Reflections

時のかけらたち

憧れの湖東へ(2020年11月)⑨ 西明寺の伽藍と歴史的発見 ・・・ Saimyouji & its historical discovery 

2021-01-31 23:36:50 | wonderland

西明寺は金剛輪寺と同じように魅力の尽きないお寺です。織田信長の比叡山焼き討ちの際、西明寺も焼き討ちに会いましたが、幸運にも本堂、三重塔、二門が火災から逃れたとのことです。 鎌倉時代の建造物が残っています。仏様もいろいろありそうですが、公開されているものが少ないです。今回は秘仏刀八毘沙門天が公開されていました。

 

本堂に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

庭をずっととっていた撮影クルーがいました。

本堂の写真を撮っていませんが、この中で住職の方より、昨年発表された、もしかすると歴史が塗り替えられるかもしれないという発見を驚きを持って語られました。確定されれば、法隆寺に匹敵する最古の寺となり、仏教伝来の歴史についても修正が出てくるくらいすごい発見らしい。家に帰ってから調べたら、朝日新聞や、産経新聞のネット

 

湖東三山にあった飛鳥時代の柱絵   歴史ニュース総合案内

湖東三山の西明寺の本堂で飛鳥時代の柱絵が確認され、8月9日に発表された。三修上人が834年に建てたという西明寺の創建伝承よりも古く、渡来人からの影響がみられる最古級の絵画という。

 広島大学大学院の安嶋紀昭教授は本尊の薬師如来を護る厨子の西柱と南柱(太さ約45cm)を2019年6月に赤外線撮影。日光と月光の両菩薩に護られていても黒く煤けている柱に菩薩立像を4体ずつ見出した。背後には唐草文などもあり、極彩色の顔料も使われていた。

 八大菩薩とみられる柱絵の菩薩立像は後世に修復された跡もあったが、長身で線が太く、手のひらや耳は単調で、日本では飛鳥時代の隋代の描法が残っていた。安嶋教授はそこから柱絵は寺の建立縁起より古い7世紀頃に描かれたと推測し、現在の多賀町に拠点のあった簀秦(すのはた)画師が手掛けたと判断した。法隆寺の百済観音像や玉虫厨子に似た特徴がある。

 

「法隆寺に匹敵」可能性 西明寺、確定へ「さらなる調査を」  2020年8月10日 中日新聞

柱二本に描かれた絵から、飛鳥時代の六八五(天武一四)年ごろに建てられた可能性が指摘された甲良町池寺、西明寺の本堂(国宝)。世界遺産で世界最古の木造建築物、法隆寺(奈良県斑鳩町)に匹敵する建造物である可能性が出てきたとする、広島大院の安嶋紀昭教授の発表に、驚きが広がった。 (斎藤航輝、増村光俊)

 柱二本を撮影した赤外線写真を分析すると、飛鳥時代のものとみられる、青、緑、朱などの極彩色の菩薩(ぼさつ)八体などが描かれていた。さらに仏が安置されている内陣部分の構造には、奈良時代か、それより前の特徴が残っていることも判明。これまで本堂は鎌倉時代初期に建てられたとされていただけに、歴史が一挙に約五百年ほどさかのぼることになる。中野英勝住職は「夢のあるありがたい発見。まずは、しっかりした調査をしてほしい」と話す。
 西明寺は近くの金剛輪寺、百済寺とともに湖東三山と称される天台宗寺院の一つ。中野住職は「金剛輪寺、百済寺はともに、創建が奈良や飛鳥時代とされる。西明寺は平安時代とされるが、実はもっと古いのではないかと、以前から感じていた。   

1300年以上前の絵画を発見、日本最古級、黒くすすけた柱から赤外線撮影で確認

 

 

西明寺は苔の美しいお寺でもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じようなところが繰り返し出てくるのは、御朱印帳を預けたところがどこだったかわからなくなって、上から下までグルグル回ったからです。バスの時間に間に合わなくなってしまうと焦りました。ちょうど本堂の前にいたツアー・ディレクターの人に聞いて、場所を確認しました。金剛輪寺も似ているし、ちょっと混乱しました。

無事御朱印帳も受け取り、惣門の方に降りて行きました。

 

 

 

 

 

ちょっと面白い張り紙。でもトイレでお猿さんと遭遇したら怖いですね。

 

帰りは岐阜羽島から新幹線に乗りました。

 

 

 

 

Nov.16  2020   Shiga

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憧れの湖東へ(2020年11月)⑧ 西明寺 ・・・ saimyouji

2021-01-31 10:23:01 | wonderland

湖東三山の旅で最後に訪れたお寺、西明寺。 このリンクしたHPの空中からの映像がすばらしいです。この山を行ったり来たり走り回りました。

滋賀県甲良町の西明寺は東近江市の百済寺および愛荘町の金剛輪寺と共に湖東三山を形成する。西明寺が最も北に位置する。三修が琵琶湖の西岸ではるか東の山に薬師如来が降りてきたのを目撃して、東岸の鈴鹿山脈のこの地に寺をおこしたと伝承されている。

寺伝によれば平安時代初期三修上人の創建。承和元年(834年)、三修が琵琶湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思い対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫の光がさしていて三修がその池に祈念すると、仏像がが出現したという伝説が残る。仁明天皇により寺の建立を命じられ、836年に建設され、紫の光が西の方に挿していたということから「西明寺」と名付けられたとのこと。

しかし昨年歴史が塗り替えられそうな日本史上大きな発見があり、この伝説に包まれてた縁起も覆されてしまうかもしれません。このことは次のブログで説明することにして、写真のピックアップから。紅葉の湖東三山に戻ります。

惣門をくぐって緩やかな階段を上がって行きます。

 

 

不断桜

長寿桜、二季桜と湖東三山のお庭で素晴らしい紅葉と共に見てきましたが、ここ西明寺では不断桜と言う名前の桜でした。紅葉の中にかわいい桜の花を見ることができます。

 

 

苔の素晴らしいお寺です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不断桜、かわいかったです。

 

 

 

 

 

 

江戸時代の小堀遠州風の庭を回りますが、鎌倉時代の灯篭や、室町時代の名残もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この江戸時代の庭からも本堂に行く道があります。ここから本堂に向かいました。

 

Nov. 16   2020   Shiga
 
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