駅に到着。

そして鎌倉皮膚科クリニックへ。

首にできたニキビの大きいようなもの。
それを取ってもらった。
この日はその術後の診療の最終回。
先生、看護士さん、お世話になりました。
小町通りのお店。ここはいつも修学旅行生でいっぱい。
呼び込みもかなりのもの。
SMBCにちょっと用事。

用事は済んだ。
ここからはウォーキングです。
鶴岡八幡宮へ。

いつも堂々たる構えだ。

八幡宮を東に抜けた。

静かな住宅街を歩く。あちこちで細かく曲がるが、全体的には概ね東に向かって進む。

自治会の名前が「大蔵」だ。←これ重要なポイントだよ。

鎌倉市に大蔵って住所はない。
大蔵とは鎌倉幕府の行政機能が集まっていたところを指す言葉。
住所としては大蔵って言葉は残ってはいないけれど、自治会の地区名としては今も残っているわけだ。
その横には電柱がある。
住所は西御門だ。

だれですか「にしごもん」って読んだのは?
「にしみかど」だよ。
これはその大蔵の西の端で、門があったところを指す言葉。
ご覧の通り(↓)、東御門もあった。北も南もあったのだ。

でも今も住所区分として残っている言葉は「西御門」だけなのだ。
こちらは頼朝公のお墓。

でも階段は上らない。
今日はパス。のちほどもっとすごいお墓に行こう。
まずは荏柄天神社へ急ぐのだ。
ほらあった。

階段を上がる。かなり急だ。

すると現れる。きれいな朱色。鮮やかですね。

うしろは鬱蒼とした森だ。

ここは学問の神様。
受験生や研究者の方々がよくこられるところ。

妻が毎年のようにいろんな資格試験を受けるので、ひとつ木札をいただきましょう。

受験当日早朝祈祷なんてあるんだ。受験生のみなさん、よろしかったらご利用ください。

ここは岐れ路の交差点と鎌倉宮を結ぶ道。

そこを行く。
鎌倉宮へ向かって。

鎌倉宮はいつも通り、静かでした。
しかし実はこれは、先日の台風15号の直前の撮影。
今週月曜日以降は、周辺地区の台風による災害からの復旧のため、市役所、東京電力、自衛隊の人々が盛んにここへ出入り。
さて、話を戻す。
明治時代になってすぐの明治二年、明治天皇の命により造られた鎌倉宮。
武家政治が終わったのだ。明治天皇は張り切っただろう。
鎌倉時代の歴史に出てくる人物の中では、武士、僧侶以外の人物は少数派。
そんな少数派の一人で、かつ不幸な最期を遂げた護良親王が御祭神。
だれですか、「ごりょうしんのう」なんて読んだ人は?
「もりながしんのう」ですよ。

鎌倉は武家の関連のものが多いが、こちらは数少ない天皇寄りのスポット。
護良親王のストーリーはこちらをお読みください。

さらに奥へ。

菊の御紋。

そこからさらに奥へ。拝観料が要りますよ。

ここからがすごい。

ちょっと霊気が感じられます。。。ウソ、感じられません。
護良親王の霊がいらっしゃるような。。。なんてことは、私はどうもわからない体質のようです。
また菊の御紋。

ありました。

護良親王が捕らえられ、9カ月ほどの間ここにおられたという土牢(鎌倉宮が出来てから、当時と同じ状況に復元されたもの)。ほら穴状態です。

からだにも悪そうです。
暗くてじめじめ。
こんなところに長期間。

横から生えた木は巨木になり根をどんどん伸ばし、石積みを崩し、その後枯れ果てている。

長い年月を感じるところ。

護良親王は土牢で殺害される。その首が放置されたのがここだという。

切り落とされた親王の顔のあまりの形相に、首を切り落とした本人が怖がり、首をここに捨てたとか。

そんなこんなで大変なお話なのだ。
鬱蒼と茂る大木に日光も遮られ、涼しい森。

さらに先を急ぐ。

かなり大きなテニスクラブがある。いつも何人もの人がテニスに興じている。

そのあたりで右折する。
「お墓こっち⇒」なんて看板もなにも設置されてないんだが、この先に護良親王のお墓があるのだ。

不思議だ。
頼朝のお墓なんてその周囲に看板だらけだが、護良親王のお墓はそんなもの何もない。
それだけにちょっと迫力がある。
橋を渡ってちょっと先に行くだけなんだけどね。

この近くに、ある土地があって、見に行ったことがある。
七里ガ浜住宅地に住む前の話だ。鎌倉に住もうと思って私は土地を探していたのだ。
その土地を気に入った私は購入の意思を示したが、よく調べるとその土地には抵当権が複数ついていた。
その土地の売り手は多重債務を負っており、その土地を買うにはまず抵当権をはずすということから始めないと無理だった。
したがって私は買うのをあきらめた。
ほかにも浄妙寺の近くや海蔵寺の近くなど、いろんな土地を見に行ったが、全部話はダメになった。
それらはみんな、木々が鬱蒼と茂るようなところだった。
土地ばかりたくさん調べているうちに、海沿いだし、まったく雰囲気が違う妙にカラッと明るい七里ガ浜東に住むことになってしまった。
なんでだろ? 縁ってものですかねぇ。
さて、このあたりは、木々も多くしっとりとした住宅街。

ほらあった、護良親王のお墓。

人がいない。
案内の看板もないもんねぇ。
入ってみましょう。

恐ろしく急な階段。

数十段上がると、一旦平らになるよ。

来る人も少ないので、敷かれた石の上は苔だらけで滑りそう。

また上がる。

勘弁してぇ~、急すぎる。

今度は左に曲がって、まだ階段がある。

凄まじい霊気!・・・を私は全然感じない。
感じる人は感じるんでしょうねえ。
あった!(ほっとする)。

ここで終わり。
ここから先へは行けない。

菊の御紋再び。

お参りしたら、さあ、帰りますよ。
こわっ。

ものすごく急な階段。手すりなんてないよ。

人があまり来ないから、こんな状態。

宮内庁の管理下にある。

すぐ近くの永福寺跡なんて周囲に看板だらけ。

でもこの護良親王のお墓はひっそりとたたずんでいて、近くにそれを示すものがないのでした。
歩いて鎌倉中心部へ戻りましょう。

来た道を戻る。

清泉小学校だ。名門です。カソリックの学校で女の子だけ。おじさんは入ってはいけません。

八幡宮通過。

いやーー、歩いたなあ。
鎌倉駅東側からちょっと行ったファミリーマート。

ガリガリ君のソーダ味を食べちゃう。75円で至福の味。

松林堂書店で本を物色して、1冊おもしろいのを見つけた。

店主さんにご挨拶。
妻が鎌倉駅近くのピラティスの教室に通っている。
それが終了したというので、鎌倉東急ストアで合流。

買い物して、妻が乗って来ていたクルマに乗り、帰って来た。

帰りは歩かないで済んだ。ラクラクだ。
いかがでしたか? 本日ご紹介したのは、私の好きなコースです。