第一次世界大戦を五十代半ばに経験し、半ば公人として戦中二回アメリカに行き、当時のアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンに参戦を要請し、第二次大戦が始まってから一年四ヶ月後の1941年1月4日に81歳で逝去したベルクソンが『道徳と宗教の二源泉』の末尾に次のように記したのは、ヨーロッパではまだ新しい戦争の跫音が人々の耳には聞えてはいなかった1932年のことであった。
L’humanité gémit, à demi écrasée sous le poids des progrès qu’elle a faits. Elle ne sait pas assez que son avenir dépend d’elle. À elle de voir d’abord si elle veut continuer à vivre. À elle de se demander ensuite si elle veut vivre seulement, ou fournir en outre l’effort nécessaire pour que s’accomplisse, jusque sur notre planète réfractaire, la fonction essentielle de l’univers, qui est une machine à faire des dieux (Les deux sources de la morale et de la religion, PUF, coll. « Quadrige Grands Textes », 2008, p. 338).
人類は自分がなしとげた進歩の重さで半ば押し潰されてうめき苦しんでいる。人類は自分の将来が自分次第であることが十分に分かっていない。第一に、人類はこれからも生き続ける意志があるのか否かを考えてみなければならない。第二に、ただ生きることを望むのか、それとも、ただ生きることに加えて、神々を作り出す機械たる宇宙の本質的な機能が、反発的なこの地球でも果たされるのに必要な努力を払うことを欲するのかどうかを考えてみなければならない。」(合田正人・小野浩太郎訳,ちくま学芸文庫,2015年,p.436)
この有名な一節の最後の一文は、解釈が難しく、研究者の間でも意見が分かれてはいるが、いずれにせよ、確かなことは、この宇宙で人類が生き延びるためには、己の在り方について根本的に問い直すことが人類に求められているということである。ラヴェッソンによって継承されたフランス・スピリチュアリズムの伝統の正嫡の後継者であるベルクソンの世界を見る眼差しは、以後、ますます翳りを濃くしていく。ベルクソンには、ラヴェッソンが遺した、未来に希望を託すような「遺書」はもう書けない。