Reflections

時のかけらたち

今年はお茶を生活の中に取り戻したい ・・・ Maccha life again

2021-01-18 20:53:19 | thoughts

まるたけさんのブログを見て、お茶の世界に再び近づきたいという思いが強くなりました。こんなご時世、お茶をするのはとても困難でどこも工夫をされているようです。

家で一人で点てるだけでもそれだけでもお茶の世界は味わえます。実家で同居していた父方の祖母が残したお茶の箱を取り出してきました。何時もは食器棚に置いてある抹茶茶わんを出して、シャカシャカとテーブルの上で娘と点てています。お茶を学生時代か就職したての頃に習うようになったのは母方の祖母が習っていて、そのお友達が姪御さんと妹さんに自宅でお茶を教えていらしたからです。吉祥寺の古い日本家屋で(まるで星岡と同じような・・)毎土曜日の午後はお茶を教えていただいていました。チャーミングな先生でお子さんがいらっしゃらなくて姪御さんとかかわいがっていらしたようです。教えてもらうというよりいつももてなしていただいていたような幸せな空気の中でした。

 

家にいた祖母は自分の部屋で一人でお茶をたてて飲んでいたようです。いつもお籠りしていたので、どんなふうにしていたのかわかりませんが、新聞や本を読むのと散歩が好きな祖母でした。祖母が大事にしていたお道具を初めてあけて手にとってみました。30代で未亡人となった祖母はきっといろいろ持っていたでしょうに、最後に残ったのがこれだったのですねと感慨深いです。

 

 

どうしてこれを取り出したかと言うと、食器棚に飾ってあった濃茶入れとか探していたら、どうしても棗がないのです。私は持っていなかったのかしら? 何しろいつも冷凍庫に入れてあるお抹茶を取り出して、そのまま茶杓ですくって点てていたのですから・・  そうだおばあちゃんのセットの中にないかしらと取り出した次第です。

 

棗ありました。他に香合、建水が入っています。

 

 

 

平成記念美術館で見た「茶箱は宇宙」展も思い出しました。小ぶりなのもので取り揃えてかわいかったです。

 

私のお道具たち

 

20代のころ、油絵の友達が陶芸もやっていて作品展に行った時に、もしかして濃茶入れになるかもと思って買ったものです。先生にお見せしたら象牙のふたを作って、お仕覆をそろえてくださいました。

こちらは先生からいただいていたお濃茶入れです。

 

結婚のお祝いには楽茶碗をいただきました。お銘は「和敬」

祖母が使っていた萩茶碗を若い頃に頂きました。祖父と萩に旅行した時にいただいたものとかで、小ぶりで女性の手に合って点てやすくいいのではとのことでした。祖母の紹介でお茶を始めた私でした。

深大寺の窯で自分で作ったお茶碗。底が難しかったです。

娘が小学校の時に作ったお茶碗は厚みがあり、重いのでお抹茶には向かないかもね。

 

父からもらった多分九州の窯のお茶碗。なんだかあまり好きではなくて、出番がないです。

お稽古用かな・・ 他にも明るい柄のお稽古用意のお茶碗が2~3あるくらいです。

香合

 

とにかくおばあちゃんの棗が出てきてよかったわ。私もおけいこ用かただの朱塗りのを持っていたような気がしたけど・・

祖母の茶箱が日の目を見て良かった。30年以上眠っていたのではないかしら・・・

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母から繋ぐ料理 ・・・ inherited cookbooks from my mother

2021-01-18 12:33:00 | books

両親が亡くなり、実家を処分するときに持って来たものは母の和服や自分の和服、本(おもに料理)と父がよく聞いていたクラシックのCDや食器など。

洋服など何もいらないと言った妹は正解でした。私は洋服も少し持ってきたのですが、やっぱり着ませんでした。もったいない精神が邪魔しました。和服は少しは着ていますが。

まるたけさんのブログに最近載った田村隆さんの料理本に刺激されて、母の本を出してみました。

母は祖母の代から友の会に入っていたので、婦人之友社の影響を受けていて、本もほとんど婦人之友社の発行で、家庭料理の基礎のようなものを多く持っていました。料理をメモしたのノートも4冊くらいあります。私も真似して高校くらいの時から好きな料理のレシピを小さなノートに書いていて3冊くらいにはなっています。最近はネットやコピーでノートに書くことはなくなりましたが。

