碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「縁(えにし)の糸」をたぐっていくと

2008年11月23日 | 舞台・音楽・アート
昨夜、慶大SFCにいた頃の教え子、ゼミ生たちが集まった。年に一度の「総会」と呼ぶのだが、いつも楽しみにしているイベントだ。

表参道近くの店の会場は、ほどよい広さの個室だった。どこか小規模な教室を思わせる部屋の中は、久しぶりで見る顔もあり、ふと、かつてのキャンパスでの、ゼミの時間を思わせた。

参加者の多くが30代になっており、仕事の上でも、私生活でも大車輪の時期に差し掛かっている。特に、仕事上では、上司・先輩ブロックと、部下・後輩ブロックとの間に位置する苦労も体験しはじめた。とはいえ、みんな、なかなかいい顔の“大人”になっている。それが嬉しい。

出席者には、全員、短い「近況報告」をしてもらうのだが、今回は何人かの元「男の子たち(?)」が、最近、子どもが生まれたり、生まれようとしていたり、という話をしていた。そうか、学生が社会人になり、今、父親になってきたのかと、ちょっと感慨ありだった。

私自身は、大学時代のゼミを、途中で“中退”しているので、卒業後の、こういう「ゼミの集まり」の体験はない。ないだけに、余計この集まりが楽しいのかもしれない。

当時、私のゼミを志望してくれる学生の中から、面接などを経て選ばせてもらったメンバー。もちろん、入りたい、入れたい、という互いの意思はあったものの、俯瞰で見れば、これもまた一種の“ご縁”だったのだと思っている。

で、今、ここに「袖擦(す)り合うも多生の縁」と書こうとして、あれっと思う。

思い出したのだ。毎朝、NHKから流れてくる、竹内まりやさんの歌声。

朝の連ドラ「だんだん」のテーマ曲「縁(えにし)の糸」の冒頭は、確か「袖振り合うも多生の縁と、古(いにしえ)からの伝えどおり」と歌っていたぞ。歌詞を確認したら、やはりそうだった。

え、「袖、振り合う」の? 袖、擦り合うんじゃなくて、振り合っちゃうわけ? 着物の「振袖」なら分かるけど、とか何とか、とにかく気になり始めた。

手元の「岩波国語辞典」で「袖」を引いてみる。お、例文に「袖触れ合うも多生の縁」とあり、この世で、道を歩いて袖を触れ合うほどのちょっとした関係も前世の因縁があるからだ、という解説文が載っている。

ならば、「新潮国語辞典」のほうはといえば・・・おお、「袖振り合う」ではないか。竹内まりやさんは新潮派だったのか。

さらに三省堂の「新明解国語辞典」、「新解さん」では・・・へえ~、「袖触(ふ)り合う」になっている。どちらも「そで、ふりあう」ではあるけれど。

じゃあ、私が思い込んでいる「袖擦り合う」は、どうなっているんだろう。

「袖振り合う」、「袖触り合う」、「袖触れ合う」、そして「袖擦り合う」。たぶん、いずれもOKってことなんだろうなあ、と勝手に考える。面白いけど、今、大きな辞典がないので、探索はここまで、です。

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