碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

新ドラマ「蜜の味」の菅野美穂に注目

2011年10月18日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

『日刊ゲンダイ』連載中の番組時評「TV 見るべきものは!!」。

今週は、始まったばかりのドラマ「蜜の味」を取り上げました。


今が旬!大人の色香で勝負をかける
菅野美穂は期待できる


NHKで「セカンドバージン」を当てた脚本家の大石静。禁断シリーズ最新作は叔父(ARATA)と姪(榮倉奈々)の道ならぬ恋を描くフジテレビ「蜜の味」である。

このドラマの注目は医師であるARATAの恋人、菅野美穂だ。自身も優秀な病理医でプライドも高い。突然現れた親戚の田舎娘に男を奪われるわけにはいかないのだ。先週の第1回で早くも榮倉の恋心に気づき、警戒感を強めている。怖い。

今回のドラマで驚いたのは菅野が“格下”の榮倉との「W主演」を引き受けたことだ。しかも番手(その作品における役者の序列)としては榮倉がトップ。菅野にはかなりの屈辱のはずだ。

しかし菅野はメゲない。その気持ちを演技にぶつけてきている。ARATAとのベッドシーンも映画「セカンドバージン」での鈴木京香の“脱ぎ惜しみ”と比べたら立派なものだ。

20歳の時に写真集「NUDITY」で見せたスレンダーな肢体に女性らしさが加わって、今が旬。榮倉とのひと回り近い年齢差や12㌢の身長差などに負けない大人の色香で勝負している。

いや、菅野が対抗すべきは日テレ「家政婦のミタ」の松嶋菜々子かもしれない。あの微弱な表現力を「能面」芝居でカバーして初回視聴率19.5%。

菅野にしてみれば自軍の11.6%は不本意だ。その悔しさもバネにますます加速していってほしい。

(日刊ゲンダイ 2011.10.17)

「大学広報研究会」で講演

2011年10月18日 | 大学

「私立大学連盟東京13大学広報研究会」という、各大学の広報セクションの方々が集まる研究会で、講演をさせていただいた。

タイトルは「クライシス・コミュニケーション~メディアとのつき合い方」。

企業や組織で不祥事が発生した際、押し寄せるメディアにどう対処するか、というお話だ。

当然ながら、大学もまた“平和の楽園”ではない。

いいことも悪いことも、さまざまな事が起きる。

もちろん、いわゆる不祥事だって発生することがある。

クライシス・コミュニケーションは、メディアからのファースト・コンタクトから始まる。

この初期の段階が非常に大事で、ここで対応を間違うと、致命的な事態に陥ったりするのだ。

不祥事報道はどのようなメカニズムで行われるのか。

“取材する側”の視点を解説しながら、クライシス・コミュニケーションのヒントを提示させてもらった。

多分、参加していた広報のプロたちにとっては当たり前のことであったり、すでに実践していることも含まれていたと思う。

しかし、有事の際こそ、広報も「基本のキ」が大切になる。

再確認、再認識という意味で受け取ってもらえたなら、幸いです。



「宗谷」、南極大陸へ

2011年10月17日 | テレビ・ラジオ・メディア

いやあ、見ちゃいました。

TBS「南極大陸」。

なるほど、これは確かに大作だ。

全体の作りもしっかりしていました。

それに、これだけの役者たちを、よく集めたものだ。

ちゃんと芦田愛菜ちゃんもいるし(笑)。








木村拓哉も“座長”として頑張っている。

途中、南極観測船「宗谷」の工事が危うくなった時、大勢の職人が駆け付ける場面では「華麗なる一族」を、出航シーンでは映画「SPACE
BATTLESHIP ヤマト」を思い出したりして(笑)。






