『東京新聞』に連載中(隔週水曜)のコラム「言いたい放談」。
今回は、永六輔さんを追ったドキュメンタリーをめぐって、書かせてもらいました。
永六輔さんからの「返信」
NHK「ヒューマンドキュメンタリー 永六輔 戦いの夏」を見た。
今年七八歳の永さんはパーキンソン病と前立腺がんを抱えている。TBSラジオ「誰かとどこかで」を私もよく聴くが、ある時期、永さんの話を聴き取ることが困難だった。
そんな永さんがラジオのマイクの前にすわり、京都のイベントをリードし、東北の被災地へと足を運ぶ姿から目が離せなかった。
信州の高校生だった頃、永さんに手紙を出したことがある。書いた内容は覚えていない。
ただ、永さんから返信が来たことに驚いた。葉書に筆文字で「まるも(松本の喫茶店)のことなど懐かしい」とひと言。後から、永さんが送られてきた手紙にはすべて返事を書くことを知った。
当時多くのリスナーにとって、ラジオは基本的に一方通行のコミュニケーションだった。しかし、電波の向こう側から一枚の葉書が届いたことで、それはリアルにして忘れられない“双方向”となったのだ。
番組を見ながら思った。病と戦いながらの京都行きも被災地めぐりも、永さんからこれまで接してきた人たちへの「返信」ではないか。自らそれを届けて回っているのではないか。
そして、テレビには出ないと公言する永さんが、カメラにこれだけ身をゆだねたのもまた、テレビ草創期からの“つながり”に対する、感謝を込めた返信。そんな気がする。
(東京新聞 2011.10.05)