内的自己対話-川の畔のささめごと

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哲学的遺書を読む(2)― ラヴェッソン篇(2)共鳴する哲学の調べ 《 générosité 》

2015-12-13 12:06:52 | 哲学

 ベルクソンが「ラヴェッソンの生涯と業績」の中で共感を込めて『哲学的遺書』に言及している箇所に、ラヴェッソンの哲学的精神とベルクソンのそれとの美しい共鳴を聴き取ることができる。

Il disait maintenant qu’une grande philosophie était apparue dès l’aurore de la pensée humaine et s’était maintenue à travers les vicissitudes de l’histoire : la philosophe héroïque, celle des magnanimes, des forts, des généreux. Cette philosophie, avant même d’être pensée par des intelligences supérieures, avait été vécue par des cœurs d’élite. Elle fut, de tout temps, celle des âmes véritablement royales, nées pour le monde entier et non pour elles, restées fidèles à l’impulsion originaire, accordées à l’unisson de la note fondamentale de l’univers qui est une note de générosité et d’amour (Bergson, « La vie et l’œuvre de Ravaisson », dans La pensée et le mouvant, PUF, 2009, p. 286).

 「ラヴェッソンの生涯と業績」が収められた『思想と動くもの』の邦訳は、岩波文庫の河野与一訳と白水社の旧版『ベルグソン全集』第七巻の矢内原伊作訳とがある(同じく白水社の『新訳ベルクソン全集』の同書の訳は、2015年12月現在で未刊行)が、この他に、野田又夫訳ラヴェッソン『習慣論』(岩波文庫)の巻末に「ラヴェッソンの生涯と著作」というタイトルで、同じく野田又夫の訳が付録として収録されている。前者二者は未見、後者は手元にある。その野田訳を以下に引く(現用の仮名遣い・字体に改めた)。

今や彼は語る、人間の思想の発端からして一つの偉大な哲学が現れていて、歴史の変遷を通じて維持せられた、即ち英雄の哲学、大度の人、強き人、寛仁の人の哲学である。この哲学は、優れた知性によって考えられる以前すでに、選ばれた人々の心情によって生きられていた。それは、何時の時代でも、我身の為にでなく全世界の為に生れ、初めに享けた力の向かうところに飽くまで忠実に、宇宙の基本の調べ―それは寛仁と愛の調べである―に合せて心をととのえる、真に王者の心をもつ者の哲学であった。(「ラヴェッソンの生涯と著作」、『習慣論』、岩波文庫、1938年、117頁)

 訳文中の「寛仁」という言葉は、原文中の « générosité » という言葉に対応している。デカルトの『情念論』における « générosité » の場合、「高邁」と訳されることが多い。いずれにしても、この言葉だけを見ていても、それをめぐってどのようなことが問題になるのか、すぐにはよくわからないし、デカルトとラヴェッソンでは、もちろん、問題とされる事柄も異なる。ラヴェッソンの『哲学的遺書』に共鳴するベルグソンとラヴェッソンとの間にも、重点の置き方において違いがある。
 ラヴェッソンには、1893年に Revue de métaphysique et morale の創刊号に掲載された « Métaphysique et morale » という論文がある。この論文の中で、ラヴェッソンは、まさにデカルトの « générosité » に言及しながら、形而上学から導き出されるべき道徳的「義務」を次のように定義する。

Il y a un « devoir » ; mais quel est ce devoir ? La vraie métaphysique prépare la réponse. Le devoir est de ressembler à Dieu, notre modèle comme notre auteur, et si Dieu est ce qui se donne, de nous donner. La loi suprême tient alors dans un mot proposé par Descartes : générosité (« Métaphyque et morale » dans Félix Ravaisson, De l’habitude Métaphyique et morale, PUF, 1999, p. 187).

 ラヴェッソンによれば、私たちの「義務」とは、私たちの手本であり創造者である「神に似ること」、そして、神とは「自らを与えるもの」であるならば、私たちの「義務」は、「私たち自身を与えること」である。この至高の法がデカルトによって提案された « générosité » という語に込められているとラヴェッソンは言う。