後は、肝心の南極大陸そのものや苦難の越冬がきちんと描かれていれば、かなりの支持を集めていくと思います。





日本ペンクラブ→銀座散策

2011年10月16日 | 本・新聞・雑誌・活字

日本橋兜町にある日本ペンクラブへ。

編集出版委員会の会合だった。

作家の太田治子さん(ご存知のように父上は太宰治だ)や中島京子さん(近作「東京観光」も面白い)も委員なのだが、本日は欠席。

案件は、来春出版予定のペンクラブ編のアンソロジーに関して、その執筆陣の選定だ。

候補として挙がった有名作家たちの名前を見ながら、委員の皆さんと話し合う。

途中、「なんとまあ大胆な作業をさせていただいているんだろう」と思い、冷や汗が出ましたが、役割ということでご容赦ください(笑)。


終わって、銀座へ。

わずかな時間ながら、久しぶりで銀座を、のんびりぶらぶらと歩く。




立ち寄るところは、いつも同じ。

山野楽器でCDを眺める。




教文館で新刊をチェックし、旧刊を探す。




で、アップルの前を通ったら、長い行列だ。





ああ、スマートフォンの新型機「iPhone 4S」がお目当ての人々ですね。

私は、今も、旧来の単なる携帯電話を使っているので、ただ行列を眺めるのみ。楽だ(笑)。


ようやく本日の目的地、伊東屋さんに着いた。



もう来年の手帳やカレンダーを入手する時期なのですよ。

スケジュール等は、デジタル機器ではなく、“紙だのみ”な私。

長年愛用のシステム手帳で十分です(笑)。

ただし、翌年のスケジュール・リフィルは、銀座の伊東屋で買う。

たいていの文具店で購入できる一般的なものだが、これも長年の習慣というか、小さな儀式みたいなものだ。

というわけで、伊東屋で「いつものやつ」を手に入れ、これで来年の準備は完了です。



連ドラのスタート

2011年10月15日 | テレビ・ラジオ・メディア

秋クールの連ドラが、何本か、スタートした。

今週見た中では、「家政婦のミタ」と「蜜の味」が気になりました。

それぞれ、別々の意味で、「次回も見てみよう」と思わせる初回。

あらためて整理しますが(笑)。

『週刊新潮』で、山本太郎の「あさイチ」出演についてコメント

2011年10月14日 | メディアでのコメント・論評

発売中の『週刊新潮』最新号が、俳優・山本太郎さんのNHK「あさイチ」出演に関する記事を掲載。

ちょうど番組を見ていたこともあり、記事の中でコメントしています。


反原発「山本太郎」が座るNHKの「特等席」


ちょっと痩せていたから見間違いかと思ったが、やはり山本太郎(36)だった。NHKの情報番組「あさイチ」で笑顔を振りまいていたのは10月6日のこと。

山本といえば、3月11日の震災以後、Twitterで反原発発言を繰り返し、その発言が元でドラマの仕事を降板することになったと呟き、ついには所属事務所を辞める羽目になった男だ。

フリーランスでは芸能活動も厳しかろう、と思いきや、大分の別府温泉を訪ねた山本は、スタジオからも元気いっぱい振舞った。曰く――。

地獄めぐりに因んで、視聴者への投稿のお題を決めようとすると、「いいんですか?私が見た地獄とかじゃなくて」

別府での案内人が県庁職員と聞くや、「滅茶苦茶、羨ましいですね、その安定した職業」

別府名物“地獄蒸し”を食べた感想を聞かれて、「いいことばっかりですよ。もう明日、地球が終わってもいいかと思いましたよ」

おいおい、反原発はどこ行った――。

上智大学の碓井広義教授(メディア論)も番組を見ていたひとりだ。

「地熱発電にまで言及するのかと思った。作り手が山本の行動を心情的に応援しているようにも感じました」

「あさイチ」といえば、セックスレスから乳房の垂れ、閉経、果ては有働アナの脇汗まで、朝っぱらから取り上げるのがNHKらしくないことで人気の番組である。

「井上勝弘チーフプロデューサーは朝日新聞の連載で“従来のテレビが取り扱うことをためらってきたテーマに、あえて正面から立ち向かった”と書いていますが、タブーへの挑戦を出演者にも広げたんですかね」


NHKに真意を尋ねると、「山本さんには公共放送の趣旨を理解していただいた上で、ご出演いただいております」(NHK広報局)

念入りなんだろうな、公共放送の趣旨説明とやら。

(週刊新潮 2011.10.20号)


・・・・確かに、画面で見た瞬間は、ちょっとびっくりしましたが、そのレポーターぶりは、“屈託”など感じさせない(笑)、明るく気さくな雰囲気で、なかなか良かったです。



最近観た映画③ 『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』

2011年10月13日 | 映画・ビデオ・映像

『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』を観てきた。

チャールトン・ヘストンが主演だった最初の『猿の惑星』の公開は1968年だ。

衝撃的だったあの作品から43年! 

