内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

哲学的遺書を読む(1)― ラヴェッソン篇(1)「英雄の哲学」

2015-12-12 19:51:29 | 哲学

 今回の連載の意図は、哲学者がその生涯の最後の日々に「哲学的な」遺書として書いた文章からその思想を見直すことにある。
 連載のサブタイトルを「ラヴェッソン篇」としたのは、続編が予定されているからで、その続編では、「東洋のルソー」と称された中江兆民を取り上げる。兆民に「哲学者」という称号を冠することは躊躇われるにしても、明治期の代表的な思想家であることには異論の余地はないであろう。
 ラヴェッソン(1813-1900)と中江兆民(1847-1901)とを同じタイトルの下に取り上げるのは、両者がともに「哲学的」と呼べるような遺書を後世に遺しているからであり、それ以上に何か両者の間に共通点を探ろうという意図はない。前者の『哲学的遺書』と後者の『続一年有半』とを見るかぎり、前者は、フランス・スピリチュアリスムの流れを汲み、後者は、唯物論的思考に基礎を置いており、哲学的には、いわば対蹠的な立場に立っており、何らかの交叉点を見出すことはおそらくできない。
 ただ、1870年にナポレオン三世によってルーヴル美術館の古代担当学芸員に任命されたラヴェッソンと、1872年1月11日から同年5月にリヨンに移動するまでの四ヶ月間パリに滞在していた兆民とが、そのちょうど一年前の1月にパリ攻囲戦に敗北し、普仏戦争における屈辱的な敗戦からまだ立ち直ってはいないフランス第三共和制下のパリの空気を一時ともに呼吸していたことは確かである。
 それはさておき、まずは、ラヴェッソンの『哲学的遺書』を読んでいこう。
 普仏戦争勃発から三十年の年月を閲して、間近に迫った死を意識しつつ、哲学的遺書として書かれたラヴェッソンの文章は、その六十二年前に書かれた『習慣論』の極度に思考が凝縮された文章とは、そのスタイルにおいて、鮮やかな対照をなしている。『哲学的遺書』(このタイトルは、ラヴェッソン自身によるものではなく、遺稿として哲学者の死の翌年1901年に発表された際に付されたものだが、生前この文章をラヴェッソン自身がそう呼んでいたとの証言から、妥当なタイトルとして諸家に承認されている)は、イメージに富んでおり、それらのイメージは、ラヴェッソンのそれまでの哲学的思考を濃縮された形で内包していると同時に、そこから新たな哲学的思考が湧き出てくる思索の源泉でもある。
 『遺書』は、こう結ばれている。

Détachement de Dieu, retour à Dieu, clôture du grand cercle cosmique, restitution de l’universel équilibre, telle est l’histoire du monde. La philosophie héroïque ne construit pas le monde avec des unités mathématiques et logiques et finalement des abstractions détachées des réalités de l’Entendement ; elle atteint, par le cœur, la vive réalité vivante, âme mouvante, esprit de feu et de lumière (Félix Ravaisson, Testament philosophique, Allia, 2008, p. 120).

神から離れ、神へと回帰し、大いなる宇宙的円環が閉じられ、普遍的な均衡が回復される。これが世界の歴史である。英雄的な哲学は、数学的・論理学的単位によって世界を構築せず、〈悟性〉の現実から切り離された諸々の抽象化の結果として世界を構成するのでもない。英雄的な哲学は、心によって、生き生きとした生ける現実に、躍動する魂に、燃えるように光り輝く精神に到達する。

 二十世紀と二十一世紀の現実世界のこれまでの災厄を知っている私たちは、十九世紀の末期に書かれたこのような文章の中に、哲学者の浮世離れした夢想以外のものを読み取ることは難しいかもしれない。しかし、もし私たちがラヴェッソンの思想の中にドイツ・ロマンティスムの残光しか見ることができないとすれば、それは、歴史的「事実」の圧倒的な厚みによって、私たちの世界を見る眼が曇らされているからなのかもしれないと、少なくとも一度は、疑ってみてもいいのではないだろうか。