酷暑をその只中にあって涼やかに過ごす手立てはないか。それを読むと心身ともにすっとするような、涼風のごとき文章を毎日少しずつ味わうのもその手立ての一つではなかろうか。
もっぱら私の好みのみによる、しかもいきあたりばったりの選択に過ぎないが、そんな文章を今日からしばらく摘録していく。題して「私撰涼文集」。読んでくださる皆様にも涼風が届くことを願いつつ。
初日の今日は、山川菊栄『武家の女性』(岩波文庫、一九八三年)の「お塾の朝夕」の冒頭二段落。
トントン、トントンと小さな拳で表門を叩く音が次第に高く、続けざまに聞こえてきます。門番の彦八爺さんが、門脇の長屋から起き出して草履をつっかけながら出ていったのでしょう、ギーと門の扉があく音がします。まだ前髪つきの、短い小倉袴に脇差一つ(武士の子でも十三、四までは脇差だけです)、キリッとした格好の小さなお侍の子供たちが二人、三人、次々にわれがちにはいって来ます。
まだしらじら明けの、霧の深い夏の朝です。手習い子たちの「トン、トン」と門を叩くのを合図に、奥の方の女も子供も一せいに起き出して、雨戸をくくります。庭の草にはまだ夜露がしっとりと、時には明けきらぬ空に名残の月が仄白く残っていることさえあります。井戸にはつるべの音、勇ましい水の音。そして台所にはチョロチョロ、パチパチ、大きなかまどの下に火が燃え始めて、白い煙が連子窓から外へ流れ出します。部屋部屋には、ハタキや箒の音。