たとえ、チェーン系居酒屋であろうとここに掲載してきた熊猫だが、今回の「魚民」新橋店は割愛して、2軒目に行った立ち飲み屋の「じゃんけんポン」について記すことにする。
この日はフリーライターの愛夢HTさんとの再会飲み会だった。愛夢さんはJ動車新聞社が発行する「アフターマーケット」で古い名車をその時代背景と共に解説するコラムを連載している。
小気味いい文体は清々しく、読者にも評判のようだ。
愛夢さんにお会いするのは3年ぶりだろうか。神田のプロントで仕事の打ち合わせをしたのが最後だった。
ニュー新橋ビルの入口で待ち合わせをし、始めに行ったのが「魚民」。そこで、しばしの再会を祝った。
「魚民」をここに記さないのは、実は愛夢さんからご馳走になったからである。
そこで、2軒目にお返ししようとお連れしたのが「じゃんけんポン」なのだ。
何故、数多ある立ち飲み屋の中で「じゃんけんポン」を選んだかについてはあまり意味がない。
わたしの中で特に好きな店という訳でもなく、むしろその印象は薄い。
あれは3年前、MJと2人で「じゃんけんポン」に入ったが、それ以来の訪問だ。
しかし、同店はその数多ある立ち飲み屋を抑えて意外にもテレビのランキングにランクインしたことがある。
テレビ東京の「アド街っく天国」新橋編で堂々の30位にランクされた。日本で一番立ち飲み屋が多い街は恐らくこの新橋であろう。その中で何故同店が入ったのか、未だに疑問である。
ともあれ、大意もなく入った「じゃんけんポン」は3年前とは見違えるほどにいい店になっていた。
店としての体裁がしっかり整っていたのだ。3年前に入店した時はまだバタバタ感があった。今、考えれば恐らくその頃同店はまだ開店したてだったのかもしれない。
そんな混乱ぶりが伝わってきて、何故か客の方が疲れてしまう感じの店だった。
だが、今はこの烏森でも埋没しない安定感が備わった気がする。お客さんも多く、大変盛況だ。
わたしたちはカウンターに陣取り、再び話しをはじめた。
わたしが酎ハイ(200円)、愛夢さんは生ビール(400円)で。
とりあえず、つまみは「モツ煮込み」。話題は今年生誕100年を迎えた太宰治だ。
愛夢さんの名前は父親が付けたといい、治の一文字が入っている。愛夢さん曰わく「堅物の親父が何故破天荒な太宰の名前を息子に付けたのか」。
愛夢さんはその謎を解き明かすため、太宰の足跡を辿る。
太宰の出身地である青森県の金木村から没した三鷹の玉川上水をはじめ、太宰が通った銀座のバー「ルパン」など、その足どりは多岐にわたる。
それはまるで、自分自身のアイデンティティを探す旅のようで、愛夢さんは嬉々としてわたしに語りかけた。
わたしは、その間に何度も「酎ハイ」をお代わりした。
この店の「酎ハイ」は烏森の立ち飲みの中でもかなり破格の値段だが、いかんせん、量はそれなりだ。したがって、すぐに杯は空き、その度にお代わりしなければならない。
愛夢さんのジョッキにはまだ最初の生ビールが残っている。
愛夢さんは凝り性なのだ。のめり込むとものすごい。だから半世紀前のクルマのカタログを収集し、世界各国のビールの瓶や缶を集める。
話題は豊富で尽きることはない。
5杯目の「酎ハイ」を頼んでわたしは後悔をした。
足と腰が痛くなってきたからだ。
愛夢さんのお話しはその後も延々と続くのであった。
しかし、定年した愛夢さんの足腰は強い!
