ブラームスが1892年、59歳のとき作曲・発表したピアノ小品集。この小品集の後にさらにOp. 118『六つの小品』,Op. 119『四つの小品』とピアノ小品集が続く。いずれも名曲。Op. 117を作曲する直前にブラームスは遺書を書き、これまでに作曲した作品の整理を行っていたという。友人宛のある手紙の中で、この三曲を「わが苦悩の子守歌」と呼んでもいた。作曲家としてはすでに名声を極め、精妙な作曲技法を確立した晩年のこれらの作品には、過ぎ去りし日々を愛おしむときの限りない憂愁が、容易に推し量ることを許さない精神の深みを湛えつつ聴くものに迫る。私は第二曲にとりわけブラームスの決して成就することのなかった愛情生活の陰りを感じてしまう。それは心の奥底に封印された屈折したエロス的情感のロゴス的表現とでも呼べばいいだろうか。
手元には同曲を収めたCDが四枚ある。グレン・グールド、ラドゥ・ルプー、エレーヌ・グリモー、ニコラ・アンゲリッシュ。それぞれに異なったタイプの名演なので、その時の気分でいずれかを選ぶ。最近はアンゲリッシュを聴くことが多い。何度聴いても聴き疲れしないから。アンゲリッシュは、1970年アメリカ生れだが、13歳の時にパリのコンセルヴァトワールに入学、以来フランスを拠点に活動しているようで、てっきりフランス人だと思っていた。FM放送ラジオ・クラシックで彼の同曲の演奏が流れたのを偶々聴き、それがとても良かったのですぐにCDを購入した。4,5年前のことだろうか。