今回は、「すべてのはじまり」の物語である。


サンフランシスコの製薬会社研究所に勤める神経化学者ウィル(ジェームズ・フランコ)が実験用に観察していた一匹のチンパンジーに驚くべき知能が示された。そのチンパンジーには開発中のアルツハイマー病の新薬が投与されていたが、突如暴れ出し、警備員に射殺されてしまう。だがそのチンパンジーは妊娠しており、ウィルは生まれたばかりの赤ん坊猿を自宅に連れ帰り“シーザー”と名付けて育てることにする。


・・・・観終わって、そうかあ、人類はこうやって滅び、「猿たちの世界」はこうして生まれたのかあ、と感慨あり。

人間は、自ら創りだしたものが原因で滅ぶわけで、確かに怖い寓意に満ちている。

地球の、というか人類の運命を決めてしまったシーザーは、もはや“実在”しているとしか思えない映像。

お猿さんだけど、徐々に人間みたい(しかも超賢い)になっていく過程が、ワクワクやらドキドキやら。

そして、やがては、せつなくなってくる。

最後の方の、猿たちと人間との戦いの場面は大迫力なのだが、それでもどこか悲しい。

猿たちが人間にとって代わる(地球の支配者となる)ことがわかっていても、人間より猿たちのほうが悲しく見える。

不思議だね。


あと、舞台となっているサンフランシスコが懐かしかった。

ゴールデンゲート・ブリッジに霧。

坂道のケーブルカー。

まんま記憶の中の風景だ。

好きな街のひとつなのに、まさか「人類滅亡開始の街」になっちゃうとは(笑)。

NHK『響け!笑顔のスウィング~気仙沼 小中学生ジャズバンド~』に微笑む

2011年10月12日 | テレビ・ラジオ・メディア

11日夜、NHK『響け!笑顔のスウィング~気仙沼 小中学生ジャズバンド~』を見た。

内容は・・・・


ジャズスウィングで被災者、そして心が折れかけた大人たちに勇気を与えている小中学生がいる。「スウィング・ドルフィンズ」。全国有数の港町、宮城県気仙沼市の小中学生ら26人のジャズバンドだ。

ドルフィンズの子供たちは東日本大震災に伴う大津波で、家を流されたり、友達を亡くしたり、親が職を失ったほか、練習場や楽器もすべて流された。しかし、1ヵ月後、ドルフィンズの被災を知ったニューオリンズのジャズ団体などから楽器が子供たち一人一人に届けられた。

子供たちはそのときの感動と音楽を奏でられる喜びを、がれきの山だった気仙沼の人たちにジャズ演奏を通じて伝えた。子供たちの真摯な姿と笑顔のスウィングに大人たちが励まされ、再び復興への勇気を与えた。

いまドルフィンズは自分たちが演奏するジャズでみんなを勇気づけたいと、日々、仙台で行われる夏の大舞台、定禅寺ジャズフェスティバルを目指し練習を続ける。長引く避難所生活、先行きの見えない不安の中、家族に蔓延する重苦しい空気。そんな中、子供たちはひたむきに現実に向き合っている。

「被災者に、そして何よりも家族に笑顔と勇気を与えられるスウィングを」。避難所や仮設住宅で練習もままならない中、街にかつての活気が戻ってくることを信じて練習を重ねる彼女たちの一夏を追う。



・・・・見たのは偶然だったのだが、「ああ、いいものを見させてもらった」と思った。

そこに登場する人たちの体温が感じられるドキュメンタリー。

自分がJAZZが好きなこともあるが、あらためて音楽のチカラ、そして子どもたちのチカラに、思わず微笑んでしまった。

で、番組のエンドロールを眺めていて、驚いた。

「取材」(民放で言うディレクター)の部分に出てきた名前が、慶応SFC時代の教え子だったのだ。

学生時代の演習で作っていた映像が、すでにアマチュアの域を超えるレベルだったのだが、卒業後はNHKに入り、カメラマンとして活躍している。

放送後、現在は広島放送局にいる本人に電話を入れて、聞いてみた。

カメラマンである彼が、震災報道の応援で東北に行っていた際、このジャズバンドのことを知ったのだそうだ。

その時から、あたためておいた企画を提案し、それが通って、今回の放送となった。

ディレクターとして制作したのは、そういうわけだったのだ。

久しぶりで聞く声は元気で、「いい仕事してるな」と言うと、少し照れて笑っていた。


この番組、今週末に再放送される予定。

10月16日(日) 午後5:00~5:26(NHK総合)

