碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

生出演でのコメント

2008年11月13日 | テレビ・ラジオ・メディア
11日(火)午前中に出演した「トークDE北海道」(北海道文化放送)は、「妊婦受け入れ拒否」の問題を扱っていた。

産婦人科の医師などをゲストに招き、東京の墨東病院などで起きたようなことが北海道でも起こり得るのか、また北海道における産科の状況、そして問題の患者さんたちが「脳出血」で亡くなっていることに注目していた。

専門的なことは、スタジオにいらした2人の医師が解説してくださったので、かなりよく分かった。そこで、私自身は、この件をめぐる報道の中でずっと気になっていたことについて、話をさせていただいた。

それは、現在、新聞もテレビも一様に使っている「受け入れ拒否」という言葉だ。これを見たり聞いたりすると、かつてのタクシーによる「乗車拒否」を思い出してしまう。自分の都合や利益のために“はねつける”拒否だ。

この件に関係した病院の、そのときの状況を見ていくと、それぞれに事情がある。もちろん、中には「拒否」といわれても仕方ないようなものもある。しかし、その一方で、受け入れたいのだが、物理的なことも含めて、それが「困難」だったり、「不能(不可能)」だったりする病院も存在する。

そんな事情・背景をそん度することなく、すべてひっくるめて「拒否」として伝えられているように思う。

「拒否」と聞けば誰もが反発・反感を覚える。なにしろ“救うことを拒否”するんだから。イメージとしての、ひどい病院、悪い医者。

ただ、そんなふうに感情的になること、感情に流されることで、この問題の大事な部分や本質的なことに関する議論がきちんと進まなくなる危険性があるのではないか。それを危惧するのだ。

「拒否」という、白黒がくっきりした“わかりやすさ”が生む危うさ。

「拒否」と、「困難」や「不能」の間にあるものを伝えていくのもメディアの役割だと思ったので、まあ、そんな感想を述べたわけです。


この日の午後に出演した「イチオシ!」(北海道テレビ)では、「定額給付金」のニュースでコメント。

高額所得者への対応がウンヌンされていたが、この給付金自体、なんだかなあ、という思いがある。

まず、この「ばら撒き」が、今のこの国の経済とか景気とかを浮揚させる効果があるとはあまり思えないのだ。効果あり、というなら試算データなりを示せばいい。

そりゃ、現在の経済環境の中で、市民・国民としては、一軒に対して数万円を「くれる」といわれれば、「どうも」といって受け取ってしまうかもしれない。

でも、「もらう」理由がすっきりしない。自らの悪政に関する“お詫び金”とか、国民への“お見舞い金”だというなら、まだ分かるけどね。もしかして、悪政を批判させないための“口止め料”だったりして。その類なら安すぎる(笑)。

結局、この「ばら撒き」が、まるで「施し」とか、「お恵み」のように見えてしまうのだ。

それに「選挙対策」であるのも明白だし。元のお金は国民の税金でしょ? それを使って人気取り、選挙対策ってのが気に入らない。

何兆円もの貴重な税金、もっと他に有益な使い方があるんじゃないのか、といった話をさせていただきました。