一昨日の記事でも触れたように、ルイ・ラヴェルを読みながら想い起こした二人のフランス人哲学者のうちの一人がミッシェル・アンリだった。これは両者の思想の間に親和性を認めているからだが、今回はそのような哲学的な議論には入らず、用語とそこに込められた思想ついて見られる両者の一致点と戦争体験が彼らに与えた確信に見られる共通点を、今日と明日の二回に分けて記事としたい。
ラヴェルからはラジオ対談を引用したが、アンリからは彼が求めに応じて自らを若干自伝的に語ったインタヴューを引用する。このインタヴューは、1996年9月に Cerisy-la-Salle で一週間に渡って開催されたアンリの哲学そのものを主題とした一大シンポジウムの期間中に参加者の前で行われたことが、インタビュアーの発言からわかる。同シンポジウムでの多数の発表原稿からなる論文集 Michel Henry, L’épreuve de la vie, Paris, Cerf, 2001 の巻末にこのインタヴューは収録され、後に Michel Henry, Entretiens, Cabris, Sulliver, 2005 の巻頭にも再録されている。
アンリは、このインタヴューの冒頭で、アンリの幼少期についての伝記的な質問から始めようとしたインタビュアーに対して、いきなり聞き手を困惑させるような「哲学的見解」を提示する。
この対談を始めるにあたって一つ哲学的見解を申し上げることをお許しください。私が申し上げたいのは、「伝記」という考えそのものを前にして私がどれほど乏しいものしか持っていないと感じているかということです。真の〈自己〉、つまり私たちそれぞれの自己は、この世界に属してはいない自己であり、あらゆる客観的あるいは経験的な限定とは無縁であると考えている者(である私)には、この種の伝記的事項からそのような〈自己〉へと至ろうとする試みは、疑わしいと思われるのです。一人の人間の歴史、その人を取り巻く環境、それらは、その人自身と他者たちが一致してその人の顔に被せようとする、多かれ少なかれ美化された仮面以外の何物でしょうか。あなたは私が遠い国で生まれたと見なします(訳者注:アンリは、海軍指揮官であった父親の任地、現在のベトナムのハイフォン市で1922年に生まれる)。それは人が私に言っていることです。しかし、この私の〈生国〉は「インドや中国よりも遠い」ところにあるのではないでしょうか。私にとって、私は生命の中に生まれた [je suis né dans la vie] のであって、誰もまだその源をどこかの大陸上に見つけたことはないのです。私は父を知ることはありませんでした(訳者注:アンリの父は、アンリの生後10日目、自動車事故で死亡)― しかし、それこそはすべての生き物の条件ではないでしょうか。母が後に私にその人のことを語ってくれましたが、その人は遠洋航海の船長だったとのことで、私にはその人はコンラッドやクローデルの作中人物のように見えるのです。実のところ、私は父について何も知りません。では、私は、その地で幼少期を過ごした子供(である自分)についてはそれ以上のことを知っているのでしょうか。私たちは永遠の現在・現在する永遠に生きているのであり、そこを立ち去ることは決してないのです [Nous vivons dans un éternel présent que nous ne quittons jamais.]。この永遠の現在・現在する永遠の外にあるものとは、私たちは一つの深淵によって隔てられているのです。しかもそれは、時間が完全に非現実的な環界milieu だからなのです。この点で、私は、マイスター・エックハルトの次のような考えに共感を覚えます。「昨日の出来事は一万年前の出来事と等しく私から疎遠である」(Entretiens, op. cit., p. 11-12)。
アンリはもちろん真剣にこう述べているのであって、詭弁を弄してインタビュアーを煙に巻こうなどという意図は欠片もないことは拙訳からでも感じ取れるであろう。自分について自伝的に語ることの拒否とも受け取れるこの「哲学的見解」をインタヴュー開始早々突きつけられながら、インタビュアーは、しかし、会場にあなたの話を直に聴こうと集まっている聴衆のためにだけでも、と喰い下がり、アンリからいくらかの「回顧談」を引き出すことに成功している。
このアンリの発言の中に出てくる「永遠の現在・現在する永遠 éternel présent 」という言葉は、ラヴェルの主著の書名 La dialectique de l’éternel présent と表現の上で一致するというだけではなく、この言葉に込められた思想の上でも重なり合うことは、一昨日のラヴェルの発言と比べれはよくわかるであろう。
冒頭のこの「哲学的見解」の後、7歳でフランスに帰国した後の家庭内における芸術の、とりわけ音楽の占める位置の大きさと彼の思想との関係についての質問に答える中で、結婚前にピアニストであった母親が自分のために家でよくピアノを弾いてくれたこと、その時の感動が自分を母親に強く結びつけていることが語られる。絵画を音楽から、つまり表象世界とは独立に理解するというカンディンスキーの卓抜な考えが特に自分を惹きつけたのも、おそらくはこの幸福な音楽体験と関係があるだろうと言う。