ぜひ、おススメしたい1本です。



NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀 SMAPスペシャル』のSMAP

2011年10月11日 | テレビ・ラジオ・メディア

SMAPも、もう20年なんだね。

よくぞ、この浮き沈みの激しい世界で、トップを張ってきたものだ。

そんな、かなり感心する思いで、NHK『プロフェッショナル 仕事の
流儀 SMAPスペシャル』を見た。

中国・北京公演の密着ドキュメント。

これが初の海外公演だというから驚きだ。

もっと普通に演出家がいると思っていたら、メンバーの香取君が演出だというので、またびっくり。

公演に向けての取り組み。

それぞれが語る言葉。

自分たちが何者で(どれほどの者で)、何をしているのかを、しっかり把握していることが伝わってくる。

そして何より、彼らの、この「生真面目さ」。

いや、基本にそれがあるから、20年なのかもしれない。

SMAP、かなり再評価です(笑)。

今週の「読んで書いた本」 2011.10.11

2011年10月11日 | 書評した本たち

本は、どこでも読む。

電車とかの移動中はもちろんですが、家のお風呂やトイレでも読みます。

で、今、トイレではまっている(?)のが、デカルトの『方法序説』(ちくま学芸文庫)。

集中できるのか、こういうタイプの本を読むのに適しているみたいだ。

それにしても『方法序説』は、高校1年の時の英語の副読本だったのだが、岩波文庫の訳で読んでもよくわからないものを、英文で読ませていた当時の先生はすごい(笑)。


今週の「読んで(書評を)書いた本」は、以下の通りです。

川瀬七緒 『よろずのことに気をつけよ』 講談社 

水野 肇 『糖尿病と私』 中央公論新社

東野圭吾 『マスカレード・ホテル』 集英社

小中陽太郎 『いい話グセで人生は一変する』 青萌社

堀井憲一郎 『いますぐ書け、の文章法』 ちくま新書


・・・・川瀬さんの『よろずのことに気をつけよ』は江戸川乱歩賞受賞作。

物語に、民俗学を巧みに取り込んだところがキモだ。

「週刊文春」の連載をはじめ、ずっと堀井さんの書くもののファンです。

今回の文章講座も、面白いだけじゃなく、実際に有効なところが有難い。


* 上記の本の書評は、発売中の『週刊新潮』(10月13日号)に
  掲載されています。



最近観た映画② 『ワイルド・スピード MEGA MAX』

2011年10月10日 | 映画・ビデオ・映像

予想通り、いや予想以上に楽しかった。

あそこまでカーアクションと街破壊(笑)をやってくれるなんて。

まさに無制限な、やりたいホーダイな感じがお見事です。

とにかく、いろんなクルマがどんどこ出てきて、みんな走ること、走ること(笑)。

70年モノのダッジ・チャージャー、2010年式の同じくダッジのSTR8ボールト・チャージャーなどのアメリカ軍だけでなく、NISSAN370Z、72年のスカイラインGT-Rといった日本軍も大活躍だ。

特に、STR8が市街地を、あの図体の、あの代物(言わないよ)を、牽引しながら爆走するシーンは愉快・痛快と言うしかない。

クルマ好きには、それだけでも十分なのに、ヴィン・ディーゼルの「可愛げのあるマッチョぶり」「やんちゃぶり」が突き抜けているのもいい。

クルマとカーアクションがお好きな方、これはおススメです。


最近観た映画① 『世界侵略:ロサンゼルス決戦』

2011年10月10日 | 映画・ビデオ・映像

予告が好きで、つい観てしまった(笑)。

ちょいドキュメンタリー・タッチな作りなど嫌いじゃない。

でも、最終的には、「たった一つの小隊が、宇宙からの大侵略を阻止して地球を救う」という“トンデモ映画”ではありまして、これをめいっぱいのVFXを駆使して作っちゃうところが面白い。

『スカイライン 征服』もそうだったけど、うーんとでっかい話を、うーんと小さなユニットの物語にしていくっていう手法が流行りなのかね。

まあ、コストパフォーマンス的にも、作りやすいんだろうなあ。

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線全体を描くのは大変なわけで、TV映画の「コンバット」みたいな小隊の戦いを見せていく、みたいなものか。

