碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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追悼 筑紫哲也さん

2008年11月08日 | 日々雑感
昨日の午後、筑紫哲也さんが亡くなられた。

長い間、ジャーナリズムの第一線で活躍されたこと。また、がんと向き合いながら、最後まで、自分の言葉で自らの考えや思いを、きちんと発信し続けていたことに、頭が下がる。

筑紫さんとの一番の思い出は、一緒に出かけたアメリカ取材だ。

1988年、ちょうど20年前の大統領選挙の取材だった。今のブッシュ大統領の父親である“パパ”ブッシュ(共和党)が当選したときの選挙だ。テレビ朝日で放送した特番だった。

対抗馬となる民主党候補は、マサチューセッツ州のデュカキス知事と市民権活動家だったジャクソン氏が競い、結局はデュカキス氏に決まった。

今回のオバマ氏を見ていて、20年前、実現すれば「初の黒人大統領(候補)」といわれていた、このジャクソン氏を思い浮かべた。やはり20年は大きいのだ。

アメリカ西海岸を中心に、候補者たちの選挙活動から、市民による「草の根」的な運動までを追いかけたこのアメリカ取材。筑紫さん、美里美寿々さん、そして当時は駒大にいらした福岡政行先生という、今思えば、かなりの豪華メンバーによるものだった。

ロサンゼルスなどの都市だけでなく、内陸の小さな町も歩き回るハードなロケだったが、移動のロケバスの中での雑談、特に筑紫さんが語る過去の取材裏話が楽しみだった。また、夜になると、筑紫さんを中心に、よく食べ、よく飲んだ。

そういえば、当時はまだインターネットが普及していなかったから、筑紫さんが日本のメディアと連絡をとるのは、もっぱらホテルの電話やファックスだった。

私の最初の本「テレビが夢を見る日」(集英社)に、筑紫さんとのツーショット写真が載っている。小さなホテルの、朝の喫茶室だ。テーブルに朝刊を広げて読んでいる筑紫さんは、ちょうど今の私と同じ年齢。その横で、筑紫さんの様子を眺めている私も、30をいくつか超えただけだ。

これは、筑紫さんが、日本からホテルに届くはずのゲラ刷りを待っているときのものだ。まだ他のスタッフは起きていない早朝、筑紫さんと二人でコーヒーとファックスを待つ。それは不思議な、静かな時間だった。

昨夜の「ニュース23」で、お元気な頃の映像をいくつも見た。他局の番組だから流れなかったが、テレビと筑紫さんで言えば、やはりテレビ朝日の「こちらデスク」に登場したときが忘れられない。第一に、かっこよかった。話も明快だった。

84年に「朝日ジャーナル」編集長に就任。この頃で一番印象に残っているのは、「ニューアカ」こと「ニュー・アカデミズム」を積極的に紹介していたことだ。それに「新人類」と呼ばれた若手の書き手たちも取り上げていた。

カルチャーという言葉も80年代っぽいが、新しいカルチャー、文化に敏感、というか、面白がる精神を持っていた方だった。

最後に筑紫さんにお会いしたのは、TBS「ニュース23」のメイク室だ。本番前の準備をしていた筑紫さんに、久しぶりだったので、一瞬、ご挨拶させていただいた。

11月7日、私の父と同じ命日となった筑紫さん。いつか、また、取材裏話の続きを、じっくり聞かせてください。

おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。

ニュースキャスター (集英社新書)
筑紫 哲也
集英社

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