母も晩年はシニアの料理や野菜を中心の料理、具合の悪い時の料理などの本が中心になっていました。何と栗原はるみの本もありました。

私自身は自分のメモや切り抜き、ベターホーム協会が出した基本料理や婦人之友社から出た実際に習ったことのある本谷滋子さんの本など参考ししていますが、ネット検索も多いですね。朝日新聞社から出ていた新聞に毎日載っていた料理の本もイラストが安野光雅でしたが、もうバラバラになってしまいました。NHKのテキストをまとめた本や文化出版局から出された佐藤雅子さん、宮川敏子さんの本など・・・

私も若いころ見ていて思い出深いのが辰巳芳子さんが母、辰巳浜子さんの料理を伝える2冊です。

ゆずりうけた母の味 辰巳浜子料理帖より  

表紙は浜子さんが新婚旅行に着て行った縞のお着物で、ところどころに現れる挿絵は弟さんの描かれたものとか。辻嘉一氏の推薦の言葉に始まります。

はじめに「心から心へ、手から手へ」との芳子さんの書かれたページがあり、「母の料理の特長は、ものと向き合う時の、天性の感受性、加えて内的態度と深いかかわりがあったと思います。」と言う言葉で始まっています。

 

 

辰巳芳子が伝える母の味 てしおにかけた私の料理

この本はずいぶん昔から知っていたと思ったら、初版は昭和35年に出て、時代にそぐわなくなったものを芳子さんが改訂して復刻出版したものでした。芳子さんはこの本は作りたいところだけ見ず、一度は通読していただきたいとまえがきに書いていました。そうだ、読んでみようと初めて思いました。

辰巳芳子さんはスープで有名で妹は作っていたようですが、私はそこまで手が回っていませんでした。まず、私の母から受け継いだこの本をじっくり見てみようかと思います。

母は何とこの本で押し花を作っていました(笑)

 

料理に関しては主人の母や姉たちもすごくて、義理の母は10人の子どもを育てて、戦後、大連からも一人もかけずに子どもをつれて帰ったことが奇跡的な人でした。主人は高校生の頃父親を亡くして、母がずっと仕事をして姉・兄たちの協力もあり一家を支えていました。

波乱万丈の人生で今治市の旅館のお嬢さんで、一方主人の父の方も地方の名士の家柄でしたが、彼は決められた結婚に従わず、駆け落ちしてすべてを捨てたとのことでした。義理の父は繊維会社に勤めて、最後は難病の子ども(=主人)のために少しでも多く費用を得ようとエジプトに単身赴任して、綿花栽培の指導をしていましたが、現地で心臓発作で亡くなりました。

その一家のまだ主人が生まれる前の大連での暮らしが面白くて、主人が姉たちから聞いた話をまるで経験したことのように話してくれて、笑いすぎて涙を流しながら聞いたことがありました。ケーキも何ホールも作ったり、編物は子ども全部のものを編み、家では中国人の使用人が作る中華料理を覚えたようです。帰国してから家で作るカルピスの作り方をNHKの「今日の料理」で教えたことがあるとの話です。そういうわけで一番上の姉は栄養士で料理が上手でずいぶん教わりました。主人を優しく見守ってくれた関西に住む姉も料理が得意で東京のホテルでコンテストの決勝に出たこともありました。主人も食べることや作ることが大好きで、こんなに何でもおいしそうに食べる人を他には知りません。

話がそれましたが、食にまつわるエピソードをいろいろ思い出しました。主人の父親は食べる時の行儀作法にもすごくうるさかったとか。少し見習わなければいけませんね。

 

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