FC東京のJ2降格から4日が経ち、ようやく様々なことが考えられるようになった。
いろいろな思いが錯綜しており、まだ整理もつかないが、今考え得ることを記していこうと思う。
報道各社の論調はほぼ「甘さ」という点で一致していた。要するにフロントも含めてJ2落ちを認識しておらず、真剣に対応してこなかったという意見である。特にサッカー専門紙「EL GLAZO」の分析が的を射ていた。
「赤嶺真吾の移籍」「監督交代の時期」などである。
選手間でも米本選手が談話しているように「自分らは大丈夫だと思っていた」という言葉が象徴するように、そうした空気がチーム内にあったと想像できる。
だが、我々サポーターは選手やフロントだけを責められるのか。
実のところ、わたしも甘くみていたひとりだからである。クラブはビッグクラブの道を歩んでいた。才気溢れるタレントも揃えていた。心の底では「落ちる訳がない」という気持ちは常にあったというのが正直なところである。
FC東京の降格はJリーグが新たな段階に入ったのではないかと感じる。つまり、各クラブの力の差は拮抗し、J2とJ1が紙一重になりつつあることを示唆しているのではないかと。
つまり、降格のリスクマネジメントができることもクラブの重要な要素になってきていると思うところである。したがって、これからは優勝争いから外れ、中位に甘んじるクラブも含めてそうした対応がより重要になってくるのではないだろうか。
さて、この数日考えるのは、今回のJ2降格はチームの再構築を行うチャンスではないかと考えるようになった。
今後も東京全域をホームタウンとしていくのか。そうした場合、カバーできていない地域にはどのようなフォローを行うのか。この基盤をしっかりしなければ、いつまでたっても足下は覚束ない。言い換えれば、カバーできていないエリアがあるからこそ、味の素スタジアムはいつまでもたっても満員にならないし、クラブサポーターも10万人には遙かに届かない数字で推移しているのではないだろうか。
この1年間、やるべきことはJ1復帰だけではない。ビッグクラブを目指すことによって生じてきた細かな綻びを再度繕いなおすことも忘れてはいけないことである。
いろいろな思いが錯綜しており、まだ整理もつかないが、今考え得ることを記していこうと思う。
報道各社の論調はほぼ「甘さ」という点で一致していた。要するにフロントも含めてJ2落ちを認識しておらず、真剣に対応してこなかったという意見である。特にサッカー専門紙「EL GLAZO」の分析が的を射ていた。
「赤嶺真吾の移籍」「監督交代の時期」などである。
選手間でも米本選手が談話しているように「自分らは大丈夫だと思っていた」という言葉が象徴するように、そうした空気がチーム内にあったと想像できる。
だが、我々サポーターは選手やフロントだけを責められるのか。
実のところ、わたしも甘くみていたひとりだからである。クラブはビッグクラブの道を歩んでいた。才気溢れるタレントも揃えていた。心の底では「落ちる訳がない」という気持ちは常にあったというのが正直なところである。
FC東京の降格はJリーグが新たな段階に入ったのではないかと感じる。つまり、各クラブの力の差は拮抗し、J2とJ1が紙一重になりつつあることを示唆しているのではないかと。
つまり、降格のリスクマネジメントができることもクラブの重要な要素になってきていると思うところである。したがって、これからは優勝争いから外れ、中位に甘んじるクラブも含めてそうした対応がより重要になってくるのではないだろうか。
さて、この数日考えるのは、今回のJ2降格はチームの再構築を行うチャンスではないかと考えるようになった。
今後も東京全域をホームタウンとしていくのか。そうした場合、カバーできていない地域にはどのようなフォローを行うのか。この基盤をしっかりしなければ、いつまでたっても足下は覚束ない。言い換えれば、カバーできていないエリアがあるからこそ、味の素スタジアムはいつまでもたっても満員にならないし、クラブサポーターも10万人には遙かに届かない数字で推移しているのではないだろうか。
この1年間、やるべきことはJ1復帰だけではない。ビッグクラブを目指すことによって生じてきた細かな綻びを再度繕いなおすことも忘れてはいけないことである。
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