内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

構想力の論理

2013-11-14 04:51:00 | 講義の余白から

 今日(13日水曜日)は、イナルコの「同時代思想」の講義の日。出席者数は15名。この辺りの数値で安定してきたようで、去年の平均出席者数に比べればほぼ倍増。そのうち三分のニは本当に熱心にノートを手書きで取るか、パソコンで入力している。今日のテーマは三木清。これまでの7回の講義の中で学生たちの集中度は今日が一番高かった。
 まずは簡単な伝記的紹介から。他の哲学者たちの場合は、みんな大学人としての公生涯であったから、細かい話には入らずにさっと10分ほどで済ませるのだが、三木の生涯はその点例外的であり、しかもその悲劇的な獄中死のこともあるので、いつもの倍の時間をかけ、昭和研究会のことも含めて彼の政治的行動にも言及した。それに引き続き、三木が23歳のときに『哲学研究』に発表した最初のエッセイ「個性について」の中に三木の哲学の初発の指向性を確認してから、『パスカルにおける人間の研究』「人間学のマルクス的形態」を経て『歴史哲学』に至る思想の展開を、個人の行為の社会的実現の契機について三木の思想がどう深まっていくかという点に絞って辿った上で、『構想力の論理』の「序」に示されたその全体構想を分析的に詳しく説明していった。予定では、その後にいくつかのテキストの抜粋を読みたかったのだが、『構想力の論理』の解説のところで、いくつかいい質問が出て、それに答えるために時間をとり、私自身説明しながら閃いた考えを述べたこともあり、まったくテキストを読む時間はなかった。以下に掲載するのが、『構想力の論理』序の図式的分析表である。学生たちはこの一枚を見ながら私の解説を聴き、それをノートしていった。

問題1 客観的なものと主観的なもの、合理的なものと非合理的なもの、知的なものと感情的なものをいかにして結合しうるか。

解決の方法 ロゴスとパトスとの統一の問題として定式化し、すべての歴史的なものにおいて ロゴス的要素とパトス的要素とを分析し、その弁証法的統一を論ずる。

問題2 その統一は具体的にはどこに見出されるのか。

解答 「技術」という客観的な合理的なものが主観的なものと客観的なものとの統一である。

展開1 構想力の論理は「形の論理」である。

説明 構想力の論理という主観的な表現は、形の論理という客観的な表現を見出す。

展開2 構想力の論理は「制作の論理」である。

説明 すべての行為は広い意味においてものを作るという、即ち制作の意味を有している。

展開3 構想力の論理は歴史的な形の論理である。

説明 一切の作られたものは形を具えている。行為するとはものに働き掛けてものの形を変じて新しい形を作ることである。形は作られたものとして歴史的なものであり、歴史的に変じてゆくものである。形は単に客観的なものでなく、客観的なものと主観的なものとの統一であり、イデーと実在との、存在と生成との、時間と空間との統一である。

展開4 構想力の論理は形と形の変化の論理である。

説明 作ることが同時に成ることの意味を有するのでなければ歴史は考えられない。制作が同時に生成の意味を有するところに歴史は考えられる。

展開5 構想力の論理は行為的直観の立場に立つ。

説明 真の直観とは、無限の過去を掻き集めて未来へ躍入する現在の一点である。

展開6 人間のあらゆる行為は、すべて技術的である。

説明 技術の根本理念は形である。技術は人類の文化と共に古く且つ普遍的である。近代科学も技術的要求から生れた。

展開7 構想力の論理は科学の論理に媒介されることによって現実的な論理に発展し得る。

展開8 形の論理は文化の普遍的な論理であるのみでなく、それは自然と文化、自然の歴史と人間の歴史とを結び附けるものである。

説明 自然も技術的であり、自然も形を作る。人間の技術は自然の作品を継続する。構想力の論理は両者を形の変化の見地において統一的に把握することを可能にする。