いや、サンダース軍曹たちはナチスドイツを丸ごと倒すわけじゃないけど、この映画はそれをやっちゃうんだもんなあ。えらいことです。

もちろん、誰にもおススメすべき作品でもなく(笑)、私同様、「この手がお好きな方、どーぞ」的1本でありました。

言葉の備忘録51 花森安治『見よぼくら一戔五厘の旗』

2011年10月09日 | 言葉の備忘録

馬場マコトさんの新著『花森安治の青春』(白水社)を読了。

1970(昭和45)年に、花森安治が「暮らしの手帖」に発表した、忘れられないメッセージ「見よぼくら一戔五厘の旗」を再読したくなった。

当時、私は松本深志高校の1年生だった。

同じクラスにいた白馬村出身の太田久彦君が、この「一戔五厘の旗」を私に読ませてくれたのだ。

太田君は、通学には遠すぎる故郷の村を出て、一人で松本に下宿していた。

学業優秀で、もの静かで、どこか大人びた少年であり、時々、私にさまざまな本や著者を教えてくれるのだった。

花森安治もそうだが、太田君を通じて知った作家の一人が五木寛之さんだ。

この時に薦められた五木さんの小説「青年は荒野をめざす」を、約30年後に自分がプロデューサーとしてドラマ化することになるなんて、思ってもいなかった(笑)。

太田君は深志高校から医学部へと進学して医師になり、現在も地域医療に貢献している。


さて、そういうわけで、今回の備忘録入りは花森安治「見よぼくら一戔五厘の旗」だ。

戦時中、召集令状がわずか一戔五厘の葉書一枚だったことから、兵隊の命のあまりの軽さを象徴させている。

原文は、ふだん私たちが使っている「銭」ではなく、「戔」という字で書かれているので、それに従って全文を掲載しておきます。



見よ ぼくら一戔五厘の旗


美しい夜であった
もう 二度と 誰も 
あんな夜に会うことは ないのではないか
空は よくみがいたガラスのように
透きとおっていた
空気は なにかが焼けているような
香ばしいにおいがしていた
どの家も どの建物も
つけられるだけの電灯をつけていた
それが 焼け跡をとおして
一面にちりばめられていた
昭和20年8月15日
あの夜
もう空襲はなかった
もう戦争は すんだ
まるで うそみたいだった
なんだか ばかみたいだった
へらへらとわらうと 涙がでてきた
 
どの夜も 
着のみ着のままで眠った枕許には 
靴と 雑のうと 防空頭巾を並べておいた
靴は 底がへって 
雨がふると水がしみこんだが 
ほかに靴はなかった
雑のうの中には すこしのいり豆と
三角巾とヨードチンキが入っていた
夜が明けると 靴をはいて 
雑のうを肩からかけて 出かけた
そのうち 電車も汽車も 動かなくなった
何時間も歩いて 職場へいった
そして また何時間も歩いて家に帰ってきた
家に近づくと 
くじびきのくじをひらくときのように 
すこし心がさわいだ
召集令状が 来ている
でなければ
その夜 家が空襲で焼ける
どちらでもなく また夜が明けると
また何時間も歩いて 職場へいった
死ぬような気はしなかった
しかし いつまで生きるのか
見当はつかなかった
確実に夜が明け 確実に日が沈んだ
じぶんの生涯のなかで いつか
戦争が終るかもしれない などとは
夢にも考えなかった
 
その戦争が すんだ
戦争がない ということは
それは 
ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 
電灯のスイッチをひねる 
ということだった
たとえば ねるときには 
ねまきに着かえて眠るということだった
生きるということは 
生きて暮すということは 
そんなことだったのだ
戦争には敗けた 
しかし
戦争のないことは すばらしかった
 
軍隊というところは ものごとを
おそろしく はっきりさせるところだ
星一つの二等兵のころ 
教育掛りの軍曹が 突如として どなった
貴様らの代りは 一戔五厘で来る
軍馬は そうはいかんぞ
聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一戔五厘だった
兵隊は 一戔五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった
(じっさいには一戔五厘もかからなかったが……)
しかし いくら腹が立っても 
どうすることもできなかった
そうか ぼくらは一戔五厘か
そうだったのか
〈草莽(そうもう)の臣〉
〈陛下の赤子(せきし)〉
〈醜(しこ)の御楯(みたて)〉
つまりは
〈一銭五厘〉
ということだったのか
そういえば 
どなっている軍曹も 一戔五厘なのだ 
一戔五厘が 一戔五厘を
どなったり なぐったりしている
もちろん この一戔五厘は
この軍曹の発明ではない
軍隊というところは 北海道の部隊も
鹿児島の部隊も おなじ冗談を 
おなじアクセントで 言い合っているところだ
星二つの一等兵になって前線へ送りだされたら 
着いたその日に 聞かされたのが 
きさまら一戔五厘 だった
陸軍病院へ入ったら 
こんどは各国おくになまりの
一戔五厘を聞かされた
 
