幕末の将軍家御典医であった七代目桂川甫周(国興、1826‐1881)の娘みねが齢八十になってから息子の求めに応じて語り遺した聞き書き『名ごりの夢 蘭医桂川家に生まれて』(平凡社ライブラリー、2021年。原本、私家版、1940。初版、長崎書店、1941年。平凡社東洋文庫、1968年、解説・金子光晴)は、昔語りの名作として名高い。その全編が涼やかな文集になっているが、その中からみね自身が「涼しいお話」として語った「氷」と題された一文を引く。
何か涼しいお話をと思って、心にうかんだのは氷のことでございますが、私の子どもの自分は氷をいただくなどということは、ほんとに一夏にたった一度だったようにおぼえます。それも普通では手にはいらないのでございますから、氷もとても尊いもののように考えられました。なんでもその氷はお城から諸大名や旗本等へ下りたのでございまして、一般の人たちへ氷がゆきわたるようになりましたのは明治になってからではないでしょうか。
お氷の日は父は常より早く登城いたしまして頂戴いたしました。それをお待ちうけする邸では大さわぎ。いよいよいただける段になりましても、私などは重ねた両手もしびれるほどにお待ちしていただきました。うすらおぼえではございますが、一寸角ぐらいなのをかさねた手に浅黄のおふきんを布いておしいただきました。もううれしくてうれしくて、お廊下をかけて自分の部屋までまいりました時には大方半分くらいになってしまったことも忘れられません。ある時は雪のようなのを、そのころ西洋から来たという銀の大匙に一ぱいいただいたこともありましたが、それはすぐ消えるように融けてしまって、オイオイ泣き出したことも思い出します。(170-171頁)