昨日の記事で言及した時枝誠記の『国語学原論』の「詞・辞の過程的構造形式」と題された節には、時枝の詞・辞論が鈴木朗のそれに由来することが言明されているが、昨日の授業で取り上げた次節「詞・辞の意味的聯関」には、それがさらに本居宣長の「てにをは」論に遡ることが一文で述べられており、その文の中に、「詞は玉であって、辞はこれを貫く緒であり」とある。この宣長の考えは『詞の玉緒』という美しい書名の文法書に展開されているわけだが、その日本語論の中には、まさに生きた言葉の鼓動を聴き取ることができる極めて鋭敏な精神が躍動していると言えるのではないだろうか。時枝の言語過程説の中でもっとも精彩を放っていると思われる具体的事例に即した分析を読むときにも、やはり同じような精神の躍動を感じないわけにはいかない。
この言語表現を〈緒〉によって結ばれた〈玉〉とみる表象が、ゆくりなくも百人一首中の文屋朝康の歌「白露に風のふきしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞちりける」を想起させた。この歌の中では、玉に見立てられた白露がふきしく風に散る映像がそれにふさわしい音列とともに清冽に捉えられているわけだが、それを可能にしているのがまさに詞をつなぐ辞の働きであることがこの歌にはよく現れている。上の句において、白色・光・葉色・風を構成要素として含んだ秋の野の映像が格助詞によって一つのまとまりとして形成され、そのまとまりが係助詞「は」によって提題化され、そこから一挙に、下の句において、緒によって貫かれていない玉に見立てられた白露が飛び散るという一コマに焦点が絞られる視線の動性が「ける」という助動詞によって見る主体の感動とともに示されている。秋の野のある瞬間の光景をとらえたこの和歌は、時枝の言う「主客の融合した世界」の〈ことなり〉の瞬間にほかならない。