ラヴェッソンがなぜ英雄について語るのか、より良く理解するために、もう少しだけ、ラヴェッソンの英雄論を見ておこう。
Les héros se faisaient des choses et de la destinée humaine de tout autre idées.
Pour ces hommes d’élite ou de race, que Descartes et après lui Leibniz nommeront les généreux, chacun a une âme dont c’est le caractère d’être sympatique à toutes les autres et qui existe en elles autant si ce n’est même plus qu’en soi-même, et qui est ainsi ce qu’on pourrait appeler une simplicité complexe ou une simplicité multiple (p. 20).
英雄たちは、物事や人間の運命について、一般の弱き人間たちとはまったく異なった考えを持っていた。これらの特別に選ばれた人たちは、デカルトが、そしてそれに続いてライプニッツが、「高邁なる人たち」(あるいは「寛仁なる人たち」)と名づけていた人たちのことだ。これらの「選良」たちは、こう考える。それぞれの人間には魂があり、その性質は、他のすべての魂に対して共感的である。その魂は、他のすべての魂の中に、己自身において以上ということはないにしても、同じだけは在る。かくして、魂は、「複雑な単純さ」あるいは「多数の単純さ」とも呼ぶことができるものなのである。
ラヴェッソンにとって、英雄とは、古代の神話の中でのみ語られる、もはや失われた過去の形象ではなく、それぞれの人間が持っている最良の共通部分においてすべての人間に平等に対する存在のことである。
ただ、それら英雄たちは、そのように生きる存在ではあっても、それを思想として語ることはない。英雄たちによって生きられたその存在性格を自覚的に思想化していく者、それが、ラヴェッソンにとって、真に哲学者の名に値する存在なのである。