碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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昭和45(1970)年11月25日

2008年11月25日 | 本・新聞・雑誌・活字
今日、11月25日は、三島由紀夫の命日だ。

1970年というか、昭和45年の自決から38年ということになる。やはり三島には「昭和」の文字や年号のほうが似合う。

三島の作品を読むようになったのは、その没後のことだ。まあ、三島が亡くなったとき、私は高校1年だったから、当時はまだ「潮騒」など数冊しか読んでいなかったわけだ。

以来、作品以外にも、三島に関して書かれた本は大体手にとってきた。

特別、三島の熱烈なファンというわけではない。熱心な読者というほどでもない。ただ、私にとっては、作品をも含む「三島由紀夫そのもの」、「三島という存在」自体が謎であり、それには、ずっと興味がある。今も気になるのだ。

そう、ずっと気になり続けている。いまだに、あの三島の死の衝撃がどこかに残っているんだろうか。いや、たぶん、現在もなお、あの死の意味がよく分からず、心のどこかで、出来れば知りたいと思っているのだろう。

亡くなって38年が過ぎたが、三島について書かれた本は出続けている。私だけでなく、時代や社会が、それを求め続けているのかもしれない。

「憂国忌」なるものには、一度も参加したことはない。これからもそうだろう。

今日は、学内にある本屋さんで「写真集 三島由紀夫 ’25~’70 」(新潮文庫)を買った。以前、単行本で出た写真集「グラフィカ三島由紀夫」の文庫版であり、元本は持っているが、お線香をあげるような気持ちで、この文庫本を買った。

ぱらぱらとめくってみる。

冒頭には1歳のときの写真。顔の半分が頭で、利発そうな子だ。終りのほうには、自衛隊市谷駐屯地本館ロビーで演説する三島の、よく知られた1枚。次に築地本願寺での葬儀。

そして最後は、自邸での家族写真だ。夫人と二人のお子さんが2階のバルコニーに立ち、三島自身は1階にいて、石の手すりに腰掛けている。昭和40年、亡くなる5年前に撮られたもので、これを最終ページに置く写真として選んだのは夫人だった。

平成20年の今年は、昭和でいえば、昭和83年。三島が生きていれば、年号そのままに83歳である。

写真集 三島由紀夫 ’25~’70 (新潮文庫)

新潮社

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