昨日紹介したラヴェルの対談の続きを読んでいこう。
戦闘経験、常に差し迫った死の経験、家庭的・社会的な諸々の習慣とのすべての関係からの切断、捕囚による一切の所有物の放棄という例外的な状態、これらはすべて、特異な仕方で、私において、そして私ばかりでなく同世代の多くの人たちおいてもそうだったと私は思いますが、自己への内的な注意を促しました。それは、内向している自己意識の裡に、他の一切の支えと独立に、意識にとって十分な栄養源を見出すためです。私は長いこと私たちの生そのものを成すこの経験について思いをめぐらしました。私たちが絶えずそれと交流している一つの全体、絶えずそれに与え、絶えずそれから与えられる全体の部分を成しているという経験についてです。この交流は、まず、あらゆる感覚の質によって表現されます。それらは互いにとても異なっており、とても現実性を帯びており、とても微妙で、とても熱くもあります。それらは色・音・匂い・味・触感であり、それらそれぞれが私たちに、情感的な共鳴の中で、事物の最も密やかな本質を開示してくれます。この交流は、それだけでもうあたかも一つの芸術の始まりのようです。捕囚の孤独の中で ― と言っても集団生活の雑居状態によって外面的には常に乱されていたこの孤独はまったく目には見えないものでしたが ― 、私は収容所の食堂で買った小さな手帳に、毎日、一切の抹消箇所なしに、私が完全に自分のものにできた時にしか文を書き付けまいと注意を払いながら、一冊の本を書き上げたのです。それが La dialectique du monde sensible [感覚世界の弁証法]と題された本で、そういうわけですから、一切の資料・参考文献もなしにできた本なのですが、ところが、ちょっと逆説的なことに、私がフランスへ帰還した後に、これが私の博士論文になるのです。帰還の際、それらの手帳が国境で没収されることを恐れて、私は自分で持ち帰る気には到底なれませんでした。そこで、収容所で知り合い、全面的に信頼していたドイツ人兵士 ― 彼は大学生でした ― に手帳をすべて託し、後年ストラスブールで哲学教授になったとき、フランクフルトまでその元兵士に会いに行き、手帳を返してもらいましたが、手帳はまったく託した時の状態ままで丁寧に保管されていました。こうしてこの著作は、一言の修正もなしにそのまま出版されたのです(同書146-147頁)。
この後、博士論文副論文(当時は博士号取得のために主論文と副論文の二つの提出が義務づけられていた)のことに話が移る。この論文は、1870年からのドイツ占領中(これはフランス側からの言い方で、ドイツ人からすればアルザス・ロレーヌ地方がドイツ領だった期間)には廃止されていて、第一次世界大戦後に復活させられた高校の哲学教授のポストにラヴェルがついている間に執筆されたもので、La perception visuelle de la profondeur [奥行きの視知覚]と題されている(原文はこちらのサイトからダウンロードできる)。この副論文についてラヴェルは次のように語る。
私はかねてから、世界について私たちがもつ表象がまずもって視覚表象であるという事実に驚かされてきました。視覚が世界を私たちに対して光景としています。ところが、視覚は、諸事物を私たちから距離があり、離れたものとして、しかし私たちと関係あるものとして私たちに見せるのです。このようなことが可能なのは、古典的な理論が主張するように、視覚がただ事物の表面だけを与えるだけでなく、私たちの前に開かれる間隔をもまた与え、私たちの眼差しをそれら諸事物にまで導くときだけです。このような間隔は、大気であり、透明であると同時に光に満ちており、それが世界を包み、そこにすべての物体が浸っています。この本は、ですから、La perception de la lumière[光の知覚]と題されたとしてもまったく同じように妥当だったのです(147頁)。
ラヴェルの知覚理論を今日の認知科学の知見から批判することは簡単であろうが、ここではそのような賢しらごとが問題ではないのは言うまでもないであろう。幼少期に与えられた単純な可能性の自覚がもたらした現実についての確信が、戦争体験を経て、捕虜収容所で一つの哲学論文として結実し、そこでの理論的成果の一例証として副論文が戦後生まれ、両者相俟って一つの哲学的言語の形成の出発点になっているという事実に私は注目したいだけなのだ。
ラヴェル哲学は、〈存在 Être〉を実体 substance としてではなく〈作用 acte〉そのものと考え、精神もまた自らが自己同一的な実体ではなく、一つの作用であることを自覚し、精神固有の作用である思索によって〈存在〉の「分有に積極的に与る」こと(これをラヴェルは participaition と呼ぶ。この語は通常「参加」と訳されるが、生ける部分として全体に生かされるだけでなく、全体を活かすものでもあるという弁証法的な関係性をこの訳語ではよく示すことができないので、ぎこちないことを承知のうえで上のように訳した)ではじめて生きる、自分がそこに生かされている〈存在〉全体の中で生きる、と考える(因みに、La présence totale [全体現前]は、ラヴェルの著作の一つのタイトルでもある)。
哲学的思考とは、だから、ラヴェルにおいて、何らかの対象について客観的に考察することに尽きることではもちろんなく、それ自体として永遠なる真理の探求でもなく、〈存在〉の起源への回帰でもない。それは、端的に、〈存在〉に与ろうとする現在する精神活動以外の何物でもない。そのような純粋な精神の運動が、ルイ・ラヴェルという名の一個の幼い魂に自らの起動点を見出し、その名を冠された肉体が思索の途上に倒れて68歳で他界するまで、その魂の成長と成熟とともに弛むことなく持続したということを、その著作群はよく証示している。ラヴェルの著作を読むことは、この稀有なまでに無垢な精神の運動の軌跡を辿るということに尽きるのではなく、そのような精神の運動へと私たち自身が自ら踏み出すようにと呼びかける声を聴くことでもある。