内的自己対話-川の畔のささめごと

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哲学的遺書を読む(4)― ラヴェッソン篇(4)「迫り來る夜を憂へず」

2015-12-15 06:26:16 | 哲学

 『哲学的遺書』の中で、ラヴェッソンは、キリスト教の精神を「慈悲の精神」(« l’esprit de miséricorde »)として提示している。それは、既存のいずれかのキリスト教神学の流れを前提とし、それに基いてそう主張しているのではなく、自らの寛仁の哲学からキリスト教精神の本質をそう捉えているのである。ラヴェッソンによれば、キリスト教精神の本質は、「正義の名において」罪人を裁く「狭隘な神学」(« théologie étroite»)とは、根本的に異なったものである。
 この箇所は、ベルクソンの「ラヴェッソンの生涯と業績」にも、一部省略されながらも、かなり長く引用されている。死を直前に控えて記されたこの箇所に、ベルクソンは、ラヴェッソン哲学の到達点を見ているのである。その引用の直後のベルクソンの文章は、ラヴェッソンへのきわめて美しい頌歌となっている。明日から、ラヴェッソンの『遺書』の当該箇所を読んでいくが、その前に、今日は、真にその名に値する哲学者が同じくそうである哲学者を讃える、類稀な名文を読んでおこう。

Telles étaient les théories, et telles aussi les allégories, que M. Ravaisson notait dans les dernières pages de son Testament philosophique, peu de jours avant sa mort. C’est entre ces hautes pensées et ces gracieuses images, comme le long d’une allée bordée d’arbres superbes et de fleurs odoriférantes, qu’il chemina jusqu’au dernier moment, insoucieux de la nuit qui venait, uniquement préoccupé de bien regarder en face, au ras de l’horizon, le soleil qui laissait mieux voir sa forme dans l’adoucissement de sa lumière. Une courte maladie, qu’il négligea de soigner, l’emporta en quelques jours. Il s’éteignit, le 18 mai 1900, au milieu des siens, ayant conservé jusqu’au bout toute la lucidité de sa grande intelligence (Bergson, op. cit., p. 289-290).

 この箇所の野田又夫訳は名訳である。今日の言語感覚からすれば、いささか古色を帯びた荘重な響きの言葉の連なりが、仏語原文の格調の高さをよく伝えている。旧仮名旧漢字の岩波文庫の訳文そのままを引く。

ラヴェッソン氏が「哲學遺書」の最後の數頁に、死の數日前に記した理論、并びに寓話は、かかるものであつた。この高貴な思想とこの優雅な形像とを縫うて、いはば堂々たる樹々と香はしき花々の縁どる小路に沿うて、彼は最後の瞬間まで歩みつゞけた、迫り來る夜を憂へず、唯、地平線上、光を和げつゝその姿をくつきり示す太陽を、まのあたりに眺め入らうとのみ冀つて。彼が手當をせずに捨ておいた短い病は數日にして彼を奪ひ去つた。一九〇〇年五月十八日、家族の人にとりまかれ、最後までその偉大な知性の明澄さを少しも失はずに、彼は靜かに逝いた。(121頁)