内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

パスカルにおける「倦怠 ennui」について

2023-07-09 23:59:59 | 哲学

 パスカルの『パンセ』のなかには「気晴らし divertissement」と題されたファイルがあり、このテーマはパスカルの人間学(anthropologie)の中心的テーマの一つである。パスカルにおいて、気晴らしと倦怠(ennui)は不可分であり、一つの問題の表裏をなしている。
 しかし、divertissement も ennui も、パスカルが『パンセ』のなかで両語に与えている意味に忠実に理解しないと、パスカルの人間学を捉え損ねることになる。
 塩川徹也氏は岩波文庫版『パンセ(上)』の上記のファイルの冒頭に次のように注記している。

「気晴らし」は、パスカルの人間学のキーワードである。それは、仕事や心配事に集中している気持ちをそらせ紛らわせる活動、とりわけ余暇に行われる娯楽であるが、本章に見るように、彼はその意味を拡張して、まじめな仕事を含めた人間の活動のいっさいを気晴らしと見なしている。(159頁)

 およそ人間がこの世で熱心に取り組むこと・熱中していること・危険を承知で何かを獲得しようと全力を尽くすことはすべて、この拡張された意味での気晴らしであり、それは何ごとからか目を逸らすためであり、そのためにこそ人間は次から次へと気晴らしを探し、それに打ち込もうとする。その逃れようとする何ごとかが倦怠である。

このようにして一生涯が過ぎていき、人々はいくつかの障害に打ち勝つことをつうじて休息を求める。ところがそれを克服すると、休息は堪えがたいものとなる。休息が倦怠を生み出すからだ。休息を脱して、喧騒を乞い求めなければならない。さもなければ、目下の不幸か、将来をおびやかす不幸に思いを向けることになる。そしてたとえどこから見ても安全だとしても、心の底に生まれながらに根を張った倦怠が自分勝手にうごめき出し、精神をその毒気で満たさずにはおかないだろう。(塩川徹也訳、ラフュマ版136、ブランシュヴィック版139)

Ainsi s’écoule toute la vie, on cherche le repos en combattant quelques obstacles. Et si on les a surmontés, le repos devient insupportable par l’ennui qu’il engendre. Il en faut sortir et mendier le tumulte. Car ou l’on pense aux misères qu’on a ou à celles qui nous menacent. Et quand on se verrait même assez à l’abri de toutes parts, l’ennui, de son autorité privée, ne laisserait pas de sortir du fond du cœur, où il a des racines naturelles, et de remplir l’esprit de son venin.

 是が非でも気晴らしを求める人間が逃れようと必死になっているのは、無為においてこの倦怠と向き合うことだ。
 引用した一節に出てくる「倦怠」に塩川氏は次のような後注を付している。

「倦怠」と訳した原語 ennui は、パスカルの時代には、悲しみや苦しみ、あるいは絶望という意味合いもあった。「どこから見ても安全」なのに感ずる ennui は、原因を特定することのできない悲しみ、メランコリー、あるいは、のちに実存主義の主要な概念となる「不安」でもある。断章六二二参照。(171‐172頁)

 これらの引用からだけでも、パスカルにおける ennui が「倦怠」という日本語ではよく捉えきれないことがわかる。実際、ennui がそこから派生した動詞 ennuyer のもともとの意味は、「憎むべき、忌まわしい、あるいは不愉快極まりないといった感情を引き起こすこと」であり、ennui は、それと並行的に「嫌悪、深い悲しみ」を意味していた(Dictionnaire historique de la langue française, Le Robert, 2016 参照)。
 Littré にも、I. « Tourment de l’âme causé par la mort de personnes aimées, par leur absence, par la perte d’espérances, par des malheurs quelconques. »(「愛する人の死、その不在、希望の喪失、何等かの不幸によって魂に引き起こされる苦しみ」) ; II. « Sorte de vide qui se fait sentir à l’âme privée d’action ou d’intérêt aux choses. »(「行動や物事に対する関心が奪われた魂が感じさせられる空虚のようなもの」)とある。
 おぞましいもの・憎むべきものという感情を人間に引き起こすもの、その感情そのもの、そしてその感情に支配された状態が ennui なのである。