ちなみに、店のシステムは会計制。主食は串もの。メニュー多く、どれも安くてハズレはなし。
居酒屋の激戦区で揉まれているだけに、お店も研ぎ澄まされているようだ。
この日はフリーライターの愛夢HTさんとの再会飲み会だった。愛夢さんはJ動車新聞社が発行する「アフターマーケット」で古い名車をその時代背景と共に解説するコラムを連載している。
小気味いい文体は清々しく、読者にも評判のようだ。
愛夢さんにお会いするのは3年ぶりだろうか。神田のプロントで仕事の打ち合わせをしたのが最後だった。
ニュー新橋ビルの入口で待ち合わせをし、始めに行ったのが「魚民」。そこで、しばしの再会を祝った。
「魚民」をここに記さないのは、実は愛夢さんからご馳走になったからである。
そこで、2軒目にお返ししようとお連れしたのが「じゃんけんポン」なのだ。
何故、数多ある立ち飲み屋の中で「じゃんけんポン」を選んだかについてはあまり意味がない。
わたしの中で特に好きな店という訳でもなく、むしろその印象は薄い。
あれは3年前、MJと2人で「じゃんけんポン」に入ったが、それ以来の訪問だ。
しかし、同店はその数多ある立ち飲み屋を抑えて意外にもテレビのランキングにランクインしたことがある。
テレビ東京の「アド街っく天国」新橋編で堂々の30位にランクされた。日本で一番立ち飲み屋が多い街は恐らくこの新橋であろう。その中で何故同店が入ったのか、未だに疑問である。
ともあれ、大意もなく入った「じゃんけんポン」は3年前とは見違えるほどにいい店になっていた。
店としての体裁がしっかり整っていたのだ。3年前に入店した時はまだバタバタ感があった。今、考えれば恐らくその頃同店はまだ開店したてだったのかもしれない。
そんな混乱ぶりが伝わってきて、何故か客の方が疲れてしまう感じの店だった。
だが、今はこの烏森でも埋没しない安定感が備わった気がする。お客さんも多く、大変盛況だ。
わたしたちはカウンターに陣取り、再び話しをはじめた。
わたしが酎ハイ(200円)、愛夢さんは生ビール(400円)で。
とりあえず、つまみは「モツ煮込み」。話題は今年生誕100年を迎えた太宰治だ。
愛夢さんの名前は父親が付けたといい、治の一文字が入っている。愛夢さん曰わく「堅物の親父が何故破天荒な太宰の名前を息子に付けたのか」。
愛夢さんはその謎を解き明かすため、太宰の足跡を辿る。
太宰の出身地である青森県の金木村から没した三鷹の玉川上水をはじめ、太宰が通った銀座のバー「ルパン」など、その足どりは多岐にわたる。
それはまるで、自分自身のアイデンティティを探す旅のようで、愛夢さんは嬉々としてわたしに語りかけた。
わたしは、その間に何度も「酎ハイ」をお代わりした。
この店の「酎ハイ」は烏森の立ち飲みの中でもかなり破格の値段だが、いかんせん、量はそれなりだ。したがって、すぐに杯は空き、その度にお代わりしなければならない。
愛夢さんのジョッキにはまだ最初の生ビールが残っている。
愛夢さんは凝り性なのだ。のめり込むとものすごい。だから半世紀前のクルマのカタログを収集し、世界各国のビールの瓶や缶を集める。
話題は豊富で尽きることはない。
5杯目の「酎ハイ」を頼んでわたしは後悔をした。
足と腰が痛くなってきたからだ。
愛夢さんのお話しはその後も延々と続くのであった。
しかし、定年した愛夢さんの足腰は強い!
ちなみに、店のシステムは会計制。主食は串もの。メニュー多く、どれも安くてハズレはなし。
居酒屋の激戦区で揉まれているだけに、お店も研ぎ澄まされているようだ。
こういう串中心のお店でも、
やっぱり新橋という場所柄、お客さんに揉まれて進化している
良いお店が多いのでしょうね。
淘汰されているというか、ある意味、町の文化のような。
聞くところによると、新橋には立ち飲み屋が4~50軒ほどあるようです。
頑張らなきゃホントに淘汰ですよ。
わたしは、新規開拓ばかりでリピートはあまりしないけれど、こうして久々にお店に入ると、いろいろな事が見えてきていいですね。
しかし、わたしのライフワークである「立ち飲みラリー」山手線編は今、新橋で止まっているところ。
立ち飲み屋が多い新橋からは永遠に出られないような気がします。