入矢義高のこの美しい文章を知ることができたのは、保苅瑞穂の『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』(講談社学術文庫、2015年)のなかに引用されていたからだ。この文章は、『求道と悦楽 ― 中国の禅と詩』(岩波現代文庫、2012年)に収められている。その冒頭に寒山子の詩が引かれている。
欲識生死譬 生と死の譬えを識(し)らんと欲せば
且将氷水比 且(しば)らく氷と水を将(も)って比(たと)えん
水結即成氷 水結ぼるれば即ち氷となり
氷消返成水 氷消(と)くれば返って水と成る
已死必応生 已に死すれば必ず応(まさ)に生まるべく
出生還復死 出で生まるれば還(は)た復(ま)た死す
氷水不相傷 氷と水とは相傷(そこな)わず
生死還双美 生と死と還(ま)た双(ふた)つながら美(よ)し
つまり、氷が融けて水に還るという天然自然の循環サイクルをもって生と死を説明しているわけである。生と死がそのようなものであり、「一来一往」(『列子』天瑞篇)する連環運動である以上、生を喜び好み、死を悪(にく)み畏れるという俗情は、全くナンセンスそのものだということになる。この詩の末句の「生死還双美」とは、まさにそのような俗情を向こうにまわして、「生も死もどちらもめでたきものなのだ ― ちょうど水と氷が相敵対するものではないように」と教えているわけである。(173‐174頁)