コロナのため、ことごとく学校行事(体育祭や文化祭は開催されたが)がなかった娘が、高校3年生になり、ようやく行事が正常化した。
5月に初めて宿泊の行事が行われたが、宿泊に慣れていない娘は、「お風呂入るのが嫌だな」と言っていた。これも学生生活をコロナ禍で過ごした若者の弊害なのだと思う。娘が行った先は、石巻市だった。震災遺構の大川小学校への研修旅行だった。
東日本大震災時、保育園に通っていた娘は、震災の記憶はほぼない。大きな揺れに見舞われたその時ですら、昼寝をしていて気づかなかったという。辛うじて覚えているのは、かみさんの迎えが遅かったことらしい。震災の日、自分もかみさんも職場から歩いて家を目指したが、若干かみさんの方が早く帰れた。それでも保育園到着は19時近くだった。娘の3.11の記憶はただそれだけ。その時、被災地で何が起こっていたか、テレビで見ただけである。
娘曰く、大川小学校のことも知らないらしい。だから、今回の研修では学んだことは相当なショックを受けたという。
帰宅するなり、大川小学校でその日起きたことを話してくれた。
「もし、先生が適切な判断をしていたら」。
今時のJKですら、そう思ったという。
娘が持ち帰った、大川小学校のリーフレットを読む。もし、自分の子どもがその場にいて亡くなってしまったら、とてもとても平静ではいられない。もしかすると生きていく気力を失ってしまうかもしれない。しかし、大川小学校は現実であり、74人もの児童と10人の教職員が実際に亡くなられた。
娘が持ち帰った土産、「萩の月」。
言わずとも知れた仙台銘菓である。いや、日本を代表するお菓子といってもいい。事実、「20世紀を代表する土産品」というアンケートで全国3位になったらしい。
しっとり系の優しい生地にカスタードクリームという洋菓子風は杜の都仙台には似つかわしくないと思っていた。むしろ、「三全」なら、「伊達絵巻」だろうと。だが、いつしかや萩の月」が仙台土産の定番となった。確かに、このしっとり系のカステラにカスタードは意表を突くうまさ。似たようなお菓子の「東京バナナ」が霞んで見えるし、「萩の月」の前では恥ずかしい。質量とも程よく、食後の満足感も高い。
だが、この日娘から買って来てもらった「萩の月」はちょっと重かった。震災で亡くなった多くの御霊に対し、平穏に甘いものをいただけることになんだか申し訳ない気持ちになった。とりわけ、大川小学校で亡くなった小さな命のことを考えると。
ただただ祈るだけ。
宮城野にぽっかり浮かぶ月を思い浮かべ、小さな命に合掌しながら、「萩の月」をいただいた。
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