内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

伯爵令嬢への「かなわぬ恋」が生んだ名曲 ― シューベルト「幻想曲 ヘ短調」D940

2015-12-01 05:32:11 | 私の好きな曲

 今から八年ほど前、数週間、この曲ばかり毎日聴いていたことがある。しかし、その音楽的内容からして、「私の好きな曲」というカテゴリーに入れるのが少し躊躇われる。聴いているのが辛くなることがあるからだ。
 パリで一人暮らしを始めて一年ほど経った頃のことだったろうか。ある日、サン・ミッシェル大通りの行きつけのCDショップに立ち寄り、別に何か目当てのCDがあったわけでもなく、店内をぶらついていると、ピアノの連弾曲が流れ始めた。その出だしのあまりに痛切な響きがいきなり心に突き刺さり、店内のスピーカーの下に凝然と立ち止まって聴き入った。それがシューベルトの四手ためのピアノ曲「幻想曲 ヘ短調」(D940)であった(あれは誰の演奏だったのだろう)。
 シューベルトが三十一歳で亡くなる1828年の作品。最晩年というにはあまりにも早く逝った若き天才の最後期の傑作。シューベルトの数多い連弾曲の中でも、その高度な音楽的内容において飛び抜けている作品である。シューベルトが二度のジェリズ赴任でピアノを教えたハンガリーの貴族エステルハージ伯爵家の下の娘カロリーネに献呈されている。シューベルトは、この東欧の名家の令嬢に切ない恋心を抱いてしまったのだが、その身分の違いゆえに最初からかなわぬ恋とわかっていた。この幻想曲は、その悲恋を音楽として永遠化した作品なのだ。
 手元には、この曲を収録したCDが六枚ある。録音年順に、クリストフ・エッシェンバッハ&ユストゥス・フランツ(1978年)、アンヌ・ケフェレック&イモージェン・クーパー(1979年)、マレイ・ペライア&ラドゥ・ルプー(1984年)、マリア・ジョアン・ピレシュ&フセイン・セルメット(1987年)、デュオ・クロムランク(パトリック・クロムランク&桑田妙子、1994年)、マリア・ジョアン・ピレシュ&リカルド・カストロ(2004年)。
 ケフェレック&クーパーの演奏は、その澄明な響きに惹かれる。ピレシュ&セルメットの演奏は、深沈とした美しさを湛えており、演奏技術的な観点からも世評が高い。ピレシュ&カストロの演奏は、より叙情性に富み、ところどころほんのりと明るい響きも聴かれる。どれもとてもいい演奏だと思うのだけれど、私がこの曲に最初から持ってしまっている悲劇的なイメージからは、いずれもやや遠い。
 その悲劇性という点で、私に最も訴えかけてくるは、デュオ・クロムランクの演奏。この演奏を最初に聴いたとき、その全体に漲る切迫感がシューベルトの作曲時の心理に最も肉薄しているように思われた。
 その最初の鑑賞後に、ピアノ連弾に新境地を開き世界的名声を得つつあったクロムランク夫妻が、この曲を含んだシューベルトの四手のピアノ曲集の録音を終えた後、相次いで自殺してしまったという衝撃的な事実を知った。当時二人の関係はすでに破綻していたという話だが、夫が自宅で縊死しているのを妻が見つけ、すぐに同じロープでその後を追ったのだという。夫の自殺の動機が何だったのかは不明である。
 CDのブックレットの最初の見開きには、左頁に二人が並んだ写真、右頁にはCDをリリースしたレーベル Claves の追悼文が英独仏の三ヶ国語で掲げてある。

We mourn for Patrick and Taeko Crommelynck. The news of their tragic death reached us during the last preparation for the release of their third Schubert recording and left us shocked and confused. The world has lost two exceptional artists of great character, and we have lost two dear friends who considerably helped shape Claves Record with their spirit and dedication. All those who knew Patrick and Taeko Crommelynck will share our deep sorrow.

Wir trauern um Patrick und Taeko Crommelynck. Die Nachricht ihres tragischen Todes erreichte uns während der letzten Vorbereitungen für die Herausgabe ihrer dritten Schubertaufnahme und ist für uns alle unfassbar. Die Welt ist um zwei große Künstler und Menschen ärmer geworden, und wir verlieren zwei unvergessliche Freunde, die durch ihre Persönlichkeit und ihr Engagement das Claves-Label maßgeblich mitgeprägt haben. Alle, die Patrick und Taeko gekannt haben, werden sie – wie wir – schmerzlich vermissen.

Nous sommes profondément affligés par la nouvelle de la tragique disparition de Patrick et Taeko Crommelynck, qui nous est parvenue pendant les derniers préparatifs pour la sortie de leur troisième enregistrement de Schubert. L’annonce de cette double mort nous a atterrés. Avec eux le monde perd deux grands artistes, en même temps que deux personnalités attachantes. Ce sont deux amis proches de notre maison qui ont de façon certaine contribué à son renom et qui nous quittent. Tous ceux qui ont connu Patrick et Taeko Crommelynck partageront notre chagrin.

 このCDに収録された二人の全演奏は、Claves によって Youtube にアップされている(こちらからどうぞ。Youtube には、他にも同曲のライブ演奏が多数アップされている)。