先月発売された叢書 Bouquins の Pascal L’Œuvre は、パスカルの主要著作を二千頁を超える一冊に集成したものである。パスカルの生涯をいくつかの時代に分け、それぞれ時代を特徴づける主題の下にそれに関連する諸著作を編年式に配列しているところにその特徴がある。プレイヤード叢書のパスカル著作集(二巻本)は諸著作を分野ごとにまとめているが、テキストの選択に問題があるとBouquins 版の編者は批判している。編年式編集で徹底しているのは1964年に第一巻が刊行されたメナール版パスカル全集だが、これは未完で、現在までに四巻刊行されているものの、『プロヴァンシアルの手紙』も『パンセ』もまだ出版されていない。Bouquins 版は、コンパクトというには持ち重りがしすぎて、持ち運びに便利とは言えないが、一冊で主要著作が網羅さているので重宝することになりそうだ。
編者二人による序論 DÉFI を読んでいていろいろと考えさせられる。その冒頭の文は « Lire Pascal est un défi. » である。「パスカルを読むことは、挑戦・試練である」とはどういうことか。パスカル著作全体を読むことは、確かにきわめて難行である。 しかし、例えば、パスカルを読む難しさはモンテーニュを読む難しさとは異なる。
パスカルは、数学・物理学・神学・宗教・哲学など、多分野に並外れた才能を発揮した稀有な天才としてよく紹介される。しかし、これは今日いうところの pluridisciplinarité とは違う。この語は、すでに確立され、それぞれに独立しているか、互いにそれまで関連がなかった多領域にわたる研究について言われるが、この現代的な概念をパスカルの時代に適用することはできない。特にパスカルについては以下の二重の意味で不適切である。
一つは、パスカルにおいては、異なった分野それぞれに天才が発揮されたというよりも、人間をその全体において知りたいという原初的で深い同じ一つの探究心がさまざまな分野への関心となって表現されたと見るべきだからである。
もう一つは、今日のようにそれぞれの分野独自の術語がまだ確立されてはおらず、数学においてさえ、一部の記号表記を除いては、他の分野と相互浸透的な術語が使用されていたからである。そのことを象徴的に示しているのが « littérature » という言葉である。今日、この語は「文学」という特定の分野を指すが、この用法が現れるのはパスカルが亡くなって以後の十七世紀末からである。それ以前は、「知」全体を指していた。リテラチュールはいわば「総合知」なのである。
パスカルが多様な分野に関心を示したのは、人間の総合知としてのリテラチュールを探求しようとしてのことであると見るべきなのだろう。