考えてみれば すこしまえまで
貴様ら虫けらめ だった
寄らしむべし知らしむべからず だった
しぼれば しぼるほど出る だった
明治ご一新になって それがそう簡単に
変わるわけはなかった
大正になったからといって 
それがそう簡単に変わるわけはなかった
富山の一戔五厘の女房どもが 
むしろ旗を立てて 米騒動に火をつけ 
神戸の川崎造船所の一戔五厘が同盟罷業をやって
馬に乗った一戔五厘のサーベルに蹴散らされた
昭和になった
だからといって 
それがそう簡単に変わるわけはないだろう
満洲事変 支那事変 大東亜戦争
貴様らの代りは 
一戔五厘で来るぞ とどなられながら 
一戔五厘は戦場をくたくたになって歩いた 
へとへとになって眠った
一戔五厘は 死んだ
一戔五厘は けがをした 片わになった
一戔五厘を べつの名で言ってみようか
<庶民>
ぼくらだ 君らだ
 
あの八月十五日から
数週間 数カ月 数年
ぼくらは いつも腹をへらしながら
栄養失調で 道傍でもどこでも 
すぐにしゃがみこみ 坐りこみながら
買い出し列車にぶらさがりながら
頭のほうは まるで熱に浮かされたように 
上ずって 昂奮していた
 
戦争は もうすんだのだ
もう ぼくらの生きているあいだには
戦争はないだろう
ぼくらは 
もう二度と召集されることはないだろう
敗けた日本は どうなるのだろう
どうなるのかしらないが
敗けて よかった
あのまま 敗けないで 
戦争がつづいていたら
ぼくらは 死ぬまで
戦死するか
空襲で焼け死ぬか
飢えて死ぬか
とにかく死ぬまで 
貴様らの代りは一戔五厘でくる とどなられて 
おどおどと暮していなければならなかった
敗けてよかった
それとも あれは幻覚だったのか
ぼくらにとって
日本にとって
あれは 幻覚の時代だったのか
あの数週間 あの数カ月 あの数年
おまわりさんは にこにこして 
ぼくらを もしもし ちょっと といった
あなたはね といった
ぼくらは 主人で おまわりさんは家来だった
役所へゆくと みんな にこにこ笑って
かしこまりました なんとかしましょうといった
申し訳ありません だめでしたといった
ぼくらが主人で 役所は ぼくらの家来だった
焼け跡のガラクタの上に ふわりふわりと 
七色の雲が たなびいていた
これからは 文化国家になります 
と総理大臣も にこにこ笑っていた
文化国家としては 
まず国立劇場の立派なのを建てることです 
と大臣も にこにこ笑っていた
電車は 窓ガラスの代りに 
ベニヤ板を打ちつけて 走っていた
ぼくらは ベニヤ板がないから 
窓にはいろんな紙を何枚も貼り合せた
ぼくらは主人で 大臣は ぼくらの家来だった
そういえば なるほどあれは幻覚だった
主人が まだ壕舎に住んでいたのに
家来たちは 大きな顔をして 
キャバレーで遊んでいた
 
いま 日本中いたるところの 倉庫や
物置きや ロッカーや 土蔵や
押入れや トランクや 金庫や 
行李の隅っこのほうに
ねじまがって すりへり 凹み 欠け
おしつぶされ ひびが入り 錆びついた
〈主権在民〉とか〈民主々義〉といった
言葉のかけらが
割れたフラフープや 手のとれただっこ
ちゃんなどといっしょに 
つっこまれたきりになっているはずだ
(過ぎ去りし かの幻覚の日の おもい出よ)
いつのまにか 気がついてみると
おまわりさんは 笑顔を見せなくなっている
おいおい とぼくらを呼び
おいこら 貴様 とどなっている
役所へゆくと みんな むつかしい顔をして 
いったい何の用かね といい
そんなことを ここへ言いにきても
ダメじゃないか と そっぽをむく
そういえば 内閣総理大臣閣下の
にこやかな笑顔を 最後に見たのは
あれは いつだったろう
もう〈文化国家〉などと 
たわけたことはいわなくなった
(たぶん 国立劇場ができたからかもしれない)
そのかわり 高度成長とか 大国とか
GNPとか そんな言葉を 
やたらにまきちらしている
物価が上って 困ります といえば
その代り 
賃金も上っているではないか といい
(まったくだ)
住宅で苦しんでいます といえば
愛し合っていたら 四帖半も天国だ といい
(まったくだ)
自衛隊は どんどん大きくなっているみたいで 
気になりますといえば
みずから国をまもる気慨を持て という
(まったく かな)
どうして こんなことになったのだろう
政治がわるいのか
社会がわるいのか
マスコミがわるいのか
文部省がわるいのか
駅の改札掛がわるいのか
テレビのCMがわるいのか
となりのおっさんがわるいのか
もしも それだったら どんなに気がらくだろう
政治や社会やマスコミや文部省や
駅の改札掛やテレビのCMや
となりのおっさんたちに
トンガリ帽子をかぶせ トラックにのせて 
町中ひっぱりまわせば
それで気がすむというものだ
それが じっさいは 
どうやら そうでないから 困るのだ
 
