今日の記事のようなタイトルを付けることは、何かいっぱしの著作家を気取っているかのようにも思われて、ためらわれもしたのだが、実は、先月、まったく思いもかけず、私のブログを普段から読んでくださっているという未知の方から長いメッセージをいただいたので、このようなタイトルにした。
そのメッセージは、ご自身の過酷な幼少期のことから書き起こされ、家庭の事情で高校卒業と同時に両親のもとを離れ、自立したが、確たる目標もなく、しばらくは「放心状態」だったと書きつづられている。その間、実際には、いろいろとつらい経験もなさったようである。
大学への進学は断念されたものの、心のどこかで大学生には憧れを抱いてこられたという。今の日本の大学の一般的現状のことを思えば、そんなに憧れるようなところでもありませんよとも言いたくもなるが、学生生活を送る機会に恵まれなかった方たちからすれば、大学生たちがそれと自覚せずに享受しているキャンパスライフ、一旦社会人になれば到底望めないようなその間の時間の過ごし方は、それだけで贅沢のきわみであり、憧憬の念やみがたいものなのであろう。
その方は、私のブログを、そんな憧れの大学の講義を覗いているかのような気持ちで読んでくださっているのだという。実際に日本の大学で本当に素晴らしい講義をなさっている先生方のことを思えば、私の拙いブログについてのこのような過分なお言葉には、ただただ恥じ入らざるを得ない。しかし、一方では、そんな気持ちで読んでくださっていることに、正直、ありがたく思い、心動かされもした。
ただ、ご本人にはそのおつもりはなくとも、私には耳に痛く響いた一言もあった。その部分は、そこだけ読んでもご本人が特定される心配はないと思われるので、そのまま引用させていただく。
私には言葉が難し過ぎて、まるで理解できません。読み続けていくうちに、言葉にも慣れてくるかな?何か見えてくるかな?多少は手応えも感じることができるようになるかな??などと思いながら、やっぱり難しくて、イメージすら、掴めていない、[…]
「申し訳ない」と申し上げるしかない。他の方からも同様のご指摘をいただいたことがあるけれど、私のブログをそれでも楽しみにしてくださっている方からの思いがけぬ一言だったので、それは痛棒の如くに私を打った。
ごく少数の友人・知人・親族からは、ときどき読んでくださっていることをご本人たちから直接うかがったり、メールでお知らせいただいたりすることがあるので、それらの方たちにはその都度心より感謝申し上げている。
しかし、まったく未知の方からの上のようなメッセージは、自分の至らなさを改めて自覚させるとともに、このブログの第一回目の記事に書いたように、「宛先を書かずに手紙を投函する」ような、誰からも一顧だにされ得ない無益なことを毎日続けているこのブログも、ふと、ある日、誰か未知の方の目に止まって、いわばコーヒー一杯分くらいの益はもたらすこともあるのかと、いささか慰められもし、励まされもした次第である。
その方にすぐにもお礼のご返事を差し上げようと思ったのだが、メッセージへの返信を受け付けない設定にされていたので、今日の記事をもって、そのご返事に代えさせていただく。