心が本当に疲弊し、打ちひしがれているときは、なかなか音楽も聴けない。何か聴こうと思ってCDを掛けても、耳が受けつけず、すぐに止めてしまう。付き纏って離れない暗澹とした思いが心を覆い尽くし、音が心まで届かない。何か遥か彼方で自分とは無関係な世界で音が鳴っているだけのように聞こえてしまう。音楽療法というものがあるが、今の私にはとても効力を持ちそうにない。
そんな精神状態の中でも心に触れてくる数少ない曲がある。その一つがここ数日繰り返し聴いているビゼーのピアノ曲集『ラインの歌』である。歌劇で有名なこの作曲家は、リストにも賞賛された当代有数のピアノの名手でもあったが、歌劇作者としての名声を築くために、ピアニストとしてのキャリアは放棄した。「無言歌」と作曲者自身によって副題された六つの小品からなるこの曲集は、ビゼーが1862年にドイツのバーデンで知り合ったフランス人詩人ジョセフ・メリーの詩作品にインスピレーションを得ており、各曲にはその作品から取られた題 ― « L’aurore » « Le Départ » « Les Rêves » « La Bohémienne » « Les confidences » « Le retour » (「暁」「出発」「夢」「ジプシーの女」「打ち明け話」「帰還」)―が付けられていて、それが一つの旅路とそこでの出逢いを喚起する。
演奏は、日本でも人気のあるフランス人ピアニスト、Jean-Marc Luisada(ジャン・マルク・ルイサダ)。一音一音慈しむような叙情性豊かな秀演。第2曲目がこちらで聴ける。同じアルバムの後半に収録されたフォーレの夜想曲も名曲であり、演奏も大変優れているが、それについてはまたいつか機会が巡ってくれば書くだろう。