書く手もにぶるが わるいのは 
あのチョンマゲの野郎だ
あの野郎が ぼくの心に住んでいるのだ
(水虫みたいな奴だ)
おまわりさんが おいこら といったとき 
おいこら とは誰に向っていっているのだ 
といえばよかったのだ
それを 心の中のチョンマゲ野郎が
しきりに袖をひいて 目くばせする
(そんなことをいうと 損するぜ)
役人が 
そんなこといったってダメだといったとき 
お前の月給は 誰が払っているのだ 
といえばよかったのだ
それを 心の中のチョンマゲ野郎が
目くばせして とめたのだ
あれは 戦車じゃない 特車じゃ 
と葉巻をくわえた総理大臣がいったとき
ほんとは あのとき
家来の分際で 主人をバカにするな 
といえばよかったのだ
ほんとは 言いたかった
それを チョンマゲ野郎が 
よせよせと とめたのだ
そして いまごろになって
あれは 幻覚だったのか
どうして こんなことになったのか
などと 白ばくれているのだ
ザマはない
おやじも おふくろも
じいさんも ばあさんも
ひいじいさんも ひいばあさんも
そのまたじいさんも ばあさんも
先祖代々 きさまら 土ン百姓といわれ
きさまら 町人の分際で といわれ
きさまら おなごは黙っておれといわれ
きさまら 虫けら同然だ といわれ
きさまらの代りは 一戔五厘で来る 
といわれて はいつくばって暮してきた
それが 戦争で ひどい目に合ったから
といって 戦争にまけたからといって
そう変わるわけはなかったのだ
交番へ道をききに入るとき 
どういうわけか おどおどしてしまう
税務署へいくとき 税金を払うのはこっ
ちだから もっと愛想よくしたらどうだ
といいたいのに 
どういうわけか おどおどして 
ハイ そうですか そうでしたね 
などと おどおどお世辞わらいをしてしまう
タクシーにのると どういうわけか
運転手の機嫌をとり
ラーメン屋に入ると どういうわけか
おねえちゃんに お世辞をいう
みんな 先祖代々
心に住みついたチョンマゲ野郎の仕業なのだ
言いわけをしているのではない
どうやら また ひょっとしたら
新しい幻覚の時代が はじまっている
公害さわぎだ
こんどこそは このチョンマゲ野郎を
のさばらせるわけにはいかないのだ
こんどこそ ぼくら どうしても
言いたいことを はっきり言うのだ
 
工場の廃液なら 水俣病からでも 
もうずいぶんの年月になる
ヘドロだって いまに始まったことではない
自動車の排気ガスなど 
むしろ耳にタコができるくらい 聞かされた
それが まるで 足下に火がついたみたいに 
突如として さわぎ出した
ぼくらとしては アレヨアレヨだ
まさか 光化学スモッグで 女学生バッタバッタ 
にびっくり仰天したわけでもあるまいが 
それなら一体 これは どういうわけだ
けっきょくは 幻覚の時代だったが
あの八月十五日からの 数週間 数カ月
数年は ぼくら心底からうれしかった
(それがチョンマゲ根性のために
もとのモクアミになってしまったが)
それにくらべて こんどの公害さわぎは
なんだか様子がちがう
どうも スッキリしない
政府が本気なら どうして 自動車の
生産を中止しないのだ
どうして いま動いている自動車の 
使用制限をしないのだ
どうして 要りもしない若者に 
あの手この手で クルマを売りつけるのを
だまってみているのだ
チクロを作るのをやめさせるのなら
自動車を作るのも やめさせるべきだ
いったい 人間を運ぶのに 
自動車ぐらい 効率のわるい道具はない
どうして 自動車に代わる 
もっと合理的な道具を 開発しないのだ
(政府とかけて 何と解く
そば屋の釜と解く
心は言う(湯)ばかり)
 
一証券会社が 倒産しそうになったとき
政府は 全力を上げて これを救済した
ひとりの家族が 
マンション会社にだまされたとき 
政府は眉一つ動かさない
もちろん リクツは どうにでもつくし
考え方だって いく通りもある
しかし 証券会社は救わねばならぬが
一個人がどうなろうとかまわない
という式の考え方では 
公害問題を処理できるはずはない
公害をつきつめてゆくと
証券会社どころではない 
倒してならない大企業ばかりだからだ
その大企業をどうするのだ
ぼくらは 権利ばかり主張して
なすべき義務を果さない
戦後のわるい風習だ とおっしゃる
(まったくだ)
しかし 戦前も 
はるか明治のはじめから 戦後のいまも
必要以上に 横車を押してでも 
権利を主張しつづけ 
その反面 
なすべき義務を怠りっぱなしで来たのは
大企業と 歴代の政府ではないのか
 
さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主々義〉を 探しだしてきて 
錆びをおとし 部品を集め
しっかり 組みたてる
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを 
なによりも第一にするということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら
企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら 
政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて
見ているだけだったら
七十年代も 
また〈幻覚の時代〉になってしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ
 
今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための 
ぎりぎりの限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ
 
今度こそ ぼくらは言う
困まることを 困まるとはっきり言う
葉書だ 七円だ
ぼくらの代りは 一戔五厘のハガキで
来るのだそうだ
よろしい 一戔五厘が今は七円だ
七円のハガキに 困まることをはっきり
書いて出す 何通でも じぶんの言葉で
はっきり書く
お仕着せの言葉を 口うつしにくり返して 
ゾロゾロ歩くのは もうけっこう
ぼくらは 下手でも まずい字でも
じぶんの言葉で 困まります やめて下さい 
とはっきり書く
七円のハガキに 何通でも書く
 
ぽくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布(はぎれ)をつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに 
その旗を 物干し台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後(あと)へひかない


―――花森安治『見よぼくら一戔五厘の旗』


日韓共同制作ドラマ『赤と黒』吹替版、始まる

2011年10月08日 | テレビ・ラジオ・メディア

つい先日、全編を見たにもかかわらず、また見始めてしまった。

NHK・BSプレミアムの日韓共同制作ドラマ『赤と黒』である。

ゴヌク(キム・ナムギル)、ジェイン(ハン・ガイン)、テラ(オ・ヨンス)たちに、また会えるもの嬉しい。

ま、今度は「吹替版」だし、一応、別物ということで(笑)。


第1回は「天使の羽」。

連続ドラマの「初回」は大切だ。

下手をするとドラマ全体の成否が決まってしまう。

長い物語の「発端」として、見る側の興味を引かねばならない。

また登場人物たちの基本的な「人間像」が、魅力的に提示されなくてはならない。

同時に、彼らが置かれている「位置」を把握させる必要がある。

その意味でも、『赤と黒』の第1回は上手い。

見るのが2度目で、こちらも余裕があるから(笑)、前回は見過ごしていた細部の演出もよくわかる。

さすがはイ・ヒョンミン監督(「冬のソナタ」)、やはり映像もいい。

センスに加えて、手間をかけているのだ。

今度は週に一度。

復讐劇であり、恋愛劇でもある全17回を、じっくり楽しみたい。









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日韓共同制作ドラマ『赤と黒』はクセになる
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日韓共同制作ドラマ『赤と黒』、佳境です
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日韓共同制作ドラマ『赤と黒』の終了
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スティーブ・ジョブズに合掌

2011年10月07日 | テレビ・ラジオ・メディア

80年代、最初に買ったPCは、Macだった。

「Macintosh Plus」だ。

可愛かった。でも、高かったなあ(笑)。

その次が、90年代に入って「Macintosh Classic」。

かなり活躍してくれた。

どちらも、使わなくなって、もう20何年もたつのに、捨ててはいない。
ずっと持ち続けている。

ケーブルをつなげば、いつでも、目を覚ます。

今、日常的にはWindowsマシンを利用している私だけれど、Plusの、
あの「ポーン!」という起動音が懐かしい。

確か、Plusも、 Classicも、それが世に出たころには、もうスティーブ・ジョブズ(以前はスティーブンだったよね)は、アップルにはいなかったと思う。

でも私の中のイメージでは、アップルとジョブズはずっと重なっている。

ひとつは同じ1955年生まれということがあって、“同学年の凄い奴”みたいな親近感をもっていたせいかもしれない。

2011年10月5日没。

56歳の死。

あれだけのことをやっての満足の死だったのか、まだやりたいことがあっての無念の死なのか、それはわからない。

でも、間違いなく、世界を変えた人物の一人だと思う。

はるか極東の島国から、「おつかれさま」と「ありがとう」を言いたい。

合掌。