『あなたのなつかしい一冊』毎日新聞出版
井上ひさし:著『モッキンポット師の後始末』
選と文:碓井広義
大学生になったのは1973年。オイルショックの影響でトイレットペーパーが店頭から消えた年だ。見つけた下宿は台所もトイレも共同の四畳半。農家が、崖の下の「納屋」を改造して作ったもので、私を含む3人の1年生が入った。家賃6700円は大学生協が斡旋(あっせん)する最安値だった。
壁は薄いベニヤ板だったからプライバシーなどない。3人はすぐ仲良くなった。一緒にバイトをしたり、実家から送られてきた米を融通し合ったりするビンボー学生生活を面白がることができたのは、前年に出版された井上ひさしの連作小説集『モッキンポット師の後始末』のおかげだ。
物語の背景は昭和30年代。主人公の小松は仙台の孤児院で高校までを過ごし、東京の「S大学文学部仏文科」に入学する。同時に「四谷二丁目のB放送の裏にある『聖パウロ学生寮』」に住み始め、土田や日野という親友もできる。S大学は井上さんの母校である上智大学(ソフィア・ユニバーシティー)を指す。B放送は当時四谷にあった、ラジオの文化放送だ。モッキンポット師(神父)も実在の神学部教授がモデルだった。
モッキンポット師は、小松のバイト先が「フランス座」だと知った時、「コメディフランセーズといえば、フランスの国立劇場や。するとあんたは、国立劇場の文芸部員……?」などと勝手に勘違いする素敵な人だ。もちろんフランス座は浅草のストリップ劇場であり、小松はこっぴどく叱られる。
次々と珍事件を起こす小松たち3人組。彼らの尻ぬぐいに奔走するモッキンポット師。やがて聖パウロ学生寮は閉じられてしまうが、主人公たちの友情と騒動は続いていく。その愛すべき愚行は大いに笑えて、ちょっとしんみりもして、小説の中の登場人物たちに励まされた。
大学4年生の頃、文章講座の授業に井上さんがゲストとしてお見えになった。終了後に雑談する機会があり、私は『モッキンポット師の後始末』に助けられ、べニヤ壁の下宿も楽しむことができたと感謝した。井上さんは「それは貴重な体験ですよ。いつか書いてみるといい」と笑いながらおっしゃった。この時は、三十数年後に自分がS大学文学部教授になることなど想像もしていない。
井上さんが亡くなったのは2010年の春。75歳だった。思えば、大学の教室で向き合った時はまだ40代だったのだ。当時の井上さんの年齢をはるかに超えてしまったが、「いつか書いてみるといい」と言われたあの言葉は、今も宿題のままだ。