
芝で仕事を終えた。
さて、一風呂浴びよう。時刻は16時半。当然まだ十分すぎるほどに外は明るい。
慶応仲町通りにある銭湯に行ってみようか。
随分前に立ち飲み屋を求めてこの辺りを散策したとき、偶然に見つけた銭湯。
周囲から煙突が見えないので、銭湯があるとはゆめゆめ思わない。しかも、小路沿いの間口は狭く、銭湯の暖簾がかかっていても、その暖簾にピンと来る人も多くはないだろう。
「いつか行こう」と思っていてもなかなかその機会は訪れない。だが、ようやくその日が訪れた。
暖簾をくぐると5mほどの中庭の通路がある。料亭みたいだ。実に風情がある。
そうやって辿り着く玄関を開けると、目の前にまた昭和に立ち返ったような風景が現れる。まるで中庭がタイムトンネルだったのではないかと思わせる。
展開が全く読めない。暖簾から玄関、そして場内に入ってから入湯料を支払うまで、初心者は絶えず緊張を強いられるだろう。
そして、玄関を開けて眼前に現れる番台。そこに立つオヤジ。マッチで煙草の火を点けるのか。
番台の上にはマッチが散乱している。それにしても番台の上は相当散らかっている。
460円を支払うのだが、この番台のおやじの無言に強い圧力を感じた。
番台の背後にある男女の公共スペースはあまり広くもなく、さっさと男湯に入ると、脱衣所も広くなかった。服を脱いで更にその先に進むと、浴場も狭かった。やはり、都心の一等地にあkる銭湯である。
とはいえ、この銭湯の歴史は浅くはない。慶応大学の学生が作成していると思われるwebページ「KEIO CREATORS MAGAZINE」によると、この銭湯が土地を取得したのは昭和4年という。この銭湯の間取りを考えると、意外だった。土地を取得した際はもっと広い土地だったはずだ。今は周囲の飲食店に貸しているのだろうか。それとも売却してしまったのだろうか。老舗の銭湯とは思えない不自然な狭さである。
浴場に足を踏み込むと、眼前にあるはずの大きな浴槽とその頭上に燦然とあるはずのペンキ絵がない。
「あぁ」という嘆息が自然と出てしまう。
建物も比較的新しいのだろう。
カランに座り、躰を洗い、浴槽に入って気が付いた。
ペンキ絵は入口の頭上にあった。
レインボーブリッジの夕景。
このペンキ絵には正直がっかりするのだが、しかしこのペンキ絵はペンキ絵の鬼才、佐怒賀次男氏の最後の作品だという。
それにつけても、風呂がやたらと熱い。
42℃?いや43℃あるかも。
3分と入れない。
仕事上りの銭湯。周囲にはボクのようなサラリーマンはおらず、ご隠居組の数人と若いお兄ちゃんが一人。
その若いお兄ちゃんは湯船の水を手ですくっては口に含み、浴槽の外に吐き出す動作を仕切りに繰り返している。それを見て、正直嫌だなと思ったが、周囲の大人たちは何も言わないところをみると、この若い男は毎日ここで同じことを繰り返しているのだろう。
熱い風呂に我慢できず、ボクは30分で上がった。
外はうだるような暑さだろう。あまり温まってしまうと、外に出るとまた汗が噴き出してしまう。
ボクは風呂屋を出て、三田の駅から都営浅草線に乗って成田